第3572日目 〈読書用の手帳を買おう。〉 [日々の思い・独り言]

 つらつらと「今年読んだ本のなかでベストといえるのは、なんだったかなぁ」と考えこんで、気附けばモレスキンに著者名と書名を列記していました。
 まだ2週間以上も残っているのにこんな作業を始める自分ですが、ぼんやり正月以後の読書を振り返り、帰宅しては部屋の本また本を眺めて、はて? と思う。
 ──おれは今年、どの本を読んだんだ?
 由々しき事態の発生であります。もはや自分が今年、どの本を読んだのか覚えていないなんて!? 咨、元より貧弱と心得てはいたが、斯くも記憶力が減退していようとは……。
 という冗談はさておき、顧みても今年読んだか昨年読んだか、すぐに思い出せぬは事実なり。むろんすべての本に対してそうなのではなく、一部の本についてのみなので、誤解なさらぬようお願い申しあげます。
 この現象、昨年末あたりから読み続けている遠藤周作と藤沢周平に顕著だったのですが、帰宅して抜き書きノートを開くまで、どの本をいつ読んだのか、確とした記憶は甦らせられなかった。
 遠藤の『イエスの生涯』は正月三が日の間に読了、藤沢の『義民が駆ける』は新年度の頃に読了。これがまったく思い出せなかったのだ。遠藤は年越し読書ゆえ斯様な錯誤が生じるのは致し方なしとしても、藤沢周平はねぇ……原則として発表年代順に読むようにしているのだから、昨年末に読了した『一茶』とこの『義民が駆ける』の発表年代を調べれば、すぐ思い出せたろうに。
 たまたま遠藤と藤沢の2作を引き合いに出しましたが、今年読んだ本ベスト……、なる文章を本当に書こうとするなら、この記憶の混乱(ごちゃ混ぜ状態)は決して笑って済ませられやしない。
 帰宅後、どうにか思い出して格好はつけたけれど、考えてみれば抜き書きノートは作っていても読んだ本すべてから抜き書きするわけではなく、読んだ本すべての感想文を認めて本ブログでお披露目するわけでも、或いはTwitterで読了ツイートを流すわけでもない。要するに、今年読んだ本はなにか、一目瞭然な控えとなる記録は作成していないのである。
 というわけで考えたのが、標題にあるように、読書に徹した手帳を持つ、という解決策であります。通勤・休憩時のお伴なる本、調べ事で繙いた本、流し読み程度で済ませた本、図書館で借りた本、などなど、著者名と書名、出版社程度の簡単なメモを手帳に控えてゆけば、来年のいま頃は記憶の混乱(ごった煮状態)とはサヨウナラできるでしょう。──そう期待したい。
 そうと決まれば善は急げ、であります。明日、有隣堂やハンズ、ロフト、無印良品など回って、手頃な手帳を探してきましょう、わくわくしながらそんなことを書いているけれど、最終的に新潮文庫やちくま文庫の文庫ノートに落ち着いたりしてね。これはこれで良し、か。◆

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