第2756日目 〈太宰治晩年の読了報告。 ※感想ではありません。〉 [日々の思い・独り言]

 記録を検めると、7週間を要したらしい、太宰治『晩年』を読み終えるまで。既にお話ししたように再読なのだが、次第をいま一度お伝えしておきたく思う。
 それはこういうことだった。令和改元の興奮冷めやらぬ6月、<第二次太宰治読書マラソン>を本書『晩年』を以て開始した。が、どうやらチューニングがうまくいっていなかった様子で、収録作品の殆どにあまり思うこと感じることもないまま「道化の華」に至った。ちょうどその頃、私事で種々障ることあり、読めぬ日ができ始めていつしか間隔は広がる一方となり、終いには読むのがかったるくなってそれをすっ飛ばしたあとは、とにかく先へ進むことを最優先として最後の「めくら草子」までページを繰って読了とした。まったく自慢できない行いである。
 が、思い直して9月上旬から再び、『晩年』を読み始めた。そうして本日10月26日午前4時を回った頃にようやっと読了。これでようやくわたくしも、『晩年』を読んだ、と胸を張ることができるようになった(のかな?)。
 読後の簡単な印象として、目次に符牒を付けることが専らなのだけれど、『晩年』ではどうだったか備忘を兼ねて記録しておこう──。
 [最良]の二重丸が付いたのは「ロマネスク」と「地球図」だけ。[良]と思うは「魚服記」と「地球図」、「思い出」と「めくら草子」、「陰火」に含まれる「水車」と計4.5作。[まぁまぁ]は「雀こ」と、「玩具」に含まれる達磨と祖母の死の挿話で1.5作。最後に[どうしようもない、箸にも棒にも引っ掛からない凡々作]は唯の1編、ご存知「彼は昔の彼なならず」のみ。
 6月に読んだときとは、僅か3ヶ月の間に読後感が変わった作品もあり、事情はどうあれ再読の大切さを痛感しましたね。やっぱり読書って愉しい?
 さて、本来ならここで、では『晩年』の感想だが……となるのが常道なのだろうけれど、今日は題名の通り、あくまで『晩年』を読み終えた、という報告に過ぎぬ。各編の感想は、今年の手帳のメモ・ページに、ミミズがのