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第3676日目 〈避難先のスタバにて、あれやこれやと綴ったあとで。〉 [日々の思い・独り言]

 昨日は病院三昧であった。脳梗塞の後遺症の程度を確かめ、併せて今後の治療に役立てるためのエコー検査を、紹介先(=かかりつけ)の病院の生理検査室で行うことは既に決まっていたので、他の病院案件もその日にまとめたのだ、という背景、経緯はあったとしても。
 とはいえ、夕刻にはそれも終わってしまった。その日の支払総額から目を背け、寄り道しながら辿り着いた先がいつものスタバ。これは偶然の作用ではない。足の指先が痛み(擦過傷)、腰と脇腹が張ったように痛み(お通じが数日ないことから、わたくしも消化器系の癌なのか、と[正直にいうと]疑っている)、遂にそれに耐えかねて、直近に位置する勝手知ったる”ここ”を避難所とさせていただいた次第である……。
 でも、そうはいうてもやることはいつもとあまり変わらない。Macを忘れ、読書ノートと対象本を持ってきていないとは雖も、本を読み、なにかを書く、てふルーチンは維持されるのである。モレスキンとペンケースと、なにかしらの本を1冊か2冊。これはいつもリュックに入れてある。為、ルーチンの維持が可能だったのだ。
 杉原泰雄『憲法読本 第4版』とミステリー文学資料館編『古書ミステリー倶楽部』を決まった分量終えた後、おもむろにモレスキンのラージサイズ方眼ノート(ハードカバー)を開いて綴ったのは、今後書く(と決定はしていないが書いておきたい)文章の題材、テーマ、小説の極めて大雑把なアウトライン、ブログ用原稿のちょっと詳しめの設計図である。
 最後の場合は、岩波ジュニア新書についてのそれだ。
 人生で最初に買った4冊の新書を覚えている。買った順番でいえば、『マザー・グースの唄』(平野敬一 中公新書)、『続 知的生活の方法』(渡部昇一 講談社現代新書)、『青春をどう生きるか』(加藤泰三 カッパブックス)、『ナウなヤング』(水玉螢之丞/杉元怜一 岩波ジュニア新書)、となる。4冊と中途半端な数になったのは、同じ頃に買っているはずが順番に関してはよく覚えていないのが数冊あるためだ。一例を挙げれば、『書斎の王様』(岩波書店編集部 岩波新書)、『アドルフ・ヒトラー』(村瀬興雄 中公新書)、などだ。高校時代に開拓した古本屋で新書をあれこれ物色して漁るようになるのは、それからもうしばらく経ってからのこと。
 先述した如く、わたくしの新書歴の最初から、岩波ジュニア新書はあった。ちなみに件の一冊は未だ架蔵して、この前久しぶりに書架から出して読んでみたらいまもむかしもあまり若者の生態に変わりが無いことに面白さを感じて、ついそのまま夜中まで読み耽ってしまった。昨日は偶々『憲法読本 第4版』てふ岩波ジュニア新書の定番書目を携えており、またその読書に手こずっていたことからまずエッセイのタイトルが思い浮かび、その流れでアウトラインを作ったり細々した部分について覚書を綴ったりしていたのだった。
 ──さて、かの痛みはいちおう治まった様子だ。一時的とはわかっているが、歩いて駅まで戻るに支障はない。夜の歩道をゆっくり進む。この時期は野球の試合数がめっきり減っているのが、良い。ちかごろは試合あとのベイスターズ・ファンはお行儀がすっかり悪くなったからな。とまれ、体に負担を掛けずにてくてく歩いてゆけるのはヨの幸い事の一つと申せよう……。
 明日から意図せぬ望まぬ四連休に、わたくしは入る。仕方ない。体をいたわりつつ無聊をかこちつつ、PCは遠ざけて、読書に耽るとしよう。
 ……あれ、ひょっとしていま(09/21)って、シルヴァー・ウィーク?◆

第3675日目 〈腰の痛みに苦しめられた夜。〉 [日々の思い・独り言]

 入院から約2ヶ月、退院から約1.5ヶ月を数える。毎日、血液をさらさらにする薬と副作用を抑える胃薬を各1錠、白血病の薬といっしょに服んで欠かした日はまだない。脳梗塞の、退院後にした精密検査は結果がまだ出ていないので、希望に満ちたことも悲嘆に暮れることもできぬ現在[イマ]なれど、目にも明らかなな後遺症は窺えない。しばらくは脳天気にそれを喜んでおくとしよう。
 そんな風なこと、再発したときの不安や恐怖、諸々を考えながら予後を過ごすこと約1.5ヶ月。慣らし運転を兼ねた仕事復帰もどうやら軌道に乗ってきたな、そろそろ元々復職を望んでいる業界に履歴書・職務経歴書を送りまくるかor(実入りは不安定極まりない低給与ながら)このまま倉庫のバイトに汗水垂らして好きな人々といっしょに時間を過ごすか、決断せねばならんな、と倩思い始めた矢先の、昨日09月04日月曜日の夜、NHK=BSで再放送されて録画しておいた吉岡秀隆版『八つ墓村』を観ているとき、事件は起こった!
 左側のお尻の、横の上部がやたらに痛む。はじめのうちは、椅子に変な格好で坐っていたから左側へ負担が掛かり、そのせいで件の部分が痛むのかなぁ、と思うが精々。肘掛け付きの椅子だと、左右どちらかに体を傾かせた姿勢で長時間坐っていることが案外に多いから、実は斯様な痛みに遭うのは初めての体験ではない。が、この日は──
 痛みはどんどん激しくなってゆく。椅子に坐ったまま何度も何度も姿勢を変えた。痛む部分を伸ばしてみた方が良いかしら、と床に寝転がってもみた。これも何度となく姿勢を変えて、である。むろん、慎ましいこれらの努力はいずれもすべて、無駄に終わった。
 その時点で痛みは、顔を歪める程にまでなっていた。痛みは引かぬし、収まる気配もない。アンメルツを景気よく塗りたくってみたが、結局残量を減らすばかりのことじゃった。
 鈍痛に耐えながら『八つ墓村』を観終わった。HDDからは即効削除。時刻は大体23時頃。それからシャワーを浴びた。この行いが良かったのか、正しかったのか、いまでもわたくしには分からない。ただ日常のルーティンを変えたくないが為の、シャワーである。咨、これは天道、是か非か。とまれシャワーのあとは髪が乾くまで痛みに顔をしかめつつ椅子にゆっくり浅く背筋を伸ばして腰掛けて、麦茶を飲んだ。痛くても暇だった。時代劇専門チャンネルで放送中で、これまた録画しておいた加藤剛=山形勲版『剣客商売 ’73』第14話「三冬の女心」をぼんやりと観て過ごす(『剣客商売 ’73』の「’73」はその後の藤田まこと版『剣客商売』他と区別するための局側の都合だろうか)。
 その間のわたくしは、かなりの仏頂面だった様子。いやもうね、自分でそうと分かってしまうくらいだからその痛み具合は世人よ、推して知るべし、である。その間にわたくし思うに、痛みを覚える範囲(面積?)はほんのちょっぴり狭まった──が比例するように痛みは皮膚の下へ下へと潜って肉の内側から周囲に飛散してゆくが如く……である。
 まっすぐ立つこともままならなくなった状態で、普段よりも少しだけ早い時間だけれどベッドへ向かう。寝台に体を横たえる、というよりも投げ出すようにして、倒れるようにして横になり、荒い溜め息吐きながら呪詛と悪態の言葉を呟いて、母が亡くなって半年余を経てはじめて聖書を開くも視界がにじんでいたのですぐに閉じ、電気を消して目を瞑った──。
 が、左の脇腹から臀部(左)の真ん中あたりの痛みがひどくて心安まる瞬間だになく、仰向けになっても横向きになってもそれを忘れることができない。むしろ覚える痛みは更に強く、肉を抉ってくるようである。咨こん畜生、なんで自分ばかりがこんな目に。家のために骨身を削って働いている自分がどうしてこんな苦痛に遭わねばならぬのか。こんな目に遭うべきはあの生産性なき穀潰しの方であろうに。暗闇に向かって吐き出される言葉は、呪詛と悪態ばかりである。
 確かにあの日以後、わたくしは死を望んだ。もうじゅうぶん頑張ったがこれ以上は方々に不義理と迷惑を掛けるばかりだから、もういっそのこと、そちらへ連れていってくれまいか、と願った。が、けっしてこんな形で実現することを頼んではいない。
 遂に耐えかねて、湿布を貼った。じきに患部がとても温かくなったけれど、それは痛みを忘れさせるものでもやわらげるものでもなかった。枕許の時計は、午前03時12分。既に床に就いて2時間が経とうとしている。痛みは増してゆく。救急車を呼ぶことも考えた。この程度で呼んでよいものか、迷う。時間も時間だ。サイレンを鳴らして来られたら、ご近所の健やかなる眠りを妨げて迷惑だろう。好奇心を隠そうともせず外を覗い、わが家に目を凝らす衆の存在することには耐えられない。こんなとき、「あなた」がそばにいてくれたら良いのに。「あなた」がそばに住んでくれていたら良いのに。
 スマホで症状を入力して、検索してみた。筋肉痛(この推測ははじめからしていた)以外にも、仙腸関節障害とか、梨状筋症候群、股関節障害、腰椎間板ヘルニア、坐骨神経痛、などゾッとさせるにじゅうぶんな推定病名が羅列されていた。腹の痛みも伴っている。ちゃんとご飯を食べたのに空腹を覚えてしまう感覚だ。腹の痛みに関しては、お通じが出ないことにも起因しているだろうか。ならば、母が生前訴えていた腹の痛みとは、斯様なものであったろうか。わたくしも、大腸癌なのだろうか?
 以前、脳梗塞の本で読んだ、もうちょっと様子を観てみようと受診を先延ばしにしていたら却って深刻な症状になり、後遺症が残ってしまった、という記述が脳裏をかすめた。脳梗塞のときは早い段階で救急車を呼んで病院に担ぎこまれたから、いま後遺症と呼ぶべきものとは(一応)無縁で過ごすことができている。が、今度もそうだ、と楽観できない。やはり救急車を呼ぶか、しかしこんな時間に呼んだら……と逡巡、堂々巡りしているうち、あまりありがたくないタイミングでわたくし、眠りに落ちてしまったのだ。
 ──シャッターに当たる雨音で目が覚めた。07時56分だった。無意識に手が、湿布を貼ったあたりへ伸びる。まだ痛みは引いていない。が、治まってきているようだ。皮膚に広がる痛み、肉を抉るような痛み、いずれもまだ残っているが、昨夜よりはその範囲も縮小してしてきたようだ。
 とはいえ、やはり痛みで顔をしかめてしまうのは事実である。幸い夕方まで予定はないからそのままベッドに寝転がり、耐えられなくなったら適当に理由をくっつけて動き回るを繰り返して過ごした。いつの間にか、雨はあがっている。その代わり、千葉を震源とする地震が2回、あった。
 苦しくても立たなくてはならない。痛くても為すべきは為さなくてはならない。
 果たされるべき使命のためにわたくしは午後、家人の心配、制止の声を振り切って、家を出た。準備はその前からだらだら、だらだらとしていたが、ここ数年馴染みとなった怠惰と脱力と疲労を御しつつ御されつつしていたら、いつもであれば数十分で済む準備に何時間も費やしてしまった次第。勿論このなかには、新しく湿布を貼ったり、手許不如意ゆえの血液内科の受診当日CXの連絡も含んでいる。
 そうして出発、体を動かしているうちに、徐々に痛みが治まってきているのを感じた。少なくとも鈍痛を覚える間隔は延びてきている。いまは21時24分、まだ外出先なんだけれど、これが快癒に向かっている証しなのか、一時的なわが健忘なのかは不明である。気のせい、って可能性もあるだろう。ただ確かなのは、24時間前と同じような姿勢(椅子に坐っている)をしていても、覚える痛みは格段に軽くなっている、ということ。あゝ、どうかこのまま、痛みが引いて健やかなる眠りが我にもたらされ、前述のような病気とは無縁の一時的な筋肉痛でありますように。斯様な痛みと(原因についても)縁が切れて、明後日からまたいつものように仕事することができますように。切に、それを願う。生を全うして、あの世に逝きたい。
 昨年6月の白血病、7月の脳梗塞、2月と今月9月の擦過傷(左母趾)、昨夜の腰から臀部に掛けての激痛。ここ一年余のわたくしの体はいったいどうなってしまっているのか。これらを訓として健康な生活、健全な生活を送れ、営め、ということか。とまれ「健康」のありがたさ、大切さを、身を以て知った一年余であったことに変わりはない。
 まだ、わたくしは生きている。まだわたくしは、生きていたい。いま死んだら、これまで頑張ってきたことがすべて水疱に帰すではないか。病よ、もうわたくしを苦しめるな。退け、死よ、まだ来ないでくれ。◆

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第3674日目 〈とても大事な話をしよう。お金と生活の話だ。〉 [日々の思い・独り言]

 赤面を覚悟の上でいえば、昨年までのわたくしは、お金について無頓着だった。日々の収支をしっかりと記録するわけでなく、税金や年金、保険等について熟知するには至っておらず、加えて一ヵ月生活するにあたってどれだけのお金が必要なのか、ちゃんと把握していたわけでなく──。
 過月、世帯主であった母が逝去した。それに伴って主要金融機関の、母名義の口座は相続手続き完了まで凍結され。
 即ちこれは、生活してゆくに必要な各種支払、引落がされなくなったことを意味する。気附くと気附けぬと引落ができないまま日を経ると、手許へ届けられるのが「督促状」である。或いは、至急指定金融機関口座への振込もしくは振込用紙で支払うようにという催促の書面通知である。今年令和5年は、母みまかって数ヶ月後から今日までの間、この督促状や催促状が新たに届けられない週は、おそらくなかった、と記憶する(均せば、の話だ)。
 わたくしは、自分の恥部の一部を淡々と、満天下に宣べ伝えようとしている。自然主義私小説や無頼派を気取ってのことではない。事実を語るためには、羞恥や気取りを棄てなくてはならぬ。
 お金の話は、とても大事なのだ。
 実体験に基づくお金の話は、反省と教訓の材料として次の世代へ伝えるべき、大切・重要な話だ。また、読者諸兄にもこれを教訓として、お金全般についての意識を新たにしていただきたく希望する次第である。



 お金の話、といえば、税金、年金、保険を含めた、給与明細書をネタにしてトークするのが、社会人や学生諸君には最も受け入れられやすいか。
 ところで、果たしてそれだけの給与所得者が、明細書の各項目に記載される金額をチェックしているのだろう。また、その項目の意味を知っているか。
 あなたは毎月の、自分の額面所得が載る明細書のどの項目が天引対象で、どの項目が源泉徴収の対象なのか、ご存知ですか? ついでに訊くが、源泉徴収の「源泉」を答えられますか?
 そも、あなたはご自分の給与明細書を見たことがあるだろうか。見たとしても実際の支給額の記載覧しか見ていないのでは?
 ああ、実にわたくしがそうだった。稼いだお金は返済、浪費、乱費、消費に消えた。湯水の如く使っていた時分のこと。
 いつ頃からであったろう、給与明細をじっくり見て、残業代や交通費は当然、「所得税」や「住民税」、「厚生年金」、「雇用保険」、「介護保険」といったいわゆる「控除」欄にも目を配るようになったのは。そのきっかけがフィナンシャル・プランナーや証券外務員の資格の勉強をしていた4年前だったことだけは覚えているけれど、残念ながらそのときの興味や疑問が今日まで継続したわけではけっして、ない。というか、FPや証券外務の資格を取っておきながら自らのお金についてルーズであったのは、いったいどうしてなのか、わが事ながら小首を傾げて唸り声をあげつつ考えこむより他にない。



 やはり母の逝去に伴う相続の手続、世帯主変更が決定打だった。
 これによって家や土地にかかる税金(固定資産税・都市計画税)、収益物件建替による事業ローンの毎月の返済、公共料金や各種保険と年金、生活してゆくための支払(お買い物を含む)といったものがすべてわたくしの名前で請求され、支払うようになったからだ。
 お陰で毎月の収入は税金や各種料金の支払い、或いは医療費であっという間に消えて、手許に残るはいうも躊躇われる程の金額である。おまけに前述した督促状や催促の手紙も、当たり前のようにポストに入っているしね。やれやれ。
 貧すれば鈍す、とは生活レヴェルを主に指していうらしいが、給与明細の詳細やお金に対する感覚に関していえば、むしろ、貧するがゆえに鋭くなる、の思いが強い。
 これね、実際に自分一人の肩に掛かってきたから鋭敏になったわけでね。母生前の如く分担制の頃には覚えることのなかった感覚なのですよ。



 こんにち高校では、専門家を招いて「金融」の授業が行われるようになった。成人年齢が18歳に引き下げられたのが、背景の一つになっている様。
 『池上彰と林修が初タッグ! 日本の「今」を徹底解説! 学びコラボSP』(08月19日18時30分〜 テレビ朝日)の後半で、この話題が俎上に上された。出演者の一人、伊集院光の、その際の発言に殊更頷いてしまったわたくしだが、記憶に留める意味でもその発言を以下に引いておきたい。伊集院氏曰く、──
 「大人になって思ったのは、(学校や家庭でも)もっと税金のこと教えてほしかったな、って。どういうことを申告して、どういうものが必要経費で、ということを教わりたかったな、ってやっぱ思うんですよ。こうやってちゃんとお金のことを(学校で)教えるのはいいことだと思います」(2:09:16-30)
──と。聞いていた林修が何度も頷く姿が印象的だった。
 基礎知識があって初めて、金融についての正しい知識が得られる。フェイク情報やマルチ商法から身を守るための鎧をまとうことができる──平たくいえばあらゆる詐欺行為、悪徳商法、犯罪の危険から身を守れるようになる。
 できるならば、その知識を、自分で税金を支払う、確定申告や青色申告をする、など実際の場で活かしてほしい(勿論、授業でのシミュレーションでもよい)。知識は実践してこそ身に付くのである。
 また、その授業では投資や株式についても教えられている由。政府が積極的に国民に投資を呼び掛けている、ナンカちょっと違う、歪な方向に舵を切ってどこへ行くのかわからなくなっている、この妙ちくりんな時代を反映しているね……。
 でも、高校生相手にはそれと並行して、先刻の話ではないが、給与明細書の内訳についてもきちんと授業した方がよいのではないか。なんとなればかれらの過半は進学したらアルバイトで給与を得、就職したら自ずと給与取得者になって給与明細書を受け取る側になるのだから。明細書の見方、内訳の意味や計算方法など、いまから教えておいた方がいい。もっとも、既にそんな授業を行っている学校もあるだろうこと、重々承知……。
 伊集院光の発言は、リアルタイムで金融の授業を受けている高校生にこそ響くのではないか、と思うている。



 夜は、寝る前の一刻に本を読んでいる。
 いま巻を開いてページを繰っているのは(これまで縷々述べてきた反省も手伝って)、社会の仕組み、給与や年金、メディア・リテラシー等に関して、特に高校生に読まれることを想定した一冊である。著者は、川合龍介。書名は、『社会を生きるための教科書』。岩波ジュニア新書、2010年02月刊。
 目次を書き写すと、──
 1,就職する、働く
 2,税金を納める
 3,保険や年金を考える
 4,自分の住まいを探す
 5,家族を考える
 6,お金と正しく付き合う
 7,情報を使いこなす
──となる。「はじめに」と「おわりに」を前後に付す。
 先に高校生に読まれることを想定した云々と書いた。だからというて舐めてかかるととんでもないしっぺ返しを喰らうことになるのが、岩波ジュニア新書である。『社会を生きるための教科書』も例外ではない。
 これは大人が読んでもなかなか重宝する一冊だ。
 重宝、とは、これまでよくわからぬまま過ごしてきた、或いは知ったつもりで過ごしてきた事柄や言葉をわかりやすく教えてくれるからだ。と同時に、正しい知識、正しい概念を自ら知ることで、社会で生きてゆくために必要な備えを(あらかじめ)持っておくことができる、という意味も含んでいる。──前にも書いたし、本書の帯にもあるが、果たしてどれだけの人が「“源泉徴収”ってなに?」、「“源泉”ってどういうこと?」と訊かれて即座に、誤りなく、わかりやすく答えることができるだろうか。
 中高生、大学生、専門学校生、といった学生のみならず、社会人となり給料をもらい、家庭を持つようになった大人たちにも是非読んでいただきたい、お奨めの一冊である。わたくしも、読書にちょっとした間が空いてしまったので、検めて最初から読み直す予定だ。



 なんとも溜息が出てしまうことに、息を吸って吐いているだけで一ト月に均すと時に数十万も持ってゆかれる時代である。おまけに近年稀に見る物価上昇が、それに輪を掛け、追い打ちを掛けている。
 最早、「やれやれ」では済まぬ。わたくしもここ数ヶ月、折に触れて、「貧乏人は死ねということか!?」「低所得で税金や年金エトセトラの支払が滞る者は路頭に迷え、ってか!?」など口のなかで呟くことが多くなった。
 けれども、ふと冷静さを取り戻し、来し方を省みたとき、その雄叫び──喚き、というべきか──も己の無知と無恥、自制心の無さから生じた、正に「身から出た錆」なのだ、と気附くことになる。
 斯くしてみくらさんさんかは、斯様な結論を導くに至るのだ。即ち、──
 自分の不明が奈辺にあるかを(目をそらすことなく己を偽ることなく)客観的に見つめ、把握し、お金と生活の関わり様について見直すことが急務では?
──と。◆

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第3673日目 〈自分自身を顧みる作業、その一部。〉 [日々の思い・独り言]

 わたくしは、不完全な人間です。どちらかといえば、虐げられてきた人間です。人生のどん底を経験し、他人の裏表を存分に見てきた人間です。
 このような人間が、どれだけ過去に経験があるからといって管理者を務めるのは、身に余る行為でしょうか。過ぎたる職業でしょうか。
 否、わたくしはそうは思いません。不完全であるからこそ、見えてくる光景があります。虐げられてきたからこそ、看過されやすい誰かの心の痛みや悩みに寄り添うことができます。どん底を経験し辛酸を舐め、裏表を嫌という程見てきたからこそ膝をつき合わせてその人のことを理解しようと努めます。
 わたくしは、たとえば誰かが欠勤の連絡を入れてきて、その人がどこかで目撃されたとしても、その人に事情を訊ねることなく思い込みと偏見で、サボリ、と決めつけて人事評価に影響するようなことは絶対にしません。それは「愚」としか申し上げようがない行為です。
 わたくしがそこで学んだのは、9116ではデマをいかに真実らしく装い、キーマンを捉えて拡散・定着させてターゲットを誹謗して追いつめてゆくか、4708では自分を安全圏に置く方法と不倫の隠蔽の手際の見事さ、等々でありました。……不倫なんてする気は毛頭無いけれど、ああ成る程……と思わされたんですよね。つまり、所謂反面教師になることまでも学ばせてもらったわけです。
 こんな実例がありました。[削除]
 とまれ、いずれも、忘れられなくても忘れられない、感慨深くとても貴重で有意義な思い出です。斯様に人は裏表を見せ、確認を怠る軽率な生物に成り下がれるのか、と。
 確認をしろ(裏を取れ)、事情聴取をしろ、然る後に判決を下せ、というわたくしの主張と信念は、こうして出来上がったのであります。
 斯様な出来事を通して学び、同時にわたくしが自分のいちばんの強みである、と確証したのは、「聴く力」を持っていることでした。
 上述の連衆のように、誰かを色目で見ることはありません。上述した連衆と違って、誰かの頑張りや努力を公正に評価する冷静さを持っています。これはいずれも、自分がこれまで受けてきたことの裏返しといえると思います。もちろんなかには申し開きのできないこともあるでしょうが、相手と会談して、相手の言い分に耳を傾け、誤解や偏見をなくし、正しくその人と物事を見ることができる。これがわたくしの強みであり、実経験に基づいた揺るぎなきわたくしの信念となります。
 岸田首相の「聞く力」ならぬ「聴く力」を、わたくしは持っています。これは管理者に最も求められるはずの能力(の1つ)ではないでしょうか。
 わたくしは、[削除]株式会社在籍中に、上述した以外にも様々誹謗を受けてきました。なかには事実もありましょう。が、まるで事情聴取されなかったがゆえの誤解と偏見に塗れた誹謗中傷もあるのです。今回はこれらについて、わたくしの方から弁明したりするつもりは毛頭ありません。ただこれらの経験によって、上記申し上げたようなわたくしの強みや信念、行動理念を構築してくれた点で、この会社には感謝するのみなのであります。◆

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第3672日目 〈贖罪と責任。──労働についての独り語り。〉 [日々の思い・独り言]

 ウチの会社としてはちょっぴり珍しい仕事を経験してきました。物流関連の仕事が多いウチですが、時期的なものもあるのか、一年のうち何度か発生する(依頼を受ける)珍しい仕事とは、官公庁や役所、病院や学校、企業で使うパソコンと周辺機器のキッティング作業であります。内容が内容ですし、数日だけの作業なので、それ程多くの人数が必要になるわけではない。一現場につき三人が相場だそうだ。
 従って希望者多数の場合は抽選となるが、今回、わたくしはそのメンバーの一人になることができた。過去にPCのキッティングを仕事の一環とすることがあり、それを入社時にプレゼン(?)していたためと思しい。
 とまれ、わたくしは選ばれ、横須賀線の某駅からバスに乗り継ぎ某高校で作業に従事して再び横須賀線の客となり、その仕事を倩思い出しながら、「自分は変わったな」とポツリ呟いたのだ。八月お盆過ぎの或る日の宵刻。心地よい疲労が体のなかに横たわっている……。
 自分は変わった。その日の仕事を通して、ようやく実感できた。
 そのレア案件では幸運にも三名の募集枠に入ることができた。それが後日、当時メインにしていた物流倉庫で一緒になる人たちの話題に上り、質問攻めに遭ったのだが。曰く、どんな作業内容だったのか。曰く、どうしてお前が作業担当者になれたのか。煎じ詰めればこの二点である。
 最初の質問には、きちんと答えられる。好奇心か今後の参考かはともかく、興味を抱くのは自然の理だ。誰だって行ったことも見たこともない世界の出来事には興味津々なのだから。
 返答に窮したのは、二番目の質問だ。どうしてお前なのか、どうして自分ではなかったのか。袖の下をたんまり贈ったのか。担当者の弱みを握って恫喝したのか。勿論、そんなはずはない。法を犯す度胸がこの小市民にあるものか。
 さあどうしてだろう、偶々じゃないかな。そう濁してその場は済ませた。が──口にこそしないけれど──こちらが本稿の話題に即した部分なのだが──かれらは、会社の信用を多少なりとも欠く連衆だった。どういうことか。勤怠や勤務態度に難あり、だったのだ。限られた時間のなか、少ない人数ですべての作業を完了させる最大のポイントはなにか?
 PCの設置や配線、操作に抵抗ないこと? 運搬作業に耐えられる程度の体力があること? 作業工程全体を見渡して一つ一つの作業を如何に効率的に行ってゆけるか改善策を考えられること? ──ううむ、どれも正解の一つではあるンだが、最大のポイントとはいい難い。「最大のポイントはなにか」という質問に対してここで求められる正解は、「勤怠に穴を開けないこと」である。
 少ない人数で、限られた時間・日程で作業を完了させるいちばんのポイントは、所定時間から仕事が始められるよう、遅刻することなく余裕を持って現地に到着/出勤していることだ。これに尽きる。
 過去のわたくしを表面でしか知らぬ人は、どの口がそんな偉そうな台詞を吐くか、と顔をしかめ、或いは陰で嘲笑するだろう。が、わたくしは気にしない。思考が過去で停まり、旧態依然とした人々の陰口を気に病む必要はないからだ。そんなヒマ、人生には存在しない。〈人は変わるのだ/変わることができるのだ〉という当たり前の事実が理解できない人たちなど、放り棄ててよい。
 徒し事はともかく、普段とは異なる仕事を経験したことが、自分は変わった、と思えるようになったきっかけなのは、紛れもない事実である。特筆大書しよう。



 上で触れたレア案件もそうだったが。交互に行っている二、三ヶ所の物流現場(ピッキング、仕分け、etc.)を含めて、いずれの仕事もみな、愉しい、と胸を張っていうことができる。
 では、仕事に於いて「愉しい」とは、如何なる意味合いを持つか。みくらさんさんか思いまするに、──これについてはナポレオン・ヒルがとても良いことをいうている。便乗するわけでも借用するわけでも、模倣するのでもないけれど、『思考は現実化する』を読んで大いに、深く、心から首肯できた点でもあるので、わずかにアレンジして述べてみると──あまり気乗りしない業務であっても熱意と意欲を持って取り組み、収入以上の仕事をしたという実感を抱いて一日を終えられるかどうか、という点に、概ね集約できそうだ。これは業界・職種の別なく共通していえることだろう。
 加えるべき要素があるとすれば、職場の人間関係に恵まれるかどうか、だ。
 この、人間関係に恵まれる、について、私情も交えてお話しておきたい。
 求人広告(フリーペーパー、webどちらでも)に「職場の人間関係良好」とか「和気あいあいとした賑やかな職場です」「風通しのよい、なんでも相談しやすいアットホームな環境です」なんて文言が躍っているのが、散見される。まさかこんな確信犯めいたダマシ文句につられて(鵜呑みにして)応募、入社してしまうようなオッチョコチョイはいないでしょうが、そんな方がいたら是非問うてみたい。──あなたは努力なしにその職場に溶けこみ、労せずして〈良好な人間関係〉の一部になれたのですか、と。答えがイエスならば、あなたはその職場を去ってはいけない。解雇を申し渡されたらプライドを棄て恥も外聞もかなぐり捨てて、泣いて喚いて雇用の継続を嘆願するがよい。それが賢明だ。
 が、上の設問の一つにでも、ノー、と首を横に振らざるを得ないのなら……はじめのうちは(或る程度まで)自分から行動を起こして周囲へ働きかける必要があることを忘れてはならない。相手の状況を慮りながらコミュニケーションを取れ、相手に煙たがられない程度に己をプレゼンしてみてはどうか、報告も相談も質問を怠るな(=報連相を怠るな)、ということである。首を横に振ったあなたはおそらく、あらかじめお膳立てされている……最適化されている職場環境も人間関係もないことを、肌で感じてきているはずだから。
 新しい職場(現場)の上司・先輩諸氏からの熱烈歓迎を期待するのは、筋違いと覚悟しておくのが賢明だ。期待して許されるのはたぶん、歓迎会の席くらいだ。そりゃあ入社当初、配属当初は歓迎されましょう。だってあなたは、海の物とも山の物とも知れぬ未知の存在なのだから。が、そこで働く以上、あなたはお客様ではない。当初の歓迎ムードはやがて消え去る。あなたがその後、その職場でポジションを獲得するのか、必要で信頼される存在となれるのか、そのスタート地点になるのは、上に述べたような、自分からの働きかけに他ならぬのではないか。そんなあなたの姿を見て、それを周囲が認めてはじめて、「仲間」として迎えられ、仕事を任されるようになってゆくのではないか。自分を評価するのは他人なのである。
 文字にするとやたら鹿爪らしく、仰々しく、お堅いハナシとなるが、皆さん多かれ少なかれこうしたパターンを踏襲しているように見える。わが来し方を顧みても、そう思う。けっして独り合点ではあるまい。
 人間関係に恵まれる、とは、受動的な恩恵ではなく、あくまで自分からのアクションを出発点とした、能動的な行動の結果である。──残酷かもしれぬが、事実だ。結局のところ、「仕事の愉しさ」とは日本社会の場合、人間関係に左右されてしまう部分が大きいのは、否めぬ現実、動かし難い事実と申せよう(欧米社会でも人間関係に起因する離職は多いそうだ)。
 自分自身のこれまでを振り返り、点検してみると、人間関係に恵まれた職場での仕事は、肉体的精神的にどんなに大変でも、どんなに辛くても、うん、とても愉しかった、という記憶しかないな。上司・同僚に恵まれた会社での仕事は、「愉しかった」の一言でしか言い表せない。どれだけ歳月が流れようとも、鮮やかな思い出ばかりが残っている。いっしょに働く人は、働く上でとてもたいせつな要素なのだ。まァ、とはいうても喜ばしい記憶としてあるのは、不動産の営業と印刷会社での進行管理、物流現場での労働に限られており、──
 では、キャリアのもうひとつの柱たるコールセンター業に就いていた頃も人に恵まれて楽しく仕事できたかといえば、全く以て然に非ず。むしろ人間関係についてはまるで恵まれなかった所が殆どだ。
 個々の仕事は面白く、それなりにやり甲斐もあったが、いっしょに働く人たちについては離れて何年十何年が経つ現在なお哀れみと侮蔑の思いしか持てずにいる。そこは(コールセンターは)潜在的問題児の集積場所でしかなかった。社会的なモラルが欠落した管理者(堂々たるコンプライアンス違反や不倫の隠蔽に巧みな人、etc.)、オペレーター(肉体的疾患を陰でコソコソ囁き合い笑い合う、業務中でありながら入電の待機時間中はヒマだからと机に突っ伏して熟睡して過ごすいちばんスキル不足知識不足の輩、等)、……書きながら思い出して、疲れがどっと出た。信じられぬかもしれないがこんな人たちが、広い夜空の星の数程もあったのだ。そうしてそんな人たちの常なのか、斯様な連衆に限って上のウケ良くいつの間にか(昇格はせぬまでも)幅を効かせていてね。困ったものではあるけれど、組織での生き残り方、という面では参考すべき点が多かった。人間観察・生態調査の点でもそこは格好のフィールドで、人物素描・小説の登場人物の造形に大きく貢献してくれた。こうした点では、われに益あり、というてよいか。
 このあたりは中葉呆れ気味ながらメモワールで既に(ほぼ実名で)録したから、詳細はそちらへ譲りたい。ただ一言申し上げるなら──あゝ、かれらに情状酌量の余地はないですね。にもかかわらず、「愉しかった」と嘯くところのあるのは、偏に記憶の風化がもたらした弊害であろう。水に流したるわ、という蔑みも、ある。
 嫌みをいうな? なにを仰る、情状酌量の余地はない、の意味をよく噛みしめてから君、詭弁を弄す準備をし給えよ。自分らがしでかした悪戯と巫山戯と犯罪を、よもやお忘れではあるまい?



 歩む道が曲がったりそれたりしていても / 清く正しい行いをする人がある。(箴21:8)



 わたくしの現在を最後に述べれば、──
 ──過去のわたくしを知る人は、現在のわたくしを見て驚かれるかもしれない。仕事への意欲と熱意と勤勉ぶりに、である。
 様々な要因から今年2023/令和5年を、自己変革の一年とするのを年始に誓った。何事もなければ尻すぼみに、習慣化する前に薄れて霧消する意欲となったろう。が、そうはならなかった。実行し始めた矢先に悲痛なる私事が生じたことで、その誓いは有言実行以外の途を絶たれた。斯くして体に鞭打ち心を叱咤して、……プロレタリア小説の題材を幾つも提供できそうな、然れど仲間や上長に恵まれて仕事場へ行くのが楽しみな、肉体を酷使し周囲に気を配る労働現場での日々を送っている。
 世帯主となり一切の責任を負う立場となり、その代わり手はいないこと。過去を悔い、罪を償うこと。信じていただけなくても構わない。この二点ゆえにわたくしは、変わらざるを得なかった。断言できる。図らずも年頭の誓いが外圧内省によって実現・継続する形となったわけだ。
 そうしていま、わたくしは、──邪念を育む暇[イトマ]なく偽りの仮面を被る必要もない、ひたすら体を動かしひたすら汗を流し、夏場は熱中症を恐れて摂取した水分でお腹をタポタポにし、冬は体の芯まで凍らせるような冷気と戦い着ぶくれし、如何に作業を効率化して工程を減らすか知恵を絞り、いつ降りかかるか知れぬ危険を避けるために注意を払うような物流業界の最前線で、朝から晩まで労働に勤しんでいる。生の充実感はかつてよりもいまの方が、より優る。疲弊疲労も比例して、いまの方がより優る。

 繰り返す。「過去の悔恨や後ろめたさへの贖罪」と、「〈家〉を守る責任」を全うすること。これこそが、体を極限まで痛めつけてでも、限界以上に酷使してまでも〈働く〉理由であり、その原動力である。
 「コリントの信徒への手紙 一」でパウロは、「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。[神は]あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(10:13)と書く。引用は、新共同訳新約聖書より([]内引用者)。
 耐えられない試練、克服できない試練は与えられない。試練には逃れる道(方法)と克服する力が、セットで用意されている。なんと心強い励ましではないか。聖書の一節である。が、このような文言は、非キリスト者であっても胸のうちに留めてよい。

 時として、気乗りしなくても黙然と仕事に取り組む。それを後押しするのは、「家を守る責任」と「過去の贖罪」に他ならないことは、耳タコかもしれないが大事な部分なので、何度でも述べておく。そこに加えて前述した「コリントの信徒への手紙 一」のパウロの言葉と、ナポレオン・ヒルの本の一節が側面から、責任と贖罪という柱を支えている。
 朝目が覚めると、体の節々が悲鳴をあげて起きあがれない日がある。罹っている白血病の症状の一つに起因するか、全身に強い倦怠感や疲労を覚えて出勤拒否を考える日もある。それでも体に鞭打って気持ちを奮い立たせて、仕事に行く。
 当たり前の行為であるのに、病気を抱えながら出勤して仕事する、という単純な行動が難しい時はある(一年に一度は大きな病気をすると苦笑していた、未だ心に残るあの子も、きっと同じだったのだろう)。しかし、それを押して出勤し、一日の勤めを終えたあとの充実感、胸のうちを充たす喜びは一入だ。家のために流す汗と肉体に残る疲れの、なんと心地よいことか……。◆

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第3671日目 〈読書ノート、4冊目が終わり5冊目へ。〉 [日々の思い・独り言]

 たぶん4冊目の読書ノートが終わった。読了した本の感想や粗筋をそのたびに書いているわけではないでもなく、「これは……!」と思うたり必要ありと判断した本の抜き書きと自分のコメントを記しているだけだから、読書ノート、というてよいのか迷うのだが、それはともかく、たぶん4冊目のノートが昨日終わった。
 片柳弘史『何を信じて生きるのか』に始まって萩原朔太郎『恋愛名歌集』を経、六法から日本国憲法と芦辺信喜『憲法 第六版』から9条と96条に絞って抜き書き、或いは自分でまとめたところで、ノートは終わった。自2023年1月 日至同年8月10日。
 たった4冊? 一冊からの抜き書き量ってどれくらいなの? 疑問はご尤もだ。過去の3冊では平均して10冊程度の書名が簡易的な目次に列挙され、それぞれ数ページの抜き書きとコメントが記されているのに比較したら、4冊目のノートがわずか4冊の本で終わっているのは疑問でしかあるまい。
 タネ明かしをすれば、『恋愛名歌集』は抜き書きに非ず、読んでの感想と意見也。即ち過日本ブログで分載した感想文だかエッセイだか付かぬ代物の基になった文章が、4冊目の読書ノートの過半を占めているわけである。そのあとに、朔太郎が八代集から選歌したうちわたくしのお気に入り歌であるのを示す斜線を引いた一首一首を、専ら岩波書店の新日本古典文学大系に収まる八代集を底本にして書き写したページが続く。
 『恋愛名歌集』がノートに占める割合は、5割、というところだろう。それが原因で芦辺『憲法 第六版』96条についてのまとめや抜き書きが表3にまで及んでしまったのだのかもしれぬ、とは(流石に)考えすぎであろうか。
 とまれ、4冊目が終わった。憲法前文の抜粋と付箋に書き写して六法のページの余白へ貼りつけて(今し方のことだ)、さて、ノートは5冊目に突入する。
 部屋を片附けたりしている際に見附けた未使用もしくは殆ど使っていない大学ノートの山(という程の数ではないか)から適当に見繕って、それを5冊目にした。ついさっきまで、近所のワークマンとスーパーの帰りに立ち寄ったドトールでこの5冊目のノートを開いて、ページの左端の方へ30センチ定規をあてて2本の縦線をシャープペンで引く作業を、20ページ程進めてきた。これは抜き書き対象になる書物のページ数を記入する欄と、1行目1字アケを指示するガイドラインだ。これを怠ると、見た目が非常によろしくないのである……抜き書きやコメント書きが進むにつれて、各行がだんだんと右側へ右側へと寄ってしまってね。斜面の断面図を逆さにした格好になってしまうのだ。まァこんな地道な作業をあらかじめ済ませておかないと、新しくノートを始められない性分なのです。どうぞご遠慮なく笑っておくんなまし。
 さあ、5冊目の読書ノートの仕度はこれですっかり整うた。次は抜き書きとコメント、ときどきまとめ、だ。否、その前に対象書物の選定か。
 今度のノートはA罫、80枚というボリュームだ。いったい何冊の本の内容がこのノートに記録されるだろう。想像しているいまからもうワクワクしている。最後のページに至るまでの時間を思うと、なにもしていないいまから軽い疲労を覚えること無きにしも非ずだけれど。
 うーん、でもホント、なにを1冊目にしようかしら。現在読んでいる(含、目を通している)のが北岡伸一『自民党 政権党の38年』(中公文庫)と池上彰『池上彰の憲法入門』(ちくまプリマー新書)、川井龍介『社会を生きるための教科書』(岩波ジュニア新書)、中央公論新社ノンフィクション編集部『『安倍晋三回顧録』公式副読本 安倍元首相が語らなかった本当のこと』(中央公論新社)、渡辺秀樹『芦辺信喜 平和への憲法学』(岩波書店)、の5冊だから、このなかのどれかになる可能性が高いのだろうけれど……現実はどうなるかサッパリ分からぬ。案外と日本国憲法を全文、書き写していたりしてね。呵々。(※後日の報告)
 でも、手を動かしてノートへ抜き書きする、単純に書き写す、という作業を当たり前のようにやっていて思うのは、たしかに目ン玉動かして「読んだだけ」の時以上に内容は記憶に定着する、ということだ。ぼく、それらの本に関しては空で内容をいえたり、トピックを説明できたり、どのあたりにどんなことが書いてあったか、など「読んだだけ」の本に較べて鮮明に覚えていますもん。たしか、鹿島茂や佐藤優も同趣旨のことを書いていたなぁ。あ
 あらためて、知識の獲得の古典的手段にして王道なることを実感している。◆

 ※後日の報告
 上の本文初稿執筆から5日が経過した。初稿は8月11日17時26分稿、この報告は8月16日16時28分を以て棚上げした文章の冒頭部分に手を加えた上で転用している。
 さて、上で、5冊目の読書ノートは日本国憲法全文の書き写しに始まるかもしれない、と中葉冗談で書いた。結論から申せばそれは、冗談というか絵空事で終わった。が、件の戯れ言は或る意味で現実になったのだ。
 即ち、ノートの冒頭を飾ったのこそ鹿島茂『成功する読書日記』だったが、その次に書き抜いたのは日本国憲法前文となったからである。前文の抜粋は既に4冊目で行っていたが、最初から最後まで前文を全文書き写したのは初めてのことである(ややこしいな)。
 これを後日の報告とさせていただき、──擱筆。□

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第3670日目 〈みくらさんさんか、憲法について独習を始める──9条と96条を取っ掛かりにして。〉 [日々の思い・独り言]

 けっして唐突な流れではなかった。必然性を充分に伴うものだったのだ。6月に読み終えていた青木理『安倍三代』(朝日文庫)のノートを抜き書きしている最中、憲法九条と九六条について知りたいと思い立った。安倍晋三の章を読んでいれば必然であった、と思うている。
 その流れで『ポケット六法 令和四年版』(有斐閣)を繙いて九条と九六条をノートへ書き写し、芦辺信喜『憲法 第六版』(岩波書店)の当該章を読んで抜き書きした。その作業は今日、つい先程終了、いまから30分も経たぬ前。延べ四日にわたる作業で、ノート13ページに及ぶ(最後の1ページは裏表紙の内側、いわゆる表3でだ)。抜き書きというても純粋に引用した(丸々書き写した)箇所もあれば、文章は著者のそれに則りつつ自分なりにまとめた箇所もある。
 どこかに書いた記憶があるけれどたぶんブログではないので堂々と申しあげれば、一昨年あたりだ、大日本帝国憲法及び日本国憲法に関する本(殆ど文庫)をまとめて買い求め、折に触れて目を通すことがあったのは。ただその頃買い集めたものは過半が〈憲法の歴史〉に属しており、伊藤博文と美濃部達吉が解説した文庫と、新憲法公布時に時の内閣や文部省が発行したパンフレットをまとめた文庫が混じる程度(後者は当時、本ブログに感想めいた一文をお披露目した覚えがある)。
 つまり、これまでわたくしが、憲法に関して持っていた興味とは専らその成立にまつわる諸事であり、発議から公布までどのような人たちが関わり、如何なるドラマがあったのか、ということだったのだ。それがこのタイミングで六法を繙き、芦辺信喜の本やもう少し深く掘りさげた解説書に手を延ばしたのは、やはり安倍晋三の「芦辺信喜を知らない」発言が改めて意識の表層に上ってきて、無視できなくなったからである。
 それは2013年03月29日の参議院予算委員会でのことだった。民主党の小西洋之議員が、憲法改正を目指す安倍首相に「憲法学者の芦辺信喜という人を知っているか」と質問した。それに答えた安倍首相の発言が、大いに物議をかもしたのである。曰く、「私は憲法学の権威でもございませんし、学生だったこともございませんので、(芦辺信喜という人のことは)存じ上げておりません」と。
 その答弁を見た首相の母校成蹊大学の恩師が一様に嗟嘆し、難じる様子を、青木の著書は描いている。そのひとり、加藤節の言に曰く、「[芦辺『憲法』は安倍が卒業後に刊行されているが、]しかし[芦辺信喜は]圧倒的なオーソリティーですよ。しかも、憲法改正を訴えているんですから、(芦辺を)『知らない』なんて言うべきではない。まさに無知であることをまったく恥じていない。戦後の日本が、過去の世代が、営々と議論して築きあげてきた歴史を学ぼうともせず、敬意すら持たない。おそるべき政治の劣化です」(P258)と。
 いやしくも憲法改正を是とし綱領に掲げる党の総裁であり、たびたび憲法改正への熱意を見せて口にもしてきた人物の台詞とは到底思えぬ。では、その芦辺信喜の主著であり、こんにちに至るまでアップデートが繰り返されてきた、憲法を学ぶ/憲法について語る際必読必携とされてきた岩波書店刊『憲法』で、安倍が改憲の本丸とした九条と改憲への道均しとして最初に(改正に)着手しようとした九六条を、芦辺はどのように解説しているか。
 そんな好奇心が、『安倍三代』ノートを終えたわたくしを六法に向かわせ、芦辺『憲法』へ誘ったのだ。なお、わたくしが読書と抜き書きに用いた『憲法』は、2015年03月発行の第六版である。現在はまだ第七版が流通しているが、今月8月には第八版が刊行される由。
 既述のように今回は全体の読書ではなく、九条と九六条に絞った摘まみ読みであるから、要らぬ馬脚を現さぬよう務めて話すことにするが、芦辺信喜という人は非常に優れたバランス感覚の持ち主だ。対立する説を紹介するにあたってどちらへ肩入れすることは当然なく、それでも現在の学界の大勢を述べてその話題に(ページの上では)終止符を打つ。
 これによって学習者、或いはわたくしのような専門外の天邪鬼がどんな印象を著者に持つかというと、偏に、「信頼」である。これは信じるに足る本だ、この人の書くものは信用できる。そんな印象を抱くのだ。書き手と読み手の波長もあるだろうが、文章は明解で、誠実だ。学識に裏打ちされて、奥が深い。各種判例への目配りも効いている。まずは本書と、もう少し平易な解説書、もう少し詳細な解説書と、もちろん六法(というより憲法全文を載せたテキスト)があれば、憲法を学ぶ出発点には充分すぎるのではないか。──そんな風に、特定の条文しか読んでいないものでさえ感じてしまうのである。
 元は青木理『安倍三代』の感想文を書くにあたって、就中晋三の章へ触れる際、知識として知っておきたいな、という軽い気持から六法と芦辺『憲法』に手を延ばした。数日を費やして九条と九六条に絞った摘まみ読みと抜き書きを実施して胸にうかぶのは、どうしてこんなに気高く、理想と熱意に満ちた、平和を具現したような憲法(ここでは九条に特化しておりますが)を改正する必要があるのか、という素朴な疑問。
 ときどきの国際情勢や国内事情等によって、細かく点検してゆけば改正が必要とされる条文は確かにあろう。時代にそぐわなくなってきている、というのではない。本当に改正がいまのこの時代に必要なのか、必要であるならばそれはいったいどうしてなのか、改正以外の選択肢はすべて失われたのか、等々充分に、存分に、時間をたっぷり費やして論議を尽くしてからでも遅くはないのではないか、現行憲法の改正を国会で発議し、国民投票を実施して、天皇がそれを国民の名で公布するのは。
 たとえば九条について、少なくともわたくしは、目の前に迫った事態への対応案が合憲かどうかは都度国会で(閉会中であっても)論じ合ったり、必要なときは解散して国民に審判を仰ぐなど、これまで通りで良いのではないかな、と思うております。ガチガチに規定してしまうことは却って、事態への対処が鈍化して足許を掬われたり、手痛いしっぺ返しを喰らう危険性を増すばかりではないでしょうか。
 芦辺信喜は憲法改正の章の終わり近く、「憲法の変遷」の項目でこう書いている。曰く、──

 (憲法も「生ける法」ゆえに規範の意味に変化が生じ、趣旨・目的を拡充させる憲法現実が存在すること自体は問題ではない。むしろ)問題は、規範に真正面から反するような現実が生起し、それが、一定の段階に達したとき、規範を改正したのと同じような法的効果を生ずると解することができるかどうか、そういう意味の「憲法の変遷」が認められるかどうか、ということである。(P399)

──と。
 いまは憲法改正に賛成する人の割合が、反対する人のそれを上回っている時代だ。近年の北朝鮮のミサイル発射実験・核開発や中国の覇権拡大・領海侵犯、昨年2月に始まり現在も続くロシアのウクライナ侵攻(プーチンによる核兵器の使用示唆)が、改憲派のエビデンスとなっている。
 が、わたくしにはそれが、「事態解決(打開)の手段を考えること」、「粘り強く交渉を行ってゆくこと」、「双方合意の着地点を見附ける努力を惜しまないこと」を放棄した連衆の戯れ言に聞こえる。
 力には力を以て当たるべし、なんて武力行使以外の解決策の検討・模索は放棄するに如くはなし、とでもかれらは考えているのだろうか……それこそ戦前の、軍閥が政治の中枢を占めて戦争に突っ走っていったあの時代の再現ではないか。「戦争は人類の知性の敗北である」と誰がいったか忘れたが、現在の改憲派はこれを地でゆく人たちの集合体としかわたくしの目には映らない。
 独断や暴走を止めるための抑止力となっているのが、過去の行いへの反省から生まれた現在の日本国憲法のはずなのだが、それをどうして立憲主義、平和主義の原則をねじ曲げてまで改正にひた走ろうとしていたのか──。
 現行憲法がけっしてGHQからのお仕着せ憲法(押しつけ憲法)でないことは、成立過程を知れば瞭然だ。なのにどうしてそれに目を瞑るような真似をして自分たちに都合のいい改憲を実現させようとしたのか──。
 憲法の救いは、安倍政権がモリカケサクラ疑惑の直撃を受けて改憲のチャンスを自ら葬ってしまったことと、続く菅・岸田政権が改憲のタイミングを摑めなかった(見極められなかった)ことにあるかもしれない。
 むろん、予断は禁物。岸田政権はまだしばらく続きそうな勢いだし、それに続く政権がいつ何時都合のいい改憲を実現させようと目論むかもしれないから。われら日本国民は憲法の立憲主義に則って時の内閣と時の議員たちの言動に注意を払い続けなければならない。それが、日本国憲法を法典の頂点に戴くわれら国民の義務だろう。◆


憲法 第八版

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  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2023/09/28
  • メディア: Kindle版









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第3669日目 〈隔絶された空間で設計する、実現すべき未来 ──ナポレオン・ヒル『思考は現実化する』を読んで。〉 [日々の思い・独り言]

 突然の出来事に混乱するなかで、荷物に入れた本のあったことは幸いであった。退屈な病室での午後をやり過ごすに本は最適のアイテムだったから。覚えておくといい、モバイル端末は時に回線速度の遅滞やデータ容量の制限によって要らぬストレスを生み出して症状に障りをもたらす代物に早変わりするが、紙の本に斯様な支障はなんら存在しないことを。Kindleについては一旦無視する。
 入院期間約2週間で読書に励むことのできたのは、内10日程であったか。高気圧酸素治療とリハビリ、MRI検査は大概午前中に集中したので昼食の済んだ午後はなんの予定もない時間だ。この長大なる空白の時間を前にして、わたくしは途方に暮れた。今日一日ばかりの話ではない、入院している間はこの状態がずっと続く。午睡も結構、但し夜寝られなくなるのでご注意を。病院で独り眠られぬ夜を過ごすことは普段以上の苦痛を感じさせる。場所が場所だけに思考はどんどんネガティヴな方へと落ちこんでゆきそうだ。
 『クージョ』というスティーヴン・キングの小説がある。狂犬病に罹ったセントバーナードの話だが、そのなかで不倫した人妻が夫相手にする「空しさ」についての会話があった。子供が幼稚園に行くようになってしまうと独り家に取り残された自分は、暇な時間をなにかで埋めていかなくてはならない。それがとても不安なのだ。続けて曰く、──

 あなたは空しさというものがどういうものか知らないのよ、ヴィク。(中略)人気のない部屋を掃除しながら、ときどき外の風の音を聞くことがある。でもそれが自分の心のなかを吹く風の音のように聞こえることがあるのよ。そんなときはボブ・シーガーやJ.J.ケイルかだれかのレコードを聞くんだけど、やっぱり風の音は聞こえるし、役にも立たないさまざまな考えがうかんでくるわ。(P143 永井淳・訳 新潮文庫 1983/09)

──と。
 この気持、病室に独りでいる間何度となく味わった。外の風はなにをしていても聞こえるし、無用な考え・不埒な考えがあとからあとから湧いて出る。そうしてふとした瞬間に訪れる、ぽっかりと穴が開いたような空虚な時間──。
 が、幸いとわたくしは火遊びに興じなくても済んだ。わたくしには本がある。救急車を待つ間にまとめていた荷物のなかに読みかけの、或いはこれから読むつもりでいた本が入れてある。おお、目の前に広がる茫漠とした時間を埋めるに、これ程格好なアイテムがあろうか。これ程健全な時間潰しの方法があるか。これぞ天の配剤。
 そうして勇躍読み始めたのがナポレオン・ヒル『思考は現実化する』と、アジア・パシフィック・イニシアティブ『検証 安倍政権』である(補記参照)。
 もとより広義の成功哲学については一文を草する予定があった。『思考は現実化する』はそのための読書の最初を担ったわけだが、結果的に非常に機を得た読書となった。これは病室という普段の生活から完全に切り離された環境で読むのに相応しい一冊だった。細切れ時間に読むようなものではない、ということである。
 持参したのは文庫版上巻のみだったから、お見舞い/面会の際頼んで下巻を持ってきてもらった。試みに入院中にメモ・アプリで書いていた日記を開くと、上巻は07月05日午後〜07月09日07時38分、下巻は07月09日午後〜07月12日16時09分、それぞれ始めて読了となっている。ベッドに寝転がったり胡坐をかいたりして、読み耽ったのだ。気になる箇所、共鳴した箇所あらばページの上端を折ってその日のうちにメモ・アプリへ打ちこんで。
 入院中にこれが読めたことは幸運であった。細切れ時間云々のみの話ではない。日常と隔絶された環境に在って、己の行く末を冷静に、真摯に、客観的に、現実的に、来し方の反省を存分に踏まえて思いを巡らし、設計するのみばかりでなく描いた未来を実現するため今後なにを強く願い、そのためにどう行動し、熱意持ってそれに取り組み、義務と約束を果たしながら財を築き蓄え育ててゆくか、という〈お金持ちのなるための方法とプロセス、及びその実現〉について具体的な案を練ることができたからである。お金はあるに越したことはない。あればあるだけ生活の不安は解消されてゆく。有事の際お金のあることは安心材料となる。これを否定したり呵々したりするのは、お金の強さと怖さを身をもって経験したことのないシアワセモノだけであります。わたくしは経験と実感に基づいてこれを断言する。
 さて、退院して驚くべきことに早くも3週間が経とうとしている。その間わたくしは、入院中に描いた〈お金持ちのなるための方法とプロセス、及びその実現〉の端緒に手を着けることができたか。──残念ながら、頭を振るより他ない。日々の肉体労働と諸々の支払に追われる日常が戻ってきただけである。
 が、望みの灯し火は消えていない。否、その輝きは増す一方である。稼いだお金は手にした途端、生活のために何処ともなく飛んでゆく。税金、公共料金、保険料、生活費、等々等。ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュースではないがそれは、簡単なこと(Simple as that)、なのだ。息を吸って吐いているだけで、いったい1ヶ月にウン万円以上はかかってしまう世知辛さ。が、望みの灯し火がその輝きを失わない限り、火勢が衰えても燠火として燻っている限り、残ったお金を(生活を圧迫させない程度に)貯蓄へ回す習慣と意思はわたくしのなかにあり続けるだろう。
 「望みだけで富を手にすることはできない」(下P39)とヒルはいう。然り。富を獲得するために必要なのは、成功する、富める者になる、という明確な願望と、不断の忍耐力に裏附けられたしっかりとした計画、である。「富は思考から出発する」(上P210)のだ。
 更にいい添えれば、心のなかに住まわせるべきは不安や恐れ、猜疑や嫉妬、怠惰といった負のメンタルではなく、富を得た自分の姿と願望成就させる燃えるような熱意、である。
 いみじくもナポレオン・ヒルはこう述べる。引いて擱筆としよう。曰く、──

 成功は成功を確信する人のもとに訪れる。少しでも失敗を意識すれば失敗する。(上P142)

──と。これ程明解な成功哲学は、そうそうあるものでない。◆

 補記
 『検証 安倍政権』についてこのような文章を書くことはないだろう。Twitterの読了ツイートがすべてだ。が、最後の改憲の章は青木理『安倍三代』を読んでの感想文に、芦辺信喜『憲法』共々絡められる部分あるのではないか、と思案している。□


検証 安倍政権 保守とリアリズムの政治 (文春新書 1346)

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  • 作者: アジア・パシフィック・イニシアティブ
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2022/01/20
  • メディア: 新書




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第3668日目 〈入院中に見た夢は、記録あるがゆえに残酷さを増す。〉 [日々の思い・独り言]

 入院の間はずっと夢を見ていた。現実ではないのが無念に思われる夢だった。
 スマホで入力し、PCで修正補訂をしていた日記を開くと、その折々に見た夢の内容が綴ってある。何日も経ついまでも場面場面を鮮やかに思い出せるのは、そのおかげだ。
 とはいえ、それゆえにこそ残酷である。なにもしなければそのまま忘却してゆくか、解像度の低い断片的な映像がしばらく残るのが精々なのに、日記の存在がそれを阻んでいるのだから。
 よみがえってくる夢は、生々しい。リアリティがある、を通り越して、現実そのものだ。
 皮膚に触れる空気の涼やかさ、肌を撫でてゆく風の感触、鼻腔をくすぐる匂い香り。記録はそんな細部までも精彩によみがえらせる、
 誰かとかわした言葉、触れ合い重ね合った肌のぬくもり、どこでなにをしていたのか。記録を媒介にしてあの夢を、書かれていないところまで再現して追体験することができる。
 いろいろな人が、夢に現れた。会ったこともない有名人や一般人、とてもよく知る人、亡くなった人々、逢うことは最早できない人。頻繁に現れた人がすなわち想いの深い人であるならば、おはらななかは生ある人のなかではその唯一となる。いつでも、どこでも一緒だった。互いの指に光るものがあった。
 咨、入院の間はずっと夢を見ていた。現実ではないのが無念に思われる夢だった。◆

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第3667日目 〈あの人も、脳梗塞だった。〉 [日々の思い・独り言]

 ちょうど2週間前の今日日曜日の今頃14時30分頃、異変に気附いて救急車を呼んだ。
 いまは2023年7月16日14時31分。家の裏の道路を、サイレンを鳴らして救急車が走ってゆく。午前中にも1台、いた。近附いてくるサイレンを聞くと、ビクッ、とする。心拍数を図ってみたら、急激な上昇値を示すだろう。家の裏を通り過ぎた途端、徐々に心拍が落ち着いてゆくのがわかる。呼んだ人には申し訳ないが、それが実際だ。もちろん、裏の路地へ入りこんだり、目と鼻の先で停まったら、そんなこともいうておられぬが……。

 今日も暑い。日本海側は豪雨で避難指示まで出されている自治体があるのに、太平洋側の此方は暑さでゆだっている。外では元気に蝉が鳴き、室内では汗が首筋を滴り落ちてゆく。
 横浜の現在気温は34度、真夏日で、風はそよとも吹かぬ。熱中症警戒アラートは暑さ指数31.3と33以下のせいもあってか発表されていない。ただ、NHKの防災アプリ経由で「厳重警戒/無用な外出は控えてましょう。激しい運動は禁止です」旨のメッセージは出されている。
 猛暑日と真夏日の違いを、気象庁と環境省のHPから引用しよう。曰く、──

 【気象庁】
最高気温が35℃以上の日を猛暑日、30℃以上の日を真夏日、25℃以上の日を夏日、0℃未満の日を真冬日といいます。最低気温が0℃未満の日を冬日といいます。

 【環境省】
暑さ指数と熱中症アラートの関係;熱中症リスクの極めて高い気象条件が予測された場合に、予防行動を促すための広く情報発信を行うため、 発表には熱中症との相関が高い「暑さ指数」を用います。
 暑さ指数の値が33以上と予測された場合、気象庁の府県予報区等を単位として発表します(発表単位の詳細についてはこちら)。また、発表内容には、暑さ指数の予測値や予想最高気温の値だけでなく、具体的に取るべき熱中症予防行動も含まれていることが特徴です。

