第3583日目 〈イギリスの歴史が複雑怪奇に映るのは、自分だけか?〉 [日々の思い・独り言]

 荒俣宏編『平井呈一 生涯とその作品』にある。晩年の平井はディケンズ作品の翻訳に備えて、海外から多量のディケンズ研究書を購入した、と。
 妙にその記述が心に残っている。シェイクスピア読書に向けた研究書や註釈書を買い集めているからだ。書店で「これは!」と思う本を見附けて、こちらの背の丈に合うものであれば、懐具合と置き場所を考慮した上で購う。
 そうやって集まってきた和書洋書は並べてみれば、1メートルまであと少しか。全部を最初から最後まで読んだわけでは無論ないけれど、必要と思うたページに貼った付箋や、間に挟んだ紙片のせいで満艦飾の様相を呈している。
 いちばん賑やかなのは英国史の本2冊だ。シェイクスピア時代の英国史と、作品の背景となった時代の英国史。これを通読していると、シェイクスピアは英国史の良き入門書のように思えてくる。シェイクスピアを読むことは英国の歴史を繙くことだ。「時代と寝た」作家の感を強く抱くのも、その認識に行き当たったせいだろう。
 このあたりの歴史を解説した2冊を、ひいこらふうこら、いいながらどうにか読んだ(蘇峰読書を遅らせた原因の一である、実は)。頭ンなかはカオス状態。
 シェイクスピアが生涯に書いた戯曲は37編という。その嚆矢となる『ヘンリー6世』はランカスター家とヨーク家のバラ戦争を背景とし、続くチューダー王朝期もシェイクスピア作品に重要な題材を提供した。
 シェイクスピアの歴史劇はほぼすべてが百年戦争とバラ戦争、チューダー王朝の時代を背景にしているそうだから、この時代がどんな時代で、どんな人物が活躍し、どんな場所が舞台になったのか、を知っておかねば読書も底の浅い、活字を目に留めただけのそれに収まってしまうだろう。そうならぬためにも、これを機会に英国史を勉強しておこうかな、というのだ。
 百年戦争とバラ戦争の時代の英国史は、日本史へ馴染んだ者には複雑怪奇である。なぜか。極言すれば、日本では王朝交代が実現しなかったから。細かな点で皇統の交代はあったけれど、神武天皇を祖とする天皇家が他に取って代わることはなかった。皇位簒奪や王朝転覆を謀った衆はいたけれど、結局天皇家が歴史から姿を消す事態には至らなかった。
 つまり、万世一系の歴史を当然として育ってきた者に、英国や中国に代表される王朝交代が当たり前の過去を持つ国の歴史は複雑に映り、その内情を知るとまさしく怪奇なのである。ゆえにエリザベス1世が登場するまでの英国史は、王様の名前、王朝の名前を覚えるだけでも一苦労するのだ……わたくしだけか?
 シェイクスピア読書に備えて資料を買い集めている。が、その内容、英国史や国王列伝の類が半分を占めるのも致し方ない話だろう。作品の研究書や註釈書、テキストは歴史の本が満艦飾に彩られているせいでか、まるで有るのが目立たない。ファーストフォリオや出版史にまつわる本は、ついさっきまで読んでいたから、山のいちばん上にあるんですけれどね。
 果たしてシェイクスピア読書はいつから始まるのか。赤穂義士に関する蘇峰の史書、鳶魚の随筆、大佛の小説(と青果の戯曲;読むんだろうか)を終えたら『ヘンリー6世』に取り掛かるから、そうね……早くても1年後?◆

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