──と。
 嗚呼、読者諸兄よ、皆さん、くれぐれも熱中症にならぬよう注意を払って行動しましょうね。それが引き起こす種々の病気で未来の可能性を萎めたりしないで。

 比較的早いタイミングで救急に通報したお陰で、脳梗塞は軽症で済み、高気圧酸素治療の終了を待って退院することができた。発症から4.5時間以内に病院へ搬送されて、優秀なスタッフの方々が適切に処置してくださったお陰だ(それも駆けつけた救急隊員の決断の結果である)。
 あの日曜日の昼下がり、すぐに救急に連絡していなかったら、入院期間はもっと延びていて、以後の人生はこれの後遺症に悩まされる羽目になっていただろう。いい方を変えようか、こんな文章をのんびりと綴っていられはしなかったろうな、と。
 勿論、油断はできない。こまめな水分補充と塩分の意識的摂取は当然として、近所への買い物であっても午後は夕方になるのを待って出掛けるようにしている。庭の水撒きとか周りを掃いたり、というのは午前の仕事だ。帽子を被ってペットボトルを持って、ついでに個包装の塩分タブレットも、ズボンのポケットへ忍ばせて。
 電車に乗って出掛ける、というのであれば最初から相応の準備はしっかり済ませて家を出るから、熱中症予防の仕度もそう面倒臭いものではないけれど、屋外の掃除や近所で買い物のときさえ同じような仕度が生じるのは、ちょっとなぁ……。でも、再び脳梗塞をやって再起不能になったりするよりはマシだ。逆にいえば、そこまでやらないと、ほんのわずかの時間の外出も怖くてたまらないのである。
 それを踏まえて話せば、外出時は帽子を被るか日傘を差すか、でいま悩んでいる。看護師や作業療法士の方、近所の知己の方の話をまとめれば、断然後者、日傘が優勢で、その利点は自分でもじゅうぶん納得できるのだが……んんん、やっぱり抵抗があるんだよなぁ。いや、そんなこというている場合じゃない、ってのは重々承知しているんですけれどね。

 入院中に溜まった新聞に目を通していると、夕刊に興味深い記事を発見した。
 コメディアンの萩本欽一氏、欽ちゃんね、脳梗塞を患った過去があるのですね。発症は昨年7月13日という。
 朝起きたら右手に痺れを感じて、目眩に襲われたそうだ。愛煙家ゆえあらかじめ医師から警告されていたため、脳梗塞の可能性を直感したという。マネージャーの車で大学病院に担ぎこまれて検査されると、脳梗塞で緊急入院となった由。
 脳梗塞には脳塞栓と脳血栓があるのだが、欽ちゃんは脳の血管に血が詰まり酸素が全体にいき巡りにくくなる脳血栓であった。わたくしと同じだ。
 7日で退院できた、と記事にはある。驚異的なスピードだ。わたくしは10回1セットの高気圧酸素治療が終わるのを待って退院したが、7日という日数を信じれば恐らく欽ちゃんは酸素治療をしないで他の治療を受けたのではないか。というのも酸素治療は、丸窓が幾つも開いているとはいえ人一人横たわって入るが精々の円筒カプセルで約1時間、100%の酸素を浴びる治療ゆえ、閉所恐怖症の方や高齢の方はカプセルに10回も入ることが、さまざまな理由で困難である場合があるからだ。
 子供の頃からテレビのブラウン管で親しんできた人物が、まさか自分と同じ季節に同じ病気を患い、自分と同じように早期退院を果たしていようとは、この連載記事を読むまで知らないことであった。
 この記事はあと1回、今週土曜日の夕刊に掲載されて完結する。そこに術後のことなど語られるのかもしれないが、退院後、欽ちゃんがどのように日々の生活に配慮するようになったのか、どのような薬を服んで、どれくらいの間隔で通院しているのか、通院の際どのような治療を行っているのか、等自分の今後の参照にできるようなことが書かれていれば良いな、と自分勝手な夢想をしている。
 やはり発症したら(自覚したら)すぐに、後回しにしたりせず、なにを躊躇うこともなく救急に電話して、然るべき病院に搬送してもらおう。1分1秒を争う事態であることを忘れてはいけない。◆

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第3666日目 〈Twitterで更新通知が流れないのは、なぜ?〉 [日々の思い・独り言]

 Q;Twitterでの更新通知がまるでされませんが、どうしてですか?
 A;わたくしにも分からない。新規投稿の際はTwitter連携されるよう設定してあるのですが。
 ──本当にこの程度しかいえないのです。質問しようにもどこへ訊けばいいのだろう。So-netブログの運営か、Twitterなのか。まァ、前者なんでしょうけれど、まともな回答が返ってくるのか疑問である(※)。“X”へ移行したことに伴う仕様変更であろうが……。
 Twitter騒動を巡る最新の報道は、閲覧制限の実施に関するもののようです。個人的なところを述べると、閲覧制限されてもあまり不自由は感じない。むしろ、いつもと同じような感触だ。数週間前にフォローの見直しを行い、徹底的に・厳密に、その人数をどんどん減らしていまや50台に落ち着かせたことで、不自由を感じることもなく閲覧制限と無縁でいられるのかもしれない。
 むしろわたくしに問題なのは、ブログの更新ツイートが或る日突然できなくなった点だ。6月に更新を再開してすぐだったと記憶する。再開して更新ツイートが一度でも流れたかどうか、記憶に定かではない。何回かはツイートされたような気がするんだけど……。
 ブログの「よくある質問」を参照して設定ページをいじくってみて、事態はまったく改善する気配がない。数日は様子見した。が、何日経ってもこちらのタイムラインにブログの更新ツイートは、流れてこぬ。その状態がさらにまた何日か続いて、──
 もう諦めた。
 日々のアクセス数は、四分の一くらい減った。Twitter頼みだった部分がそのままマイナスに転じた格好だ。正直なところ、それでも日々訪れてくれる読者諸兄はいてくださるので、数字についてはもう気にかけないことにした。
 が、いちばん(というか唯一)頭を悩ませて嗟嘆しているのは、最新記事へのアクセス数が著しく落ちこんだことにある。これには参った。最前の設定ページをいじくって云々はこれの打開が目的でもあったのだが……お察しのようにこちらの問題もまるで解決の兆しがない。
 解決したい問題とは解決しない問題でもある。
 Q;Twitterでの更新通知は、このままずっと行われないのでしょうか?
 A;分からない。わたくしにはなにも分からない。或る日突然前触れなしで、以前のように更新ツイートが流れるようになるといいのだが(※)。◆

※本稿執筆前にブログ運営に質問のメールを流したが、待てど暮らせど返信はなかった。そのため見切り発車で本稿を執筆したのであるが、5日程前にようやく返信があった。
 予想通り、Twitterが“X”と名称変更、各種仕様を変更したのに伴い、So-netブログもTwitter投稿の仕様を変更した由。
 既に告知と実作業は4月に為されていた様であるが、ブログトップページに記載なく、登録者への連絡もなく、よくある質問等にその旨記載まったくなかったのが、返信メールには明らかに日附を遡って作成された仕様変更に伴うTwitter投稿の中止が告知されていた。
 為、今後これまで同様のTwitterでの自動更新通知はできなくなってしまった。残念である。もっとわかりやすく告知していただきたかった。
2023年07月15日 11時48分

2023年10月04日 0時30分;※追記


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第3665日目 〈退院翌日、脳神経外科の本を買う。〉 [日々の思い・独り言]

 病気の再発や病院への逆戻りが怖くて、本音をいえば(夏の間は)外出したくない。が、そうもいうていられないのが現実だ。白血病の薬が入院最終日の朝に底を着いたので、退院の翌日からかかりつけの病院に来た。治療ではなく、処方箋をもらいに来たのである。
 その帰り道に立ち寄った書店で、脳神経外科看護の本を購入したのは、白血病と同様自分が罹っている病気について知りたい、という好奇心、探究心からのこと。ぱらぱら目繰って自分の理解がどうにか追いつき、知りたいことが載っている本は2冊あった。両方とも買えてしまえばなんの問題もないが、今後いろいろと支払も残っている身に専門書を複数冊一緒に買うというのは清水の舞台から飛び降りるよりも慎重を要する。
 為、今回は知りたいことがより多く載っている方を選んだ。入院中に受けていた点滴注射の溶解薬や、入院途中から服み始めた血液をさらさらにする薬が写真付きで紹介されている本である。初日と翌日に行った脳梗塞の判断チェックについても分かる文章で書かれた本でもある。途中、今回は幸いと無縁で済んだ開頭手術や脳血管内治療、ドレーン管理などわたくしよりも重い症状の場合に必要とされる治療各種についてもページが割かれているが、もしこのような手術や治療が必要になっていたら、いったい自分はこれから先どうやって生きて行くことになるのだろう……と暗然とさせられたことである。
 書店の帰り道、カフェに立ち寄った。病室で撮った写真を見ながら本稿を進め、その本にも目を通している。脳神経疾患の症状説明や症状の確認方法など、今回の入院と大いに関係ある章を読んでいると、看護師の方々が異口同音に仰った言葉が否応なく思い出される。曰く、本当に早い段階で判断して救急車を呼んで良かったねぇ、と。少しでも通報が遅れていたら重症化していたかもしれない、とも。
 症状の訪れは突然だった。庭の草むしりや家の周りを掃いて、その直前は過ごしていた。家に上がって会社に提出する書類を書いてしまおうとしたとき、右腕が固定されることなくすぐにだらりと落ちてしまった。はじめは右肩がなにかの拍子に脱臼したのか、と思うて様子見するつもりだった。しかし、脱臼であれば相当の痛みを感じているはずだ。それが、ない。書類に記入する際も、右手でペンは持てても指先に殆ど力が入らない。書かれた文字はかなり弱々しい。いつもの自分の字ではなかった。
 気附くと、だんだん正常な判断力が同時に失われてゆくような気もしてきた。書類を書いたあとは金融機関に出掛けて、お金を下ろしてくるつもりだった。が、本能がそれを取り止めるよう命じている。スマホで病気の診断サイトを複数検索して、そのどれもが脳梗塞(他)の疑いあり、と診断を下すのに身震いした。まさか!
 取り敢えず掛かり付けの病院に電話して症状を訴えた。その時点ではじめて、自分でも言葉の呂律が回っていないのに気がついた。ちゃんと喋ろうとすればする程、言葉はうまく出て来ない。すると、「電話越しでも脳梗塞の可能性を感じます。うちは脳外科がないので受け入れできないが、いますぐ救急車を呼んでくださいっ!!」と、かなり切迫した声で指示された。最早それくらい症状は明瞭なのか。
 暗澹とした気分で次にやったのは、まず会社への連絡である。脳梗塞の疑いあり救急車を呼ぶので、明日は休ませてほしい。電話に出た社員(所長)はかなり疑わしげで、相当投げやりな態度で渋々明日の欠勤に同意した。わたくしは所長の対応もその時の声調もけっして忘れない。
 無意味な怒りを感じつつ、ようやく119番に電話して、たどたどしくも必要事項を伝達した。15分くらいで救急車が到着する由。それまでに身の回りのものをリュックに放りこみ、玄関に坐りこんで救急車の到着を待った。自分の足で動けるのが唯一の幸い事だった。
 そうして到着した救急要員の先導で救急車に乗りこんで、お薬手帳を見せて症状の確認と意識の確認をされた後に搬送先が選ばれて──入院していた病院に担ぎこまれた。
 「第3657日目 〈脳梗塞の疑い有りで入院したわたくし。〉」で書いているため、これ以上の重複は避けよう……って読み直してみたら、これ以上は重複しようがないのね。あちらでは時間を交えて書いたことを、こちらでは時間表記を外しているだけに等しいから。ちなみに前者は入院した夜にスマホのメモアプリに入力、翌日補記した日記から一部転載したことをお断りしておく。
 入院生活12日、前半はとにかく点滴がお友達状態であった。どこへ行くにも点滴スタンドを押して歩き、落滴を調整できる装置が付いたスタンドになるとわずか数ミリの段差に反応してビー、ビー警報音を鳴り響かせる。日中ならともかく夜お手洗いに立ったときに鳴かれると、困った。それを止めて再び作動させる権限を持つ人が限られているので、看護師さんが来てくれるのを待つよりなく、時に真っ暗闇のなかぼんやり立ちすくんでいるわたくしの姿は、事情を知らない人が見たらまさしくホラー、病院の怪談、である。正直なところ、笑い話ではない。まァそのお陰で、段差がある所に差しかかるとスタンドをゆっくり、そっと、両手で持ちあげて、静かに床に下ろす動作が身についた。落滴調整装置が付かない普通の点滴スタンドになっても、自然とその動作になっていたことこそ笑い話というべきであろう。
 スタンドを両手で持ちあげられたことは、右腕の位置をキープできるようになり、右手の握力も戻ってきたことを意味する。これは翌日夜には分かっていたことだけれど(食事で汁物のお椀を引っ繰り返すことなく持ちあげ、口許まで運んで元に戻すことができた)、改めて点滴スタンドというそれなりに重量のある代物を持つことができたのは静かな喜びであった。これが看護師の方々が異口同音にわたくしにいうた、本当に早い段階で判断して救急車を呼んで良かったねぇ、少しでも通報が遅れていたら重症化していたかもしれない、という台詞の背景の一つだろう。
 入院中は4人部屋を最後まで1人で使っていたこともあり、血圧・血中酸素濃度・体温測定その他諸々の用事で部屋に出入りする看護師や回診されている医師、看護補助の方々、アメニティ会社の方々と比較的言葉を交わす機会は多かった。その内容はすべてではないけれど、メモアプリに記録した(先述の日記である)のだが、それらはいずれも実体験に基づいたヒアリング内容である。が、こちらに知識がないために聞き取って記録した内容には錯誤や誤解も相応にあろう。
 それを正す目的あることも含めて、脳神経外科の本を購入した。元々難聴気味だっただけでなく昨年は慢性ながら白血病を発症し、今回図らずも脳梗塞なんて病気まで体験した。癌によって闘病を余儀なくされた母のそばにいたことで、必然的に癌についても無関心ではなくなった。趣味:読書の範疇に医学書を含める人がどれだけいるか分からないけれど、特定の病気を患った過去を持つ人ならば誰しも容易に手を伸ばし得るジャンルでもあるだろう。わたくしが折節大きな書店へ行くたび毎に医学書コーナーに彷徨いこんであちらこちらと手にしているのは、自分が経験した病気について、治療について、医療従事者がどのような勉強をしているのか、単純に「知りたい」という好奇心からなのである。◆

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第3664日目 〈〝アフター・脳梗塞〟から〝ウィズ・脳梗塞〟へ──入院生活最終日の朝。〉 [日々の思い・独り言]

 2023年07月13日(木)06時39分。天候は曇り、いちおう空は明るい。鉛色ではないけれど、すっきりしない空の色だ。雨の降る兆しは認められないが、宵刻の頃に小雨という予報である。
 この天気は今週末まで続く様子。九州北部と中国地方西部にかかっていた線状降水帯はゆっくりと東に移動して、いまは北陸と東北の日本海側地方にかの大雨を降らせているという。太平洋側から日本海側へ一直線に突き抜けるようにして伸びている雨雲もあって、それは静岡から長野、群馬を経て新潟のあたりまで広がっている。こちらは梅雨前線だろうか。
 そうして本稿を書いているいまは──入院生活最終日の朝である。12日間をこの病院で過ごした。あと7時間程で退院となり、住み馴れたこの病室とも永遠にお別れとなる。
 入院翌日の朝、「第3657日目 〈脳梗塞の疑い有りで入院したわたくし。〉」を書いた。これは気持を落ち着かせるためにのみ書かれた一種の気晴らし──執筆療法とでも云うべき代物である。そのとき自分のなかに見出して確信したのは、「書くこと」は過去の出来事を冷静に順番に能う限り精彩に思い出すための手段であり、なにより最良最善の精神安定剤だった。
 これまでも様々な場面に於いて「書くこと」で過去の自分の言動を見直し、反省し分析する手段として用いたことはあった。直近で例をあげれば母の死と己の白血病に関する事柄が挙げられる。今回の入院中に書いた文章幾つかも変わるところはないが、リアルタイムで書かれている点が大きく異なる部分だ。
 白血病は既に一年以上の療養を経ているせいもあって、書いていて心乱すようなことはまるでなかった。むしろ改めて自分が患っている病気がどのような類のもので、発症起因等について調べて納得する点が多くあった。その理解に最も役立ったのは、一年以上にわたる治療生活を通して交わした担当医との会話や診察の都度渡されていた血液分析表である。具体的な数値の変化に関しては、この分析表なくして書くことのできない箇所だ。全3回のうちいちばん実の詰まっているのは、慢性リンパ性白血病についていろいろ調べて書いた第3回目となるのだろうが、医療機関のサイトや医学書、看護書籍を参考にして書いたが、経験が蓄積されていることもあって比較的書きあげるのに時間はかからなかった、と記憶している……。
 母の死にまつわる文章も入院中の文章同様リアルタイムの執筆と云えばその通りだが、ニュアンスはちょっと違うように思う。母の死の場合はゆっくりと現実を受け入れてゆく過程を綴ったものであり、入院中のそれは不安と恐怖と怠惰をどうにか抑えこむための手段という意識が強かったことが、違いと感じる要因かもしれない。そう自分では分析している。
 グリーフケア──〈喪のプロセス〉を取り挙げた本を偶然買っていて、それをたまたま読み出したことで心もそう乱れることなく、ひたすら自分の内面を見つめ、故人への想いを大切にしながら徐々に己を赦し癒やす過程を綴った文章が、2月から4月くらいまで断続的に執筆して、慰めていた思い出がある。これも入院中の文章同様リアルタイムの執筆と云えばその通りだが、ニュアンスはちょっと違うように思う。母の死の場合はゆっくりと現実を受け入れてゆく過程を綴ったものであり、入院中のそれは不安と恐怖と怠惰をどうにか抑えこむための手段という意識が強かったことが、違いと感じる要因かもしれない。そう自分では分析している。
 わたくしの場合検査とリハビリが午前中に集中して午後は消灯時間まで手持ち無沙汰だったことも手伝って、大抵は本を読んで過ごし、時にMacBookAirを立ちあげて、第3657日目以後の文章を綴った。
 入院期間の後半は、症状も軽い状態で済んでおり、介助なしで日常生活を営めるレヴェルであることから早期の退院を予告されていたこともあり、不安は付きまとっていたと雖も恐怖は薄らぎ、怠惰を克服するためにひたすら読書に耽ったわけだが、やはり最初の数日は不安と恐怖の方がずっと優っており、怠惰なんて感じもしなかったというのが正直なところである。それを抑えこむために、わたくしはひたすら文章を綴った。それも想像力を羽ばたかせるような無責任かつ現実逃避のそれではなく、いま自分が置かれた状況を観察する、思索(んん〜っ?)も交えた一種のレポートを。
 結果としてそれが良かった……功を奏したのだろう、わたくしの心からは徐々に、名前だけ知って実態は未知の病気への恐れはなくなり、それを受け容れて今後いかに共生してゆくか、を考えることに気持を切り換えられたのだから。〝アフター・脳梗塞〟ではなく〝ウィズ・脳梗塞〟、というわけだ。どっかで聞いたような文言だけれど、気にすんな。
 それでも今回緊急搬送されて斯く病名を診断されたことで、退院したあとまでも不安と恐怖がわたくしの心のなかから調伏される日は、けっして来ないだろう。ミスタイピングが目立ち、言葉がすぐに出て来ないときがある。出て来ない言葉は大概が名詞だ。幸いなことに本を読んでいても意味を汲み取ることに支障はなく(たぶん)、その出て来ない名詞も少し経てば思い出されるから気に病むことはないのかもしれない。リハビリを担当してくださった作業療法士の男性が仰ったように、病気に罹ったと云うことで自分の意識にバイアスを掛けてしまっているだけということもあり得よう。ただ述べたような症状が現実に存在する以上、いまから社会復帰への道程は思うた以上に困難で、これまでと同じ日常生活を営むのは簡単ではあるまい、と覚悟している。
 あらゆる苦難を克服して歓喜に至る、とは、高気圧酸素治療の最中ずっとカプセルで聴いていたベートーヴェンの第九交響曲の理念だ。これは今後の自分が生涯をかけて肝に銘じて忘れず過ごし、窮極の目標として心のなかに描き続ける己が理念となるのだろう。道は険しく、目的地は遠い。が、歩き続けるのを諦めなければ、〝ウィズ・脳梗塞〟の人生もいつか楽しいものにできるに違いない。◆


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第3663日目 〈無知ゆえに抛り出した本をふたたび読み始める。〉 [日々の思い・独り言]

 経済学部を出ていれば、愉しんで読めたのかもしれない。専門用語とテクニカルタームが次々襲いかかってきたこの章を途中で読み挿して、巻を閉じてリュックのなかへ仕舞いこんだのは、己の無知あるいは一知半解が原因だろう……。
 アジア・パシフィック・イニシアティブ『検証 安倍政権』(文春新書 2022/01)は題名通り、2020年9月を以て総辞職した第2次安倍晋三政権の政策や外交等を有識者の集団が、キーパーソンへの個別インタビューも時に行って書かれた論考集である。
 読書を再開したばかりゆえ流石に本書の感想など書ける者ではないが(でも、時々そういう御仁、おられますな。プロであれアマであれ)、その第1章は「アベノミクス 首相に支配された財務省と日本銀行」という。それまで新聞やニュース、書籍で触れてきた安倍政権の経済政策、つまりアベノミクスについての内容なのでそれ自体に抵抗はないのだが、いま一つ読書にのめり込めなかったのは冒頭で書いたように、自分に経済学の基礎的学力が無いせいだ。
 マロニエ通りの学校でも三田の丘の上でも一般教養として1年しか経済学は受講しなかった。それもいま振り返ってみるとあまりよい学生ではなかった、という自覚だけがある。学生時代の講義ノートや三田でのテキストを引っ張り出してみても、頭のなかにはクエスチョン・マークが乱舞するばかりである。
 このときに──基礎体力を付けるべきときに知的鍛錬を怠っていなかったら、たとい当時はまだ傍流或いは異端の説だったり、講師たちもまだその説・概念の存在を明確には知っていないことであったとしても、21世紀のこんにちの経済を語る上で常識となっている経済用語やテクニカルタームについて「ああ、こういうことなのかな」「あの概念(学説)がベースになっているのかな」などと想像を巡らすことができたのかもしれない。
 恥ずかしながら投資やらなにやらをやっていても、接する経済用語、概念は限られたものだ。為、「リフレ政策」とかいわれてもなんのことか、と小首を傾げるのが、本書を読み始めた頃の(そうしていまこの瞬間の)わたくしである。まァ入院中のことゆえ参考文献は当然手許になく、ネットで意味を調べようとしても却って迷宮に入りこむような思いがしてね。うん、頭がこんがらがってきて抛り出した、というのが実際だ。
 でもこれまで読んできたアベノミクスの本のなかで、こうも内容が凝縮されたレポートがあったかな。凝縮されたレポート、と表現すると呵々大笑する人も出てこようけれど、そう考えてしまう程わたくしがこれまで読んだアベノミクスを主題にした本というのは、経済学の基礎的学力を欠いていても読めたような代物だったのであろうか。けっして他を貶めるわけではない。
 ナポレオン・ヒルを読み終えるのが惜しくて、途中で投げ出した『検証 安倍政権』を続きから読み始めた。第2章以後は選挙・世論対策、外交政策、歴史問題、憲法改正など、馴染みのある話題が続く。ここから先は一瀉千里となろうが、最初の章で躓いたことが学び直しの好い機会となった。この検証報告(第一章 アベノミクス 首相に支配された財務省と日本銀行)がわたくしの弱点を白日の下に曝し、この分野についてもう一度学び直す気持ちにさせたことをお伝えしたかったのである。退院までに半分は読み進んでおきたいなぁ。◆

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第3662日目 〈朝の陽光が運ぶもの。〉 [日々の思い・独り言]

 新しい朝が来た、希望の朝だ。歓びに胸を開け、青空仰げ。
 ──とは、ラジオ体操第一の歌詞である。病室にいて明るくなりつつある時刻から天に上ってゆくばかりの太陽に彩られた空を眺めていると、なぜかしみじみとラジオ体操のこの歌詞を思い出す。
 新しい朝が来た、希望の朝だ。
 太陽は沈んでも、必ず次の日には顔を出す。雲に遮られているか否かの違いだけ。いずれにせよ、新しい朝は来るのだ。「陽はまた昇る」、この当たり前の事実を病室から改めて噛みしめている。……観念の理解ではなく、感覚の理解ではなく、実感として噛みしめている。
 そうして、朝の陽光はわれらに〈希望〉を運んでくる。朝の日射しくらい、これから始まる1日のあれこれについて胸をワクワクさせてくれるものは、ない。上田敏の訳したブラウニングではないが、「なべて世は事もなし」と(まだ始まっていないうちから)呟きたくなるのだ。これから始まる1日に起こるであろう出来事に、出会うであろう人々に思いを馳せて、胸を高鳴らせることができるのはしあわせだ。希望としあわせはこの場合、表裏一体である。
 むろん、これから始まる1日にネガティヴな思いで迎える人もいることは知っている。かつてのわたくしがそうだったから、そのような人々がいることとそのような後ろ向きな感情を抱かざるを得ない程毎日が労苦に満ちていることがあることを、知っている──というか、いまでもはっきりと覚えている。忘れられるわけがない。忘れてはいけない過去の経験だろう。
 そのような人の上にも新しい朝が来て、陽光が降り注ぐ。そのような人にとって朝の陽光は希望だろうか、それとも残酷でしかないのだろうか。……この点についてはちょっと、言葉を紡ぐのは保留としたい……しあわせの形は案外と画一的だが、ネガティヴな思いというのは千差万別だからだ。おそらく、なにをいうても(自分の経験を照らし合わせても)きっと的外れになるに相違ないからだ。
 いまのわたくしにとって朝の太陽は希望以外の何物でもない。これから始まる諸事への期待ばかりでなく、殊現在に関しては朝が来る、日が沈んでまた昇るということは、退院へのカウントダウンを意味している。残された日々への愛着がより深まる要因にもなっている。
 病室の窓から見える外の世界は、太陽は昇ってぐんぐんと天頂を目指して運行し、水蒸気の固まりである雲は一片だに見えることはなく、ひたすら爽快な青空が広がっている。これから始まる1日がどのようなものになるか、どのような人たちと会えるのか、時々刻々と近づく退院の日を迎えてその後どう生きるか。そんなことを考えていると、胸の鼓動が抑え難いくらいに高まってゆく。
 歓びに胸を開け、青空仰げ──まさしくいまのわたくしの気持ちと希望を歌った一節だ。いまは、2023年07月12日(水)06時52分……。◆

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第3661日目 〈朝のこの部屋、昨夜のこの部屋。〉 [日々の思い・独り言]

 06時13分にPagesを立ちあげて、朝食までの時間を用いて短いものを書こうと思っている。なにを書くか、まだまったくこの時点では決まっていない。
 2023年07月11日(火)天晴。西日本は大荒れの天気だというのに、こちらは相変わらずの晴れ日だ。この時間から早くも「熱中症注意」のアラートが出ている。
 わたくしのいる病室はちょうど東に面していて、しかも前は職員用駐車場兼救急車両の停車スポットということもあり、朝の陽光を遮るものはなにもない。左手の丘陵には戸建住宅が隙間なく建ち並び、遠くに新幹線や東名高速道路が視界を横断しているけれど、それが日射しを防ぐ役に立つわけでないのは考えるまでもなかろう。そも病室とそれらは目算2キロ近く離れているようであり。
 部屋が東に面していて、朝陽を遮るものがなにもない、ということは、容赦なく室内に日射しが降り注ぐ、ということでもある。もっと率直に、正直にいおう、この部屋にいる限り起床時に時計はいらないし、誰かに起こされるのを待つ必要もない。太陽が起こしてくれるのだ。要するに、日射しが早朝から入りこんで来て、わたくしの体を温めるのだ──否、蒸し焼きにしようとするのだ。太陽が時計代わりになってわたくしを起こしてくれる、といえば聞こえはいいが……。
 こうした生活を何日も続けていると、ああこれがいちばん健康的な生活サイクルなのかもしれないな、と考えてしまう。農家の生活サイクルを喩えてよくいわれる言葉──朝太陽が昇ると共に起き、太陽が沈むと共に寝る──が、いまのわたくしの生活である、といえば一笑に付されるだろうか。が、ここまで書いてきたことを読んでくださればこの喩え、わりと首肯いただけるのではないか。朝は太陽に6時前から起こされ、夜は日没から数時間後の21時前に休んでいる。消灯時間だからね。
 入院してからずっと書いている日記を繙けば、わたくしの起床時間と就寝時間は瞭然だ。消灯時間=就寝時間、とは必ずしもならないけれど、消灯から1時間が過ぎる頃にはもう寝ているんだよ。人間とは環境に適合する生物なのだ。周りが暗くなって、しかもなんの音もしないとなれば、体はなにかを察してお休みモードに切り替わるようである。
 いま試みに、入院翌日からのわたくしの起床時間を、その日記から列記すれば、──
 2023/07/03(月)天晴
 0515 起床。コードネーム・マダム・イアダにおしぼりで顔拭かれる。昨夜最後のお手洗いからの帰途の際、車椅子押したる者なり。
 2023/07/04(火)天晴
 06:21 部屋点灯、起床。血圧・血中酸素濃度・体温測定。数値知らされず。
 2023/07/05(水)天陰
 0644起床。血圧・体温測定に来たるで起きる。お水、お茶、看護補助の方新しいものを入れてくださる。
 2023/07/06(木)天陰→昼前より天晴
 06:30 電極の様子見に近る。雨,日附変わる頃から短時間強く。今はやむ。
 06:48 血圧・血中酸素濃度・体温測定に。今日高気圧酸素治療最初。08:30頃点滴外しに来ると云々。朝食07:30頃という。
 2023/07/07(金)天晴
 06:00 起床。この部屋東面するため朝の陽光よく刺しそれ故に起きる点もあり。なんと健康的な生活か。朝日のなかでダラダラとベッドの上で過ごして、↓
 06:25 洗面とお手洗い。
 2023/07/08(土)天陰→昼前から天晴
 06:15 起床。
 2023/07/09(日)天晴
 05:40 太陽の光を浴びながら、起床。要するに眩しくて、暑かったのである。
 2023/07/10(月)天晴
 06:00 起床。窓より差し込む陽光浴びながら微睡む。
──となる。
 今日火曜日は、──
 2023/07/11(火)天晴
 05:25 起床。
 05:46 微睡ののち体起こして、お手洗い。この起床時間、起きてから二度寝することなくある事、消灯時間、食事の時間、その内容、帰宅してのちどの程度まで維持できるか、あるいは完膚なきまでに崩れるか。
 それにしても陽の光浴びて目が覚めるとは、なんとも心地よく健全であることか。
 現在05:51。
──である。
 確実に、ではないから気のせいかもしれないけれど、だんだんと起床時間は早まってきているようだ。まるでスティーヴン・キングの『不眠症』である。幸いとわたくしはこの病院で〈クリムゾン・キング〉に会うことも〈ロウ・メン〉に狙われることもなく、安寧な日々を過ごせているが……。
 ただわたくしの場合はラルフのようになにかに導かれて就寝時間がどんどん短くなっているわけではなく、時間を有意義に使いたい、その一念だけから今日も昨日も6時前から起き出して顔を洗い、部屋の遮光カーテンで窓を半分くらいまで閉めて、ベッドの上に胡坐を掻いて本を読むなりMacを立ちあげて文章を綴るなりしているだけなのだ。まァ病院にいる以上、どこへふらり、と遊びに行くこともできませんからね。
 ──繰り返すが、この病室は、暑い。太陽が動いて頭上に来ている時間であっても、まだ部屋に朝の熱気が籠もっている。窓を開けることもできないから必然的にエアコンで調整するか、そのまま暑気が部屋から消えるのを待つしかない。幸いと午前中は、例の高気圧酸素治療であったりリハビリであったり、時にMRがあったり、で、病院にいるのになんだかタイトスケジュール(呵々)だから正直なところ、看護師や看護補助の方々が思う程暑さを猛烈に感じることはないのだ。
 が、昨日はなぜか暑気が籠もっている時間は、普段より長かったようだ。昼過ぎ、MRから戻ってくると3階の担当看護師が部屋のエアコンを調節して、涼しくしてくれていた。寒かったら呼んでください、というて去って行ったが、夕方まではその設定温度、結構快適であった。が、体が馴れたのだろう、夕食前の血圧・体温測定の頃には少し冷えてきたな、と感じて夜勤の看護師さんに頼んで設定温度を上げてもらった……なんとそれまでは設定温度22度だったそうである! 寒いわ、このままだったら風邪引くわ。
 しかし、本当の試練は消灯直後から始まった。寒い……。異様に寒い。部屋に霊がいるわけでもないのに、なんだか寒い。布団を足許から首まで掛け、肩をバスタオルでくるんで完全防備しても、既にその感覚ができあがっているせいか、徐々に肌を冷気が撫でてくる。まったく以て心地よくない愛撫だ。エアコンの吹き出し口から聞こえる風量の音は、気のせいかやたらと威勢よく、元気で、……寒さに震える体を痛めつける。
 耐えること約40分。遂に意を決して、ナースコールのボタンを押した。押そうか押すまいか、押したとしてどう伝えたら角が立たずに済むか、と考えていたら、そんな時間が経過していたのだ。もうどうにでもなれ、と云う気持ちであったことは否定しない。そうして呼んだ。2分くらい経ってから、夜勤の看護補助の方(男性)が見えたので事情を説明すると、すぐに首肯してエアコンを調整してくださった。設定温度は変えることなく、あまりに強かった風量を調整することで、事態は改善した。単純に設定温度の話かと思うていたのだが、風量の調整で済むとは思いもよらなんだ。ただ実際、その後は非常に快適で、エアコンの吹き出し口から聞こえてくる風の音もそれまで馴染んだ低い音だったので、さきほどの05時25分までお手洗いに起きることもなくぐっすりと眠れたわけである。
 もしかするとわたくしがこんな時間に今日起きて、眠気を感じることなくこの文章を不乱に綴っていることができるのは、エアコンの調整がきちんと為されたためかもしれない。老後の夫婦の寝室ではないが、部屋の温度は快適な朝を迎える必須要件というのは案外と本当のことのようである。
 現在07時26分。予定通りならばあと30分するかしないかのうちに朝食が配膳されるはずだ。それを理由に、わたくしもちょっと手を休めたい気分でいる。というわけで、本稿の筆はここでひとまず擱くことにしよう。◆

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第3660日目 〈入院生活7日目のモノローグ。〉 [日々の思い・独り言]

 九州北部と中国地方西部は線状降水帯の発生で酷い事態になっている。なによりも自分と、家族の命を守るための、最前の行動を取ってほしい。周囲に惑わされず、正しい情報に基づいて、行動してほしい。
 そんな文章を綴っているわたくしのいる横浜は、今日も朝から晴れている。日中や夜半など降雨もあるらしいが、旱天の慈雨には到底ならず、焼け石に水、なんて表現も的外れだろう。とまれ、今日も今日とて横浜は晴れている。晴れている、とはかなり生易しい表現だ。さきほどからスマホは横浜市全域に対して、熱中症アラートを表示しまくっている。NHKだけでなく、気象庁や自治体、お天気アプリ等々から発令されているアラートだ。
 ……が、申し訳ない。わたくしは現在入院中の身である。一日中空調が完備された病院内で、窓の外の世界をぼんやり眺め、TwitterやNHK防災・ニュースアプリで外の世界の事情を知るが精々なのだ。
 入院して一週間が経過、本日は日曜日である。リアルタイムで報道番組に接していないこともあって、気分はまるで浦島太郎。そうしてこの状況は、まだもう少しだけ続く模様なのだ。
 今月3日(日)午後に救急搬送されて、この病院で厄介になるようになったわたくし。ここに到着したときの状態は、われながら非道いものだった。右肩が上がらない、力が入らない(維持できない)、鉛筆を持つことはできても力が入らず字を書くことができない、言葉の呂律が回らない、唇を「イー」とやると右側の口角が左に較べて鋭角的で一直線に上がっている(普通は左右同じようになだらかな曲線を描いて、ほうれい線ができる)、といった具合。
 正直なところ、もうダメかな、と考えた。母の逝去からどうにか立ち直り、相続やらなにやらの作業も最終局面に差しかかろうとしていて、生活も新しい規範を作り出すことができて、新しく見附けた仕事も軌道に乗ってきたところだというのに、どうして……というのが本音だった。
 いや、神も仏も呪いましたね。どうして天はわたくしに斯様な試練を与えるのか、どうしてわたくしにだけこのような惨い仕打ちを与えるのか。殆ど旧約聖書のヨブみたいな気持ちですわ。ヨブは神とサタンによって信仰の強さ、誠を試されたわけだが、いったいわたくしの場合は……。
 それでもどうにか前向きになれたのは、これまでいろいろのことがあったことでいつの間にか、自分の心は逞しくなっていたせいかもしれない。挫けるよりも早く、治すんだ、治して早く家に帰り、摑みかけた新しい生活に戻るんだ、と云う気持の方が強かったものな。
 さすがに始めの2日程は、そんなポジティヴ思考と、前述のネガティヴ思考が相克していたのは認めざるを得ない事実だ。日が経ち、看護師さんや作業/理学療法士の方々、そうして担当医と話したり、周囲を見て自分が軽症であること、早めに連絡して最悪には至らずに済んだ幸運を噛みしめているうちに、再び、早く退院してそれまでの生活に戻らなくては、という願望と熱意が胸のなかに宿ってくるのを感じた。それからのわたくしは、その願望と熱意に加えて、ずっと(基本的に)ベッドと病室内で検査のない時間を過ごすことへの忍耐力を支えにして毎日を過ごした。
 そのお陰か、いまでは午後はのんびりと過ごしている。ベッド横サイドテーブルに載るテレビも視る気にならず(テレビカードを買おうとすると1階外来まで降りてゆかねばならぬのだが、外来診察中の時間帯は降りてゆくこと叶わず、結果としてカードを買うことなくテレビの電源を入れることなく、今日まで過ごすことになった)、ネットも意識的に切り離してデジタル・デトックスを実現し(元より配信とかとは無縁だし)、ただスマホだけは電話のみならずメール、Twitter、LINEの確認等があるので身辺から遠ざけられないが、それでも入院前に較べてスマホを手にする時間、使っている時間は著しく減少しているはずだ。
 検査とリハビリがいまではもう午前中に終わってしまうから、午後は──腹蔵なくいうてしまうと、暇、である。テレビを視ない、ネットも遠ざけている、スマホも殆ど使っていない、となると、では午後お前はなにをしているのか、という話になるが、……読書以外になにがある?
 1日の過半を読書に費やすのは、何年振りのことだろう。なににも煩わされることなく、ひたすら活字を追い、ページを繰ることにだけ集中できるというのは、こんなに幸福で、こんなに心躍る営みだったろうか。濃密な読書体験、もう二度と斯様な時間を過ごすことはできないだろう体験を、わたくしはここですることができた。
 読んでいる本は、ナポレオン・ヒル『思考は現実化する』。ずっとリュックのなかにあったがなぜか読むことなくそのまま入れっぱなしにしていた文庫の上巻を、『検証 安倍政権』に収められた論考の文章のあまりの拙さと内容への一知半解を理由に投げ出したあとに読み出した。入院して3日目、2階から3階病室に移ってきてのことである。
 他にすることがないから読書に耽り、他に読む本がないからヒルを読み続けてきた、というのは事実だ。否定のしようがない。が、わたくしはこれを、非常に良いタイミングで読むことができた、と考えている。これまでの自分を見つめ直して強烈な反省を促され、今回を最後のチャンスと捉えて残りの人生をいかに実り豊かな物にするか、そのためにいま自分はなにをすべきか、新たに富を築くために自分が為すべきことはなにか、その優先順位は……? など考え、検証し、イメージングするのに、入院はまたとない機会であった。読むことばかりでなく、それについて考える時間、自分を捉え直す時間を得ることができたからだ。何事もポジティブに捉えなくては、このナポレオン・ヒルやデール・カーネギー、ジョゼフ・マーフィー、本多静六博士が開陳してみせるような成功哲学は誰も実践し得ない。「望みだけで富を手にすることはできない」(ヒル『思考は現実化する』下巻P39 田中孝顕・訳 きこ書房 2014/04)
 実は今年の始めに立てた、文筆上の目標の1つだったのが、この成功哲学、について書かれた一連の書物を読み倒し(すべてではない、古典とされるものに少しの最近書かれた物を加えて)、エッセイを書く、というものだった。母が亡くなってからはグリーフケアや死後の生、政治と歴史の本が主軸になっていた感があり、成功哲学について本を読み文章を書くというのは忘れていた部分があったのだが、図らずも今回の入院でその端緒を摑むことができた寸法だ。
 上巻は既に読み終わり、現在は下巻。昨日からだが、既に半分を読んだ。退院までには全部、もしくは余すところあと1章、というところまで進められるかもしれない。帰宅したら色々することが山積みだから(仕事も再開せねばならんし)、最後まで読み果せたらいいいな、と思う。
 ……え、退院? そう、退院である。今日の昼間、日取りと時間が決まったのだ。この病院のお世話になるのも、あと少しだ。名残惜しいが、いつまでもいるような場所ではない。とても良いスタッフの方々に恵まれたので、去るのは後ろ髪引かれる思いだが、仕方ない。
 退院後にすること、やらなくてはならないこと、やりたいこと、等々リストアップして優先順位を付ける作業を始める傍ら、ヒルの読了に近附けるよう時間を無駄にすることなく残りの日々を過ごさなくては。◆

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第3659日目 〈高気圧酸素治療室から還りし者のモノローグ。〉 [日々の思い・独り言]

 2023年07月03日(月)19時47分……3時間半程前に、高気圧酸素治療から戻ってきた。
 ……これは息づまる時間だ。まるで「生きた埋葬」だ。酸素カプセルのなかにいる間、特に後半30分くらいになると胸が苦しくなり、これまでに観たドラマや漫画の生きながらにしての埋葬の場面を思い出し、棺に閉じこめられてそのまま土中に埋められる姿を想像してしまい、一刻も早くここから出してくれ、と口のなかで叫ぶ始末だった。カプセルの蓋が開いて検査室の電灯の明かりが頭上から挿しこんできたのに目を細めたときは、生きている幸福をしみじみと噛みしめたものだった……。
 が、この治療は10回1セットで残り9日間続くと聞いたときは、流石に目眩がして立ちくらみを起こしそうになったよ。あと9日──検査室から病室に戻る折、ナースから聞いたところによると、人によっては(というのは要するに治療の経過や症状如何によっては、という意味だが)10回も行うことなく終わる方も居られるという。理由は様々である。閉所恐怖症の方に当然この治療は不可能だ。高齢者の方(に限ったことではないが)で長時間、狭くて暗い場所に入っているのが苦しい、という方はお試し期間みたいな感じで早々に終わって、別の治療に切り替わる由。
 また、作業療法士さんのお話も加味すると、午前中に治療してその日の午後に退院、もっと極端なケースだと午前に治療、昼前に退院、ということもあるらしい。もっとも後者の場合、医事室が外来と並行して退院処理を行うことになるので、あまり推奨されてはいないようだ。平日午前中の病院の受付の混雑ぶりをいちどでも観察したことがある人なら、その場の光景を思い出して、ああ……と首肯できるはずだ。

 高気圧酸素治療とは、100%の酸素で充たされた高気圧酸素治療室へ一定時間入り、体内により多くの酸素を吸入して全身に行き渡らせ、低酸素状態を改善させることである。
 もう少し具体的にいうと、密閉された高気圧酸素治療室を100%の酸素で充たして、大気圧よりも気圧が2倍高い環境を作り出し、そのなかに90〜100分程度入っている間に体内へ酸素を取りこみ、血液により多くの酸素を溶かしこむ治療である。圧力が高くなると血液の液体成分である血清に酸素が溶けこむ(溶解型酸素)仕組みだ。
 高気圧酸素治療に要される時間は、約1時間30分〜1時間40分。内訳は──カプセル内の空気を入れ換えるのに約5-10分、1気圧上げるためにやはり5-10分、酸素治療自体に約60分、それが終えて気圧を下げるのと入れ替えに前述の時間を要す。計、約約1時間30分〜1時間40分。
 酸素治療の間は気圧の上げ下げがあるので、体の一部機能は飛行機に乗っているような感覚を覚える。つまり、内耳の圧迫、である。うまく耳抜きができないと、左右どちらか、或いは両方の耳が詰まったような感覚となる。それがどの程度の時間続くのか。人によりけりだが、病気に起因することではないから早ければ数十分で回復する人もいるし、その日の夜まで続いて翌朝になってようやく詰まりとオサラバできる人もいる。もっと長引く人もいる、つまり、数日とか。
 耳抜きする方法としては、欠伸をする、唾を飲みこむ、が一般的で、他にも水を飲むとか、鼻と口を押さえて耳から空気を出すようにしてみる、だとか、耳朶を引っ張ったり耳の下のあたり(胸鎖乳突筋、か)を押さえて軽く揉む、などいろいろな方法があるという。
 が、こういってはなんだが、どれを試しても「個人差があります」という註記からは逃れられまい。人によって最も良い耳抜きの方法は異なり、それぞれの人に合った方法があるのだ。ここに挙げた以外の方法を用いてうまく耳抜きできている人も、なかには当然いるだろう。
 わたくしは……脳梗塞や白血病を発症するより以前から、耳鳴りとはお付き合いがあるからなぁ。正直なところ、今更の感がある。

 さて、わたくしが初めてこの高気圧酸素治療に挑んだのは、上記した如く07月03日(月)夕刻。つまり入院翌日である。入院手続のパンフレットに高気圧酸素治療について説明した紙片が挟まっていたので、ああ自分もそのうちこれをやるんだな、くらいしか思うていなかった。始めるにしても、入院翌日にはまだやらないだろう……と楽観していたのだ。
 入院当日、わたくしはナースステーション正面の2人部屋に入っていた。同室者はなし。はじめての入院で個室同然の部屋で一晩を明かすのはちょっと心細いな、と思うていたのだが、その日の夜21時過ぎ(いい換えれば、消灯後の時間、である)、救急搬送されてきた男性が同室者となったことで、その心細さはひとまず解消。
 で、その男性が翌る日にこの高気圧酸素治療を行うことになった。日中のことである。ほう翌日でもこの治療を行うんだな、と内心思うた。それでもまだ、まさか自分も同じ日に治療を行うことになろうとは、夢に思うわけもない。治療室からぶじ帰還後、かれは看護師相手に、思っていた程ではなかった、(治療中は)YouTubeでM-1を観ていた、と語った。
 ……M-1? 治療中にYouTubeが観られるのか? どっか高気密の部屋に閉じこめられて、のんびり1時間強を過ごしているイメージが脳裏に浮かんだ。いまにして思えば、なんとまぁ極楽な、というところか。そんな治療なら早く受けたいな、と思うも仕方なしではあろう……。
 そうしてその日の夕刻に差しかかろうか、という頃。高気圧酸素治療室に行こう、と看護師さんから明るい声で誘われた。なんでも突然時間枠が空いたので、わたくしが呼ばれたそうだ。パジャマから検査着に着換えた検査室への道すがら看護師さんが想像していうには、外来の予約がキャンセルにでもなったのだろう、と。納得した。
 そうして2階の検査室、室内には担当の検査士が男女各1名、目の前にはカプセルが2台。向かって左側のカプセルに、寝台へ横になって入れられるわたくしである。男性に、音楽や映画など観ますか、と訊かれて、ああさっき同室の男性がいっていたのはこのことか、と合点しつつ、でもメガネも外しているから映像を観るって選択肢はないなぁ。では、とわたくしがリクエストしたのは、母生前の頃はときどき寝る際に聞いていたYouTubeの、〈ぐっすり寝られるBGM〉の類。DNAがどうとかなんとか謳っている、リラクシング音楽と映像である。映像はいらないから、音楽だけで……そう所望して、カプセル内に入った。
 初体験ゆえ最初の10分程度は物見遊山気分でカプセル内部を観察したり小窓から検査室内を眺めたりしていたが、それもすぐ飽きて、あとはひたすら瞑想と省察の時間──といえば聞こえは良いが、単に暇だったのである。
 やがて、わたくしは或ることに気が付いた。時間の間隔がまったくないのだ。あとになって小窓に時計が設置されていると知ったが、カプセルに入る際は知らなかったから、ひたすら忍耐の時間を過ごすことになったのである。おまけに、冒頭で書いたようにだんだん息苦しくなり、心拍も上がってくるのがよくわかり、ポオの短編や『CSI:科学捜査班』で印象的に描かれる〈生きた埋葬〉が思い出されて、自分がその状況に放りこまれたところを想像して、一刻も早くカプセルから脱出したくてならなかったのだ。だから、カプセルから出られたときの開放感と安堵、ラヴクラフトの小説を読んでいたからというわけではないが、名状しがたく筆舌に尽くしがたい歓喜、というより他にない。これは決して大仰な表現ではないのだ、モナミ。
 病室に戻ったわたくしは、さっそく対策を講じた(講じなければならなかった)。治療であるからカプセルに入るのは避けられない。しかし、カプセルの住人である間はYouTubeを使って時間を過ごすことができる。ならば、せめてそいつを使って、時間の経過がわかる〈なにか〉を視聴できるようにしよう。繰り返すが、メガネはカプセルに入る際外すことになるから、映像はダメ、音楽(音声)オンリーで。
 ……そうやって辿り着いたのが、ベートーヴェンの《第九》である。時間の経過がはっきりとわかるのは、(わたくしの場合)クラシック音楽以外にない。そのジャンルから自分が聴き馴染み、かつ演奏時間まで或る程度熟知しているのはなにか? オペラはNG。カプセル内に2時間もいるなら話は別だが、1時間である。所詮一幕が終わって二幕目に入ったところで中断であろう。それにオペラはやはり、映像と字幕附きで観たい。為、却下。ならば? 誰が演奏しても60分以上はかかり、かつ割に最後の方まで進んでいる曲といったら、なにがある? 考え続けて眠りこけ、翌る朝、目覚めた途端に唐突に思い浮かんだのだ、そうだ、《第九》があるじゃん、と。
 この思い着きは我ながらなかなかのものだった。特に演奏者を指定する必要もない。《第九》以上にわたくしが熟知した交響曲は他に、ブラームスしかない(が、4つある交響曲のいずれも60分以内で終わる)。最速を謳われた某指揮者の《第九》でさえ、たしか60分弱だ。YouTubeで視聴できるたいていの《第九》ならば、第4楽章の合唱に入るあたりまでは辿り着くだろう……。
 この目論見は、成功した。CMがどれだけ入るかで左右はされるが、今日2023年7月8日まで6回、この高気圧酸素治療を行っていて大体の時間経過もわかるようになったし、第4楽章の中盤──テノールが入り合唱がケルビムの栄光を讃美するあたり──まで辿り着けることもわかった。さすがのベートーヴェンも自分の曲が、治療の際の時計代わりに使われるとは想像だにしなかったであろう(時計繋がりでハイドンも一瞬だけ考えたが早々に却下した。いったい何回繰り返して聴けばいいんだ)。
 爾来、わたくしは健やかにカプセル内での時間を過ごしている。昨日と今日は第1楽章途中、もしくは第2楽章途中から第3楽章中葉まで眠りこけて過ごしている……検査の順番が朝イチというのも関係しているだろうが、それだけここで過ごす時間に馴れた、ということだ。
 長くなってしまった。そろそろ擱筆としよう。本稿は高気圧酸素治療の初日に、まさに部屋に戻って夕食を摂ったあとに最初の段落を書いたが放り出してあったものを、土曜日の14時台から16時台までの時間を使って書いた。治療は、あと4回ある。途中で退院と相成ったとしても確実に1回はある。それまでにこの《第九》の指揮者と独唱者が誰であるか、オーケストラと合唱団はどこか、何年何月にどこで収録されたか、等々検査室の担当の方にお訊きせねばならない(呵々)。でも、忘れてそのまま退院しそうだなぁ……(※)。◆


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第3658日目 〈脳梗塞の疑い有りで入院したわたくし。〉 [日々の思い・独り言]

 読者諸兄よ、脳梗塞、という病気をご存知だろうか。退院した数日後、かかりつけ医からの帰りに立ち寄った書店で求めた外科看護のテキストは、「脳動脈の狭窄や閉塞によって、灌流域が虚血となり、脳の神経細胞が壊死に陥った状態」と定義する(横井靖子・編『NEW はじめての脳神経外科看護』P21 メディカ出版 2023/07)。
 ──医学の専門教育を受け、医療現場で働く医師や看護師らには、ふむふむそうそう、と首肯できようけれど、門外漢のわれらにはさっぱりであります。そこでもう1冊、もっと一般向けに書かれた解説書に頼れば、こうである。曰く、──

 脳の血管が詰まったり破れたりする病気を総称して、「脳卒中」といいます。脳卒中にはいくつかの病気があり、脳梗塞はそのひとつです。
 脳卒中は、血管が破れる出血性脳卒中(くも膜下出血、脳出血)と、血管が詰まり血流不足になる虚血性脳卒中(脳梗塞)に分けられます。かつては脳卒中のほとんどが脳出血で、脳卒中というと脳出血とほぼイコールでしたが、近年は脳卒中の7割以上が脳梗塞です。
 (中略)一方脳梗塞が起こると、血管が詰まった部分から先の血流が途絶えて、脳細胞が死んでしまいます。脳梗塞を発症して、ほぼ完全に治る人もいますが、マヒなどの後遺症が残る人が多く、寝たきりになったり死亡したりする率もけっして低くありません。
(高木誠・監修『名医が答える! 脳梗塞治療大全』P42 講談社 2021/10)

──という。厳密にいえば脳梗塞も「アテローム血栓性脳梗塞」、「心原性脳塞栓症」と「ラクナ梗塞」の3つの病型に分類されるが、くだくだしい話になるので興味のある方は、まずは高木前掲書を繙いてみるとよいだろう。
 ちなみに脳梗塞は退院後の時間の経過と共に再発率は高くなり、発症から10年以内に約半数が再発しているデータも存在する由。いい方を換えれば発症10年以内の再発率は50%、ということである。いちど脳梗塞を発症した人は再発しやすい体質の持ち主といえる、とは『名医が答える! 脳梗塞治療大全』にある指摘だ。幸か不幸かわたくしはまだそれを体験していないし、それまで生きていられるかどうかも分からない。

 さて、唐突に脳梗塞の話を始めたのは他でもない、本稿タイトルにある通りこのわたくし、みくらさんさんかが昨日日曜日(2023/令和5年07月02日)日中にこの病気の兆候ありとて救急車で専門病院に運びこまれたからである。
 メモアプリから、不自由な手を使ってその晩病室でフリック入力した記録を転載するが、誤変換はそのままとさせていただく。〈そのとき〉を忘れぬよう自らに戒めるためである。ではその日の出来事(The Day Happenings)を時系列で示せば、こうなる。即ち、──
 14:25頃 外回りの掃除と庭草抜きを終えて上がる。暫くして右手を肩の高さまで上げてもすぐにだらり、と垂れ下がってしまうことに気附く。
 14:30頃 会社提出の書類を書く為ペンを持つも力入らず、それでもどうにか右手で書き上げる。
 スマホにて症状を入力して調べてみると、脳梗塞の疑いアリノ診断結果出る。
 14:40 けいゆう病院救急に電話。症状説明して、すぐに救急を呼べ、と指示あり。そのまますぐに切電される。そうだった、ここはこういうところだった。
 14:45 会社に電話。松田。明日の仕事断り、疑いの声調殊に伝わる。
 14:47 119に電話。
 15:00頃 救急隊到着[その間、動かせぬ右手に代わり左手のみで荷物をまとめる;本稿推敲時付記]。姓名・生年月日・今日の日附、問診あり。お薬手帳に基づき既往歴確認。慢性リンパ性白血病のみ。その間自宅前からマンション裏に移動、病院探してくださる。脳外科ない為他病院となり、現在の病院に決まる。
 15:25頃 最寄りから首都高速に入り、横浜駅近くを通過して病院着。
 MR検査(25分程)・血液検査、血液をさらさらにする薬の投与に関する同意書を左手で書き、2階病棟3号室に車椅子で移動。
 此の日一日、点滴のみで過ごす。お手洗いの頻度普段より多。
──と。
 本稿を書いているいまは一晩明けた月曜日の午前、11時05分。入院して2度目のMR検査を待っているところ。なお、現時点でまだ病名の特定はされておらず、脳梗塞である疑いが極めて濃厚、という段階に留まっている。
 2人部屋にいるのだが、新幹線の線路に面しているのでさぞかし外を愉しく眺めているとお思いだろうが然に非ず。わたくしのベッドは廊下側、ナースステーションの目の前で、窓には面していないのだ。残念。それでも入室した当初は先客はなかったから、外を愉しく眺めていたのは事実だ。但し新幹線は見えず、隣のベッドとの間に掛かるカーテンの上端隙間からただ青空が見えただけだけれどね。
 昨夜消灯後の21時過ぎ、やはり救急で搬送されてきた人(男性)がいて、隣ベッドは埋まり、カーテンが巡らされてしまった。ときどき鳥のさえずりが聞こえるが、むろんその姿も見ることは叶わずで。その隣ベッドの男性は、さきほど高気圧酸素検査を終えて戻ってきた。いまに至るまで会話はない。
 今朝から食事が始まり、常食である。朝食は、白飯にお吸い物、サンマにほうれん草のおひたし、枝豆と大根下ろしを和えたもの、ヤクルト、以上。さきほど終えた昼食は、カレーと玉子サラダ、ブロッコリー、キウイ、トウモロコシとタマネギを細かく刻んだお吸い物、以上。いずれも完食である。病院食は不味いと夙にいわれるが、人生はじめての病院食にそのような思いは抱かなかった。
 さて、予定ではもうすぐMR検査である。既にレントゲンと心電図は病室で終えた。が、MR検査は移動しなくてはならない。予定時間は12時40分で、現在は12時26分。検査時間は前後するといわれてるが、いずれにせよここでいったん切りあげることにする。◆

2023年07月03日 12時27分
2023年09月18日 14時58分推敲(前半部脳梗塞説明の補記が専ら、後半は字句修正、段落変更程度)

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第3657日目 〈改めての仕切り直しと、原稿差替えの、短い話。〉 [日々の思い・独り言]

 タイトル通りのお話です。
 旧第3657日目を投稿して以来、更新がぷっつりと途絶えてしまったこと、伏してお詫び申し上げます。
 なかには(脳梗塞や白血病の)症状悪化によって更新が停まったり、続稿の執筆が不可能になってしまったのでは、とご心配くださる方もある一方、死亡扱いして呵々する不埒の衆も居ったりでしたが、明日から更新を再開致します。
 更新が途絶えていた理由、ですか。そうですね、お話しておかなくては。
 旧第3657日目のお披露目直前、当該稿と続稿に確認・補記すべき内容あり、またそれに伴い修正箇所の発生も判明していました。すぐ作業に取り掛かればよいのですが、どうにも怠惰な夏となり、また労働に疲れて帰ってくると作業に取り掛かる意欲も削がれて後回しにしているうち、こんなにも時間が経ってしまった。人は怠惰に馴れるとなかなかそこから脱却できない、という良き見本となったわけであります。
 でもここ数週間は件の原稿への修正作業に頭を悩ませたり、新稿に取り掛かったりして過ごしております。仕事にも慣れて、帰り道に喫茶店へ寄り、以前のように文章を書くという余裕(精神的金銭的余裕)が持てるようになった。それゆえに、或る程度の原稿が溜まったいま、原稿を差し替えた上で明日から更新を再開します、というご報告ができるようになった次第であります。
 ついでにいえば、この10日程で読書のサイクルも確立してきたような気がしています。往復の電車のなかでは憲法もしくは自民党政治に関する本を読み、喫茶店ではそれらの本を読むこともあるけれどどちらかといえば小説を読むようになり、帰宅してからはベッド脇で待機している本を読む、という言うは簡単だが実行と継続がなかなか難しかったサイクルの確立……ああ、かつてはこれがなんの意思を要することもなく、労することもなく実行できていたのに……!
 ──ここまでで700字を超えました。800字になろうとしています。「短い」というた手前、このあたりで擱筆します。
 話し忘れたこと? 特に、ない。◆

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第3656日目 〈抛り投げた物語のこと。〉 [日々の思い・独り言]

 なにを書くか定まらぬままなんのこともなしに擬古文の掌編を綴っていた。掌編というよりはプロット、アウトラインというほうが近い。あまり長いものはもとより書く気もなかったから、そんな風になるのは必然か。
 内容? どうということもないボーイ・ミーツ・ガール。まァなんというかね、田舎から出て来た女の子に懸想した都会の男子が告白して断られる話、です。
 拒む意味の古歌を男子が受け取ったところで筆を擱いた(抛り出した)が、続きの構想は勿論あった。どんな続きを考えていたか、それは語るに及ばぬ。自制じゃ、自制じゃ。
 ただこの一篇を完成させたい希望はある。望みとしては、中途半端に抛ったこれに加えて、学生時代に書いてルーズリーフに眠ったままな(やはり擬古文の)祝言談と、爵位ある地方領主を主人公にしたファンタジー、他数篇を集めた物語集を編んでおきたいな。とはいえ、さて、この企み、果たしてどうなりますことか。
 ちなみにこれらの作品、本ブログでお披露目されることはありませんから、あしからず。◆

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第3655日目 〈翻訳、翻案、再話のネタの捜し方。〉 [日々の思い・独り言]

 小説の題材にする話は、自分をよく出せるものを選ぶ。
 ──上田秋成が『雨月物語』を書く直前に訪ねた都賀庭鐘から受けたアドヴァイスである。真偽はさておき、大谷晃一『上田秋成』(P63 トレヴィル 1987/06)にある挿話だ。
 当時秋成は、いわばデビューして間もない新進気鋭の小説家だった。処女作『諸道聴耳世間猿』と続く『世間妾形気』は、井原西鶴によって交流を決定附けられた浮世草子に分類される。が、「和訳太郎」のペンネームで両作が上梓された頃既に浮世草子は、衰退の一途を辿っており、また両作とも浮世草子の枠から逸脱する部分がある、異形の小説だった。詳述はしないが端的にいうて、それらはなにかしらの原因によってわが身を滅ぼしてゆく人々の話なのだった──その面を以てのみして『諸道聴耳世間猿』と『世間妾形気』を〈滅びの文学〉と述べることはあながち誤りとはいえないと思う。
 幼き頃に生母と別れて後、大阪堂嶋の大店の養子になり何不自由なく育つも、養子の自分が跡取りとなることへの違和感を拭いきれずわざと放蕩無頼の生活に明け暮れるなかで、秋成は人間誰もが善悪二元論で括れるものではなく、ちょっとした出来事によって人生を棒に振ったり苦界に身を沈めたり悪に染まってしまうこともある、と肌で知った。それを小説という形で吐露してみせたのが、『諸道聴耳世間猿』と『世間妾形気』だった。
 しかし秋成は、これで満足できなかった。もっと深いところで人間の欲や情念というものへ迫るような小説を書きたい、と執した。
 時は既に、八文字屋に代表される浮世草子が終焉を迎えつつあり、一方で中国の小説を翻案した読本が代わって台頭してきた時代だった。
 そんな或るとき、秋成は都賀庭鐘を知る。同じ大阪に住まって医者を営む庭鐘と秋成の接触が、いつ如何にして行われたか定かではない。高田衛『定本 上田秋成年譜考説』に拠れば、「庭鐘、秋成の具体的交渉の始まった時期は、あきらかではない」(P66 ぺりかん社 2013/04)とのことである。
 庭鐘著す読本小説の代表は、『英草子』と『繁野話』だが、前者は「新編 日本古典文学全集 78」(小学館)で、『繁野話』は「新日本古典文学大系」(岩波書店)で、それぞれ読むことが可能だ。
 どのようにして、題材になる(中国の)小説を選ぶのか?
 庭鐘と面会した折、秋成はそう問うた。それに庭鐘が答えたのが、冒頭の一文である。大谷晃一の本から返答を引けば、「そらな、ようけ読んで、自分の思てることが出せるやつを選びまんのや」(P63)、である。
 この答えを敷衍すれば、目先の面白さに飛びつくことなくじっくりと腰を据えてたくさん読み、そのときの自分のなかにある思いや考えを無理なく表現できる原作に出会う労を惜しむな、ということであり、そのために広く読書するのは当然だとしても、自分の心の内や日頃抱いて表現したく思うている気持を客観的に見つめる努力を怠るな、ということでもあろうか。
 そうやって秋成は、庭鐘のこのアドヴァイスに導かれるようにして中国渡来の白話小説を読み漁り、日本の古典を渉猟して歩いた。やがて物語として結実する元ネタは、その過程で見出されてゆく。一方でかれは同時代の作物にも抜かりなく目を通して就中師加藤宇万伎と同じ賀茂真淵門下の国学者建部綾足が著した『西山物語』に触発され、また自身としても先行二作に続く新しい浮世草子のために用意していたエピソードのための腹案を流用して、いよいよ秋成はまったく新しい物語の筆を執った。「巷に跋扈する異界の者たちを呼び寄せる深い闇の世界」(角川ソフィア文庫版裏表紙より)を舞台にした『雨月物語』がそれである。
 ところでその『西山物語』だが刊行の前年明和四(1767)年、京都一乗寺村で起こった所謂〈源太騒動〉に取材した読み物。これを秋成は随分と批判している。後年の文化三(1806)年、知人を介して渡辺源太に紹介された秋成は同じ年に「ますらを物語」を書いた。それが人手に渡ったゆえか秋成は同事件を素材に舞台と人物を替えて新たに「死首の咲顔[ゑがほ]」を書き、『春雨物語』に収まる。写本によって載る載らないはあるが現在活字で読める版には載るものが過半だ。『西山物語』も先の『英草子』といっしょに「新編 日本古典文学全集 78」で読めるがこの一巻、実は他に『雨月物語』と『春雨物語』をも収録したお値打ちの書物なのだ(本文以外に頭注と現代語訳を備える)。
 ……庭鐘が秋成にしたと大谷晃一ゑがく面会の場面、与えたるアドヴァイス。かりにこれが一粒の想像であったにしても、ひるがえってみればこのアドヴァイス、そのまま近世から近現代に至る間の創作や翻訳、翻案、或いはラフカディオ・ハーンに代表されるような再話にまで、適用させられるのではあるまいか。
 ようけ読んで、自分の思てることが出せるやつを選びまんのや。
 たしか平井呈一もハーンの再話文学を述べたエッセイのなかで、同種のことを書いていたように記憶する(『小泉八雲入門』P75-6, 78など。古川書房 1976/07)。
 ──ここで自分のことを話すのはおこがましいけれど、ちょっとした事情あって中断しているわが「近世怪談翻訳帖」もその例に洩れるものでは断然なく……日頃自分のなかに去来し、或いはふとした拍子に生まれたり記憶する人々の事どもを思うて江戸時代の随筆や小説を読んでいると、これは、と膝を打つような代物に出喰わす。
 シドニィ・シェルダンの”超訳”に対抗して”創訳”なんて呼んでおるが(対抗云々はあくまで言葉の綾と受け止めてほしい)、セレクトして現代語訳する作品はどれも琴線に触れた、その時々で〈自分〉を表出するに打ってつけだった、という意味で一貫性はあると思うている。
 この「近世怪談翻訳帖」も最近新しいものをやろうと企んで、なにかないかな、どれにしようかな、と漁っているうちにまたしても『雨月物語』へ辿り着いた。選んだのは、「吉備津の釜」と「貧福論」。去る五月の連休の中日に遭遇して此方を睨みつける過去の同僚を心中に住まわせて女の情念執着嫉妬怨念を描ききった「吉備津の釜」を選び、ここ数ヶ月で深刻に想い巡らし痛打させられることしばしばであるお金についての管見から「貧福論」を選んだ。現時点に於いては至極真っ当なセレクトである、と思うている。
 「吉備津の釜」については正直、「蛇性の淫」と迷いましたがきっかけとなった女のことなど思うて較べた結果斯くの如くとなりにけり、である。
 菜緒「吉備津の釜」は、貞淑の妻を棄てて愛人に走った夫が妻の怨霊によって愛人もろとも取り殺される話で、「蛇性の淫」は蛇の化身と知らず美しき未亡人と契を結んだ男が執着されてしまう、〈道成寺縁起〉をベースにした話。そうして「貧福論」は蓄財に励む武士と黄金の精霊の間で交わされるお金のこと、貧福についての一問一答を記した話である。
 「吉備津の釜」と「貧福論」、二篇いずれも現代語訳の出来上がりがいつになるか、皆目見当がつかないけれど、散発的な肉体労働の合間合間でテキスト片手に参考文献を引っ繰り返して読み直し、「貧福論」に至っては冒頭部分のみながら既に試訳を始めているのは、こんな気持や経緯があってのことなのである。
 特にこの「貧福論」ね、『雨月物語』のなかじゃあ影の薄い〆の作物だが、商家の主人で常にお金や経済というものと無縁ではいられなかった秋成の胸のうちを窺い知れるような一篇で、わたくしはとても面白く読む。なかでもね、「恒の産なきは恒の心なし。百姓は勤めて、穀を出し、工匠等修めてこれを助け、商賈[しょうこ]務めて此を通はし、おのれおのれが産を治め家を富まして、祖を祭り子孫を謀る外、人たるもの何をか為さん」(角川ソフィア文庫版『雨月物語』P317 2006/07)という条に震えるような共鳴を覚えるんだ。◆

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第3654日目 〈夜更け、上に覆い被さってきたもの。〉 [日々の思い・独り言]

 金縛り、というてよいか迷うのだが、以前は時々、いまはごく稀に、夜更けの刻、寝ついてうつらうつらしている際にとつぜん、体全体が上からなにかにのしかかられているようになり、四肢の自由がなくなって動かせず、なにかがいるような感じがしてならない経験をする。そのとき自分のまわりの空間は重油を多量に含んだ液体を固めて作った壁みたくなっていて、ねっとりとした空気に支配されて、……息苦しくて、声も出ず。
 以前は時々、いまはごく稀に。
 ──昨晩、久しぶりにそんな経験をしたのである。解放されて時計を見ると、(午前)2時27分、だった。
 電気を消して、ぼんやりしてるうちに眠ってしまった。ありがたいことにちかごろは、寝つきが良い。オーディオブックやYouTubeの助けを借りずとも、十数分後には寝に落ちていることも当たり前となり。
 一時間半程の後。
 なにかがベッドのそばへ来て、腕に触れた。独り寝である、生あるもの、この屋内にあろうはずもないのだが。
 しかしその正体を、わたくしは知っている。なにものであるか、よくわかっている。──腕に触れたとき、そう思うたのだ。以前のような悪意あるもの、禍々しいもの、ではなかった。むしろ逢いとうて逢いとうてならんかった存在、そう直感したのだ。(マッケンの短編と同じアルファベットの者)
 それ、はベッドの脇につましく立ち、そっと、わが右腕を撫でさする。ゆっくり、やさしく、何度も何度も。過去の近似した現象、経験に異なるのは、そばにいるそのなにかは恐れるべき存在、厭うべき存在にあらざること。むしろそのなにかがいまこの瞬間そばにいて、わたくしに触れていることを、嬉しい、と思うていること。この二点に尽きる。
 わたくしは、その、なにか、が、誰、であるかを知っている。
 するうちそれは影となって姿を現し、身を乗り出して左腕をも同じように撫でさすってきた。不安な気持で夜を過ごす幼児を安心させんとこれ務めるかのように。
 影は跨がり、両のただむきを摑んだ。それをしあわせに感じた。
 影は前屈みになり、希望を囁く。涙が落ちるのを堪えられなかった。
 営みを終えて影は去り、徐々にこちらの意識も正常に戻ってくる。時計を見ると、(午前)2時27分だった。
 それから朝まで、アラームが鳴るまで、満ち足りた気持で、一方で想いを募らせながら、再び寝に就いたのである。
 影が誰であったか、よくわかっている。◆

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第3653日目 〈”はじめて”はすんなりゆくものにあらず。──仏教美術の読書の場合。〉 [日々の思い・独り言]

 やはり”はじめて”はむずかしい。はじめての分野の本は終わるまでに時間がかかる。その分野独特の専門用語や文章表現になかなか馴染めないからだ。立花隆や佐藤優のように、曲がりなりにも〈知の巨人〉と呼ばれる人たちならばそのあたり、なんの苦もなくクリアできるのだろうけれど、凡人の極みたるわたくしには到底できぬ芸当だ。
 殊、はじめての分野での最初の一冊が寝る前の、こま切れ時間を用いた読書であるならば菜緒更である。まったくの五里霧中状態からどうにか抜け出せるようになるのは、読書も中盤に差しかかる時分のことであろう。否、読書中にそんな状態になれれば万々歳というべきか。
 かつて岩波ジュニア新書から出ていた水野敬三郎『奈良・京都の古寺めぐり 仏像の見かた』(1985/02)をいま読んでいるのだけれど、これが存外にカロリーたっぷりの内容で、仏像の名称にまず難儀する。続けて細部の説明を、図版と見比べながら何遍も読み返す。そうやってようやく合点して(した、と思うて)、先へ進む。だから毎晩のページを繰る手も鈍重になりがちで、先へ進むスピードもあまり速くならない。
 とはいえ本書の舞台は、奈良の古寺、京都の古寺。そうして扱うのは、そこに祀られた仏像だ。目次を眺めていると、その多くが旅行で訪れたことのある古刹で、いちどはその前に立ってまじまじと見ている像なのだ(連れていってくれた両親に感謝!)。法隆寺の救世観音、中宮寺の弥勒菩薩、室生寺の十一面観音菩薩立像、東大寺の大仏、平等院の六丈阿弥陀如来座像……。どれも前面細部の造作は忘れているが、前に立ったとき抱いた気持は、やや色褪せつつもいまなおどうにか思い出すことができている。一方でわたくしは読みながら、その朧な記憶を補強する作業も並行している──だってお寺のなか、お堂のなかだとどれだけ目を凝らしても、仏像の細部なんて視認できないもん。況んや背後左右や光背をや。
 斯様なことはありと雖も、仏教美術について読む(たぶん)はじめての本がこれで良かった、とは思うている。
 図版の見にくさは、モノクロゆえの限界といえるだろう。さりながら文章を、うわべを撫でる読み方ではなく一文一文を丁寧に読んでゆけば、その不満は或る程度まで解消されるはずだ。その文章も平易な言葉遣いで丹念に綴られており、丁寧にその特徴や魅力、他との近しさ或いは違いを説き、読み進めるにあたって読者の興味をより専門的な──もうちょっと詳しい、という意味合いだけれど──書物へ導き、また実際に現地に足を運んでこの目で見てみたいという気持をかきたててくれる。かつて奈良に旅行する際に読んだ和辻哲郎『古寺巡礼』(改訂版/岩波文庫。初版/ちくま学芸文庫)や亀井勝一郎『大和古寺風物誌』(新潮文庫)と同じく、わたくしにはこの分野の標準的読み物と思える。
 ……いまの時点では(2023年06月12日 17時40分現在)絵に描いた餅でしかないが、『奈良・京都の古寺めぐり 仏像の見かた』を読み終えたらばその後しばらくの間、未読のまま架蔵している古寺巡礼や仏像めぐり、名刹の本を読んでみようか、なんて企んで、それが現実になるのを愉しみにしている。
 モ一つ、序に申せば、願望はありながら久しく訪れていない(コロナばかりでなく、まァいろいろありましたから)古都の客になって、本で紹介されていた仏像・お気に入りの仏像との対面、再会を望んでいる。あー、早くそんな日が来ないかなぁ。◆

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第3652日目 〈平井呈一怪談翻訳集成『迷いの谷』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 平井呈一怪談翻訳集成『迷いの谷』(創元推理文庫 2023/05)が出た。しまった、やられた。もっと早くにやはり手を打つべきだった。己の懶惰が招いたそんな後悔が、ページを繰る手を鈍らせる。
 M.R.ジェイムズとA.ブラックウッドの小説が主柱になる本書だが、こちらは既に原本を所持しているので「読む」というよりは「目を通した」というが正しい。翻訳小説については平井の初期訳書、A.E.コッパード「シルヴァ・サアカス」とE.T.A.ホフマン「古城物語」が読めるのがなによりの収穫。
 後者は奢灞都館版で馴染みがあるとはいえ、こうして文庫で読めるとなるとまたその価値は格別だ。誰もが読める状況が作り出されたことが、なにより嬉しい。ドイツ・ロマン派の雄ホフマンの名作が手軽に読めるようになったことを、やはり喜びたい。
 もう一方のコッパードだが、こちらも文庫で読める日が来ようとは、まさか思うておらなんだ。荒俣宏・編『怪奇文学大山脈』に収まるとはいえ、ホフマン同様、読んでみようと思うとチト手に入れるに難儀しそうなこの本、ふしぎと古書店で見掛けぬ大冊ゆえ図書館のお世話になるが賢明か。されどこのコッパードは平井が翻訳で初めて原稿料を稼いだ記念すべき作品──翻訳家・平井呈一(程一)のデビュー作だ。まずは必読、見逃すべからざる一品といえるだろう。
 この「シルヴァ・サアカス」と「古城物語」については、稿を改めて感想文を綴りたい。
 収録されたエッセイ群について個人的なところを述べれば、もはや新味はない、というてよい。というのも過半が先年出版された荒俣宏・編『平井呈一 生涯とその作品』に収められており、そちらで読んでしまっているからだ。逆にいえばそろそろ呈一名義で発表された各種エッセイ、書評の類は払底しつつある、ということだろうか。
 『迷いの谷』収録のエッセイ七編のうち、「教師としての小泉八雲」はこの人ならではの創見を示した一編として、とても興味深く読んだ。
 戦時中、平井は空襲を逃れて新潟県小千谷市に疎開して、その地の中学校で教鞭を執った経験を持つ。教え子たちは平井去りし後も師を敬慕し、絶えざる交流が持たれた由。平井の訳業として江湖に知られる恒文社版八雲全集は、当時平井の薫陶を受けた一人が創業した出版社から刊行されたものである。
 その学校生え抜きではない、つまり卒業生でもない、東京からやって来た文化人、というだけで教壇に立つことを、果たして平井は想像していたろうか。或る意味で(今日風にいうならば)アウェーに自分を置いてそこで身過ぎ世過ぎを余儀なくされたわけであるが、そのあたりの心境や経験というものが、このエッセイには影を落としているように感じるのだ。
 八雲が教えていた学生が亡くなった際の文章に触れて、「教育とは、ほんとうはこういうところにあるのだという感を深くする」(P580)と述べる。このとき、平井の脳裏には小千谷時代の教え子たちの姿が浮かんでいなかったろうか。また、「松江や熊本時代に、貴重な執筆時間を生徒の作文添削にそがれるのが辛い辛いといいながらも、克明にそれを楽しみつづけていたのも、『ことば』に対するかれの執念の一つのあらわれともいえるだろう。それにつけても、国語によらず外国語によらず、ものを教える今の人たちには、『ことば』を大切にするということを、もっと八雲から学んでよいと思う」(P581)という結びの文書には、国語を教えたり演劇指導に真摯に取り組んだ頃の平井の情熱の燠火を見ることはできないだろうか。
 とまれこの一編は、ながく八雲に関わり続けた平井の気魂が宿った集中屈指の文章と思う。
 ……さて、こちらの懶惰が招いた後悔、その源は、「秋成小見」にある。要するに初出誌『現代詩手帖』の秋成特集号を20代の極めて早い時期に神保町の古書店で入手して以来いったい幾度、この平井の文章を舌舐めずりしながら、或いは端座して耽読したかしれない。あの当時に書かれた秋成に関する文章としては、「研究」という面からは扱いかねるものの「鑑賞」としては抜群のクオリティを持った一編だ。
 創元推理文庫から出ている平井の翻訳集成や前述の荒俣の本でも、エッセイが収録されると聞くたび本屋さんで目次を開いて確認するのは、この小文が収録されているかどうか、だった。もちろん、収められていないとわかるや胸を撫でおろした。なんというか、あまり人に知られぬ宝物のように思うていたのだね。何年も前から、平井呈一名義の本に未収録のかれの文章を数編、まとめて解題しよう、それを本ブログに載せよう、と考えプランを作り書きかけたのが他に目移りしていったん棚上げし、そのまま己の懶惰と怠慢が祟って令和五年の先月五月末に遂に……咨! まぁでも、まだ〈タマ〉はあるさ、と反省の色なく先延ばし。

 平井呈一の怪奇小説の翻訳、どれもとても味とぬくもりがあって、年齢を重ねるにつれてこの人の文章や言葉遣いが馴染んでくる。10代の頃に『怪奇小説傑作集』と『恐怖の愉しみ』の洗礼を受けて、その後に書く自分の文章にもどれだけの影響を及ぼしてきたか知らない(他の怪奇党の方々もそうであろうが、こわい話・気味の悪い話・ぶきみな話・ふしぎな話を好むようになったのは『怪奇小説傑作集』と『恐怖の愉しみ』なくしてはあり得ぬ。要するに、これらとの邂逅によって人生がちょっと違う方向へねじ曲げられたのだ。就中前者第一巻の解説、その結びに……)。
 それは翻訳についてもエッセイについても然りなのだけれど、とはいえ、失礼ながらそろそろ食傷気味になってきたのも否めぬ事実だ。
 平井呈一という不世出の翻訳家の全貌を窺い知るための材料、その文章の妙味を味わうメニューとして今後、なるたけ間を置かずに復刊する必要ありと思うのは、クイーンやセイヤーズ、カーやヴァン・ダイン、デ・ラ・トア、ヘンリ・セシルらの推理小説と、「青春のまたとない思い出」として上梓したアーネスト・ダウスンの全小説集『ディレムマ』、『おけら紳士録』を始めとするW.M.サッカレーの諸作、オスカー・ワイルドの童話や小説、あたりなのだが如何であろう?
 それにしても、つくづく残念に思うのは、荒俣や紀田順一郎が一度は手にして読んでいた平井の回想記「明治の末っ子」がいま以てなお行方不明であることだ。これが出現すれば、これが出版されれば、どんなにか喜ばしいだろう。◆

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第3650日目 〈並列読書って、誰でもしてなくない?〉 [日々の思い・独り言]

 場所によって読む本を換えよ。その場所に本を置いておけ。
 ──成毛眞が著書『本は10冊同時に読め!』(三笠書房 2013/04)で主張するのは、この一点である。分量にしてわずか数ページ、他は壮大なる著者の読書論、購書論……しかも偏狭な。
 並列読書。著者はそう呼ぶ(但し命名者は別の由)。それはどのようなものか。曰く、──

 「超並列」読書術とは、1冊ずつ本を読み通す方法ではない。場所ごとに読む本を変え、1日の中で何冊もの本に眼を通す読書法である。(P12)

──と。
 数をこなす本読みであれば誰もが採用する結果になる読書術であり、家のあちこち、普段使いする荷物のなかに、本を置いておくのも同じだ。つまり、そうした人々にとってはなんら目新しいところのない手法なのである。でも、あまり読書しない人、1冊集中型の人には良くも悪くも新鮮な読書術かもしれない。hontoやブックメーターのレヴューを眺めていると、却ってそうした人たちの受け止め方に、成る程、と首肯して教えられるところもあるのだ。
 「本を読むのであれば、あらゆるジャンルの本をバランスよく大量に読むべきだ」(P68)と説く著者は、では何処で、どんなシーンで、どんな本を読んでいるか。105-6ページに、「『超並列』読書術で1ヶ月に読んだ本」(P105)として10冊が挙げられている。そのリストに続けて曰く、──

 このように、見事にバラバラである。
 ギャンブルに関する本もあれば、インドのIT産業についての本もあり、料理の本もある、という具合でそれぞれに関連性はない。仕事に直接関係があるともいえない。
 だが、これらの本は確実に私の血となり肉となっている。必要ではない本を読むのは一見ムダのように思えるが、意外なところで役に立つのだ。(P106)

──と。
 意外なところで役に立つ。それは佐藤優や出口治明など不断の読書を欠かさぬ知識人たちが異口同音に述べるところでもある。相手の人種国籍を問わず、読書によって蓄えられた知識はいつでも引出しから取り出して、相手にわかりやすく説明できるようにしておくこと。それは(超)並列読書術を用いる読書人ならではの、最大の武器でありコミュニケーション・ソースとなるだろう。──斯くいうわたくしも、読書で得た知識やトリビアを、馴染みのクラブで披瀝してその場の会話を盛りあげることもある(あった)。
 おっと、話が逸れた。
 成毛眞は、自宅のあちこちに本を置き、自宅のあちこちで本を読み、リビングでは置かれた50冊以上の本のどれかを読み、寝室には2冊か3冊が常置されて寝る前にそのどれかを読む。トイレのなかでも浴室でも、片時も本を手放すことはない。否、本のある場所にいつもいる。通勤用のカバンにも、会社の机の上にも、本はある。かれは本のある場所でしか生きていない。
 が、そんな風にして自宅のあちこちに、通勤用のカバン(リュック)のなかに、本を備えておいて、いつでもどこでも読める環境を整えておきさえすれば、著者のいうように、「あらゆる場面で『合間読み』と『ながら読み』をしていけば、月に数十冊読むこともわけないだろう」(P81)。
 とはいえわたくしは、本書を称賛する者に非ず。得るところ、首肯できるところはここに引用した箇所、触れた部分くらいで他は然程の内容とも思えない。むしろ仕事と読書にウツツを抜かして地に足着けた生活感覚や、他者の行動原理に想像力を馳せる能力を欠いた〈尊大の親玉〉の姿がページのそこかしこから浮かびあがってくる。
 85ページを例に挙げようか。ラーメンやアトラクションに行列する人がいたら、まるで理解できない、と切り棄てるのではなく、どうして行列をしてまで食べたいのだろう、その店やアトラクションのウリはなんなのだろう、メディアで取り挙げられたのならそれがターゲットにした層以外の人がもし並んでいたら、どうしてその人は行列に混じって並んでいるのだろう、……など情報と印象と想像力を組み合わせて考えてみるのが、経営者の視点なのではないのか。
 この件りが、己の読書術を際立たせる為に仕組んだ敢えてのフェイクであったらば、わたくしはまんまと著者の術中に嵌まったことになるが、まァ、そんなことはないだろう。こちらの過大評価でしかあるまい。
 ──それでは本来すべきの話に移る。本稿タイトルを見て、まさか『本は10冊同時に読め!』の感想だと思うていた人はあるまい。要するに、これにかこつけて、自分の話がしたかったのである。えへ。
 母を亡くして家に居る時間がより一層増えたためか、いままで本を置いていなかった場所にも本が置かれるようになった。置かれた場所にいるときは、そこにある本を読むようになった。とはいえ居間にあった本は一昨日、殆どすべてを撤去した。先程の成毛眞ではないが、撤去以前のリビングには10冊ばかしの本──文庫、新書、単行本、コミック、洋書、雑誌が置かれていたのだ。殆どすべてを、他の部屋へ動かした(残ったのは、『きょうの料理』最新号と前月号、ポケット六法、ニコラス・スパークス『Every Breath』[奥方様]、杉本圭三郎・全訳注『新版 平家物語』第二巻、以上5冊である)。娘が歩きまわるようになったので、危険要素はあらかじめ除くに如くはなし、と夫婦して判断したためだ。
 ついでに申せば、通勤時のリュックには、森功『菅義偉の正体』を入れてある。寝室のベッド脇(わたくしの側)には村上春樹『街とその不確かな壁』、山本博文『歴史をつかむ技法』がある(いずれも05月26日時点)。尾籠な話になるが階下の厠には、わたくしが読むものとして、読進中の小泉悠『ウクライナ戦争』の他、次に読むものとして待機中の小山哲・藤原辰史『中学生から知りたいウクライナのこと』、並木浩一・奥泉光『旧約聖書がわかる本』、佐藤宏之『気分はグルービー』、が積んである。そうして階段のニッチには立花隆の本が2冊(文藝春秋編『立花隆のすべて』と立花隆・談/會田純一・写真『立花隆の本棚』)といった具合だ。ただ、どうしてこんな所に本があるのかは不明。
 家のあちこちに本がある。そのメリットは、そこで読む本をあらかじめ物色する手間が省けることだろう。そのデメリットは、分散式読書ゆえになかなか読み終わらぬことだ。厠での読書なんて特に、ね。この場合は痔にならぬよう注意を払わねばならない(笑うなかれ、本気の注意喚起だ)。
 けれども、どこに置いてある本でも着実に前へ進んでいる。ほんの数ページであっても、そこにいる時はそこにある本を開くのが習慣になる。たといそこにいる時間が短くとも、何行かでも読めればシメタものではないか。本を読む人は、量ばかりではなく時間についても、「塵も積もれば山となる」てふ諺の誠なることを考えてみた方が良い。──但し、厠での読書にあたっては、くれぐれも痔にならぬよう重ねてご注意申し上げる。キリの悪い箇所でも中断する勇気を持て。
 「塵も積もれば山となる」、それが証拠に、厠での読書であった小泉悠『ウクライナ戦争』は(たしか)先月04月10日あたりから読み始めて、1ヶ月半程経った今月05月26日現在残りは27ページ。或いは、寝しなの相棒山本『歴史をつかむ技法』は05月15日から始めて上述日現在でほぼ半分。どれも毎回数ページしか進まない、進められない。読書は生活を支える杖に非ず。それでも細切れの時間を主に活用してここまで進んだのだから、「塵も積もれば山となる」式読書の好例というに支障はあるまい。
 森『菅義偉の正体』は、既読本では詳述されなかった横浜時代や、アプローチのやや異なる秋田時代と上京後のあたりがなかなか興味深い記述にあふれているためもあって、ちょっとゆっくりめの読書になっている。それでも藤木企業との関わりを深彫りした章「港のキングメーカー」を終えたそのあとは既読本でも散々触れられてきた国政に転じて後の話となる様子なので、或る程度の流し読みでも構わぬか……と思うていたが、そんなことはなかった! それは甘い見通しだったのだ。
 小此木彦三郎の秘書となったときを出発点とする〈影の横浜市長〉時代、初当選から総務相、官房長官を歴任した〈影の総理〉時代を、菅本人や関係者、ゆかりの人等へ取材した際の記録を折々交えているせいで、読み手のこちらは、特定の出来事についても既読本に較べてより立体的に捉えられることができる。かなりの読み応えがある証拠だろう。──ゆえにこちら(『菅義偉の正体』)は05月13日あたりから始めて2週間になる上述今日時点でようやっと半分超、238ページに達したところだ。残りは150ページである。
 ここまでを煎じ詰めれば、(ほぼ)毎日少しずつ、ゆっくりとだが着実に前に(読了に)向かって歩を進めている、ということ。痔になる前に、眠くなるまでに、目的地に着くまでに──タイムアップするまでに。亀の歩みでも欠かすことがなければ確実にゴールへ到達できるのだ。
 もうひとつ、肝要なのは、読書のための環境──読書せざるを得ない環境を無理矢理でも作り出して、そこに身を置くのを当たり前にしてしまうことだ。電車のなか、厠のなか、ベッドのなか──用事を済ませるまでは、目的を果たさぬ限りは、動くことのできぬ場所での読書程捗るものはない。
 ここでわたくしが思い起こすのは、バーナード嬢こと町田さわ子と佐藤優である。理想の読書環境としてド嬢が挙げたのは、独房(監獄)、であった。国策捜査によって偽計業務妨害等の疑いで逮捕された佐藤優は、留置場で数百冊の本を読み倒した(『獄中記』巻末を参照せよ)。甚だ無礼ではあるが、ド嬢の絵空事の域を出ぬ理想の読書環境はその真なることが佐藤優によって実証されたわけだ。……でも、誰でもこんな環境での読書だけはご免被りますよね。
 日々の生活や未来の計画を犠牲にした読書、家族を哀しませてまでする読書に、果たしてなんの価値がありましょうか。人生を損なってまで行う読書に、なんの愉悦がありましょうや。
 ──というわけで、母亡きあと自宅の幾つかの場所に本が置かれるようになった。そこに置かれた本を、そこにいる間は読むようになった(並列読書の実現)。結果として、読む本が多くなり、ますます知を渇望するようになった。知識欲に限界はない。ファウスト博士がそれを証明した。
 本稿は読書を重ねることで更に知を渇望する男の、予定外に長くなった〈独り言〉──毎度御馴染みの〈とはずがたり〉である。◆

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第3649日目 〈ちかごろ同じ話題ばかりでツマラン、というてきたと或る読者に。〉 [日々の思い・独り言]

 「最近は本の話ばっかでツマンネー、他の話題はないのかよ」と直接いってきた、と或る読者のご質問にお答えしたい。おそらくそれが、大多数の読者諸兄が思うていることでもあろうから。
 いやいやまったく、ツマラン気分にさせて申し訳ない。
 同じ話題が手を替え品を替えて続くのは、最近殆ど家に居て、外に出ることが余りないからなんだ。本の話以外に書きようがない、と開き直っているわけではない。
 わたくしも最近は、本の話ばっかりだな、と反省している。事態の改善にはかなり時間がかかりそう。為、咨モナミ、君よ、それまで他をぶらついて来なさいな。
 本以外の話題を頻出させられるようになったら、その時はまた君の名前を呼んでみるからさ。わたくしの声が聞こえたら、帰ってくるといい。
 アディオス!◆

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第3648日目 〈わたしの人生を決めた本──『文藝春秋』2023年5月号特集に倣う。〉 [日々の思い・独り言]

 本のない生活は想像できぬ。本を読まない生活は想像できぬ。──いったいどうして、こんなわたくしが作られたか。
 『文藝春秋』2023年5月号の特集は「私の人生を決めた本」だった。「読書家81人による史上最強のブックガイド」と銘打ち、池上彰や鈴木敏夫、矢部太郎、スピードワゴン小沢らが思い思いに、これまでの人生で出会い、その後の自分に影響を与えた、自分を変えた本を、語っている。たとえば、第二次岸田改造内閣で外務大臣を務める林芳正は、安岡正篤『百朝集』を挙げる。Aマッソ加納愛子は司馬遼太郎『龍馬がゆく』、宮崎美子はウィリアム・サロイヤン『人間喜劇』、角川春樹はナポレオン・ヒル『巨富を築く13の条件』を……と続いてゆく。
 翻って──僭越ながら筆者がいちばん勝手のわかっている某人物の場合は、といえば……
 人生を決めた本、なんてそうザラにあるものではない。某はそう語る。
 中高生の頃に読んだ本はどんなものでも(良きにつけ悪しきにつけ)血となり肉となり、今日でもふとした折に読んだり思い出すこともあるけれど、ではそのなかに果たして、人生を決めた本、っていうものがあったかどうか。
 両腕を組んで小首を傾げて「ふむ……」と思い出そうとしても、読書家81人が熱弁する如く強い思い入れを抱く本があったのか、人生の節目に出喰わして決定的な影響を被ったような本と出会っていたか、すこぶる疑問だ。
 「私の人生を決めた本」なんてあったっけ。あるとすればどの本がそれに該当するかな。半月ばかり、考えた。時に書架を眺めて、ダンボール箱を引っ繰り返して、考えてみた。
 結局のところ、これまでも本ブログで(何度となく)触れたことのある、10代20代の頃に読んだ本なんだよな、それって。
 筆頭は渡部昇一『続 知的生活の方法』だろう。『発想法』や『国語のイデオロギー』もそうだ。生田耕作『黒い文学館』と『紙魚巷談』、平井呈一『小泉八雲入門』と(30代になってすぐに出版された)『真夜中の檻』も逸することができない。
 小説となれば枚挙に暇がない。赤川次郎、久美沙織、氷室冴子、新井素子、辻真先。スティーヴン・キング、クライヴ・バーカー、H.P.ラヴクラフト、アーサー・マッケン、エミリ・ブロンテ、ゲーテ、ヘッセ。勿論、その他諸々。
 とはいえ、今更かれらの作品を、「私の人生を決めた本」と決めつけてしまうのは、疑問符を付けざるを得ない。
 ……そこで、記憶の根本まで潜ってみることにした。上に挙げた以外の人物による本があるかもしれない。そんな期待をかすかに抱いてのことだった、のだけれども……
 実は考えてみるまでもなかった。無意識に、上に挙げなかった書き手がいたことを、書名を挙げなかった本のあることを、思い出したからだ。つまり、──
 わたくしはコナン・ドイルのシャーロック・ホームズによってミステリに、イギリスという国に魅了されたのだ──それは母方の祖父から贈られた『緋色の研究』で始まった。
 わたくしは和歌森太郎:考証・解説『学習漫画 日本の歴史』と樋口清之監修『日本の歴史を動かした人びと』によって歴史に関心を持つようになったのだ。
 わたくしは幼稚園の頃両親が毎夜読んでくれた『ママお話きかせて』で〈おはなし〉の愉しさを知り、この世界に物語なるものが星の数程もあると知り、一方で本を読む歓びを覚えたのだ。
 わたくしはドイル同様母方の祖父から贈られた北村泰一『カラフト犬物語』によって南極に憧れ、高校に進学すると極地や秘境探検物を好んで読むようになったのだ。
 わたくしは兄が持っていたゲルハルト・アイク『中世騎士物語』によって、世界の伝説に惹かれるようになったのだ。
 わたくしは旧ソ連のSF小説作家アレクサンドル・ベリャーエフ『宇宙たんけん隊』によって宇宙に憧れ、そこを舞台とした物語に心躍らせるようになったのだ。これも兄が読んでいた1冊だ。
 どれもこれも、幼稚園から小学校卒業までわたくしの周囲にあって、飽きることなく読み返してきた本だ。そうしてこれらいずれも歳月を経て、災禍を乗り越え、幾度もの蔵書処分をまぬがれて、現在も書架やダンボール箱のなかにある。うち刊年の最も新しい本でも既に35年以上が経過していることは、わたくしの年齢を考えれば敢えて申しあげるまでもない。……やれやれ。
 今後も大なり小なり影響を被る本と出会うだろうが、そのうちのどれも、人生を決めた本、にはならない。当たり前の話だ。
 けれども──行き当たりばったりで、特に「これ!」と一点執着することもなく雑多に読み漁ってきただけの本好き、趣味:読書の男であっても、すこしく記憶を探って「人生を決めた本」を探し当てられる(それも、幾つも!!)幸せは噛みしめられるのである。◆

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第3647日目 〈無味乾燥な政治家の本を書いたのは誰か。〉 [日々の思い・独り言]

 相も変わらず、性懲りもなく、本の話。
 政治家が書いた(とされる)本。政治家について書かれた本。政治について書かれた本。そんなのを、日中は読んで過ごしている。いつもじゃないが、外出した際に読むことが多い、という意味で。いまは前首相にして元官房長官名義で出版されている本だ。
 わたくしが声を大にするような話ではないし、そもそも冷静になって考えると自分に言う資格があるのか甚だ疑問であるが、要するに、政治家が書いた(とされる)本を読んでいると極めて退屈で、欠伸が出る。なぜならば、政治家名義で出版された本は数こそあれど、無味乾燥な文章がだらだら続き、読ませる技術が劣った本が、その圧倒多数を占めるからだ。
 これまで何人もの政治家の本──現役であれば政策や国益について熱弁したプロパガンダ文書、引退していればお決まりの自己擁護が跋扈する回顧録──を読んできた。好きでいろいろ読んできたのだ。それゆえ余計にかれらの著書を無味乾燥、平板稚拙、なんて思うのかもしれぬ。が、それも仕方のない話である。だって、これは……! と膝を打つような「読ませる文章」で書かれた本にお目に掛かったこと、今世紀に入って1冊もないんだから。
 文章のプロではない政治家が本当に自分でワープロなりパソコンなり万年筆やらなにやらで、つまり自分の手を動かして書いているなら、文章の稚拙や平板ヤマなしオチなし自慢と自己顕示がのんべんだらりと、果たしていつまで続くのか……と思うても仕方ないだろう。まぁそう考えると、元東京都知事で芥川賞作家でもあった某氏って凄いよな、と、その筆力に改めて頭を垂れる他ない。
 けれど、そんな政治家──実際に自分の手を動かして本を書いている政治家はいまの世にどれだけいるか。少数派であるのは間違いない。では、それ以外の人たちが自身名義で出した本は、誰によって本当は書かれたのか? むろん、ゴーストライター、である。
 政治家の周辺にいるスタッフなのか。フリーランスのジャーナリストなのか。長年その政治家を取材してきた報道機関の記者、或いは編集委員・解説委員の類なのか。まさか一般公募ではあるまい。いずれにせよ、第三者の手によって書かれて当該政治家の検閲を経て出版社に原稿が渡っていることは、たしかだろう。
 実際に書いたのが誰であるにしろ、その文章力には目を覆う。スタッフであればその情状、同情の余地は多分にあるが、その正体がジャーナリストであったり報道機関に所属する人物であったなら──なんでこんなに読ませる力の欠落した、生気の抜けた文章を書き殴ることができるのか。もし「如何にもその政治家が書いたように、文章はちょっと素人っぽく演出しました」なんて理由ならばそんなもの、トンチキの極みだ。その政治家の知力を愚弄しているように映る。
 政治家は自身名義の本を自分で書くべし、なんてことは言わない。言えないし、言う気もない。その時間を他の、自分の本業に費やしてほしい。が、政治家へのインタビューをまとめあげて1冊の本に仕立てる黒子役を担う人たちは、せめて自分が文章を書くプロである、文章を書くことでお金を稼いでいる、という矜恃を常に保ち、たとえ自分の名前が出ない本であっても文章を書くテクニックを存分に駆使して執筆に臨んでほしい。それは願いだ。
 人物インタビューを構成して読むに耐える本を仕上げる自由は、教科の参考書や資格取得のテキスト、住宅ローンや住宅購入の本などに較べれば、実はかなりあって融通も利くはずだから。せめて課せられた制限のなかで、自分自身を出すことなく、けれどそれまで自分が培ってきたテクニックや経験則を存分に叩きこんで、1冊の本を書きあげる時間を愉しんでほしい。◆

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第3646日目 〈塵も積もれば。──次に読む本を選ぶ楽しみ。〉 [日々の思い・独り言]

 まこと、至福の時は夜、床に入って電気を消すまでの時間。すぐには寝附けぬから、奥方様としばし話したあとでおもむろに、枕辺の本を開く。奥方様も同じだ。
 三鬼清一郎『大御所徳川家康』(中公新書)があともう少しで読み終わる。残すは第9章と第10章。大坂の陣も終わり、武家諸法度と、禁中並公家諸法度も発布し、幕府体制がこんにちわれらの知るような形となって、家康自身は駿府で文字通りの、人生初めての楽隠居の時間を持つ。
 ほぼ毎晩、ちょっとずつちょっとずつ、ページを舐めるようにして読み進め、あと40ページ程で読了となる。別稿で挙げた『ウクライナ戦争』同様、読めても精々が小見出し1個から2個分が限度。千里の道も一歩から、とはその稿に付けたタイトルでもあるが、こちらも同じで──それでも敢えて別のいい方を探せば、塵も積もれば山となる、か。この『大御所徳川家康』はTwitterで読了ツイートした後に感想文を認める予定でいる。
 そろそろ次の本を選ぼう。これもまた、至福の時。さっきまで自室に籠もって書架を倩眺めてあれこれ棚から出してぱらぱら目繰り、さてどうしようかなににしようか、と思案に暮れていた。日本史上の人物を描いた新書を3冊(村井康彦『藤原定家『明月記』の世界』と兵藤裕己『後醍醐天皇』、いずれも岩波新書)、寝しなに続けて読んできたから、次も日本史で、けれど人物中心ではなく特定の出来事や美術、或いは歴史全般にかかる本にしたいな、くらいしか考えず、選んで手にして目繰り、戻しては手にして目繰り、を繰り返し。
 あれやこれやを経て取り敢えず自室から持ってきた(=どうにか選べた)のが、山本博文『歴史をつかむ方法』(新潮新書)と水野敬三郎『奈良・京都の古寺めぐり 仏像の見かた』(岩波ジュニア新書)だ。
 どちらも買ってそのまま放置に等しい扱いをしていた。贖罪では勿論ないが、人物中心の本を読んできたから一旦ここでそれはリセットし、視点をすこし変えた日本史の本を読んでみようかな、と思うた次第。
 現行の、高校の日本史教科書(『改訂版 詳説 日本史B』山川出版社)も考えたけれど、今回は見送った。寝ながら読むには腕が耐えられそうにない、てふ消極的もやしっ子的理由による。そもそも寝転がって読むには難儀な判型、嵩だしね。寝落ちしたときの惨事を想像したら……咨!
 じゃあ蘇峰『近世日本国民史』でも良いじゃん、となりますが、こちらは引用史料の漢文が白文のままと云うこれまた消極的理由が手伝って、見送り。ちゃんと起きているときに読む本ですよ、このあたりは。
 ──『大御所徳川家康』読了にはまだ時間を要す。それまでにどちらを読むか、或いは他になるかもしれぬが、次の本を考えよう。──ちなみに奥方様はいま、赴任中にかの地で購入した、ロシア語の建築史の本を読んでいます。◆

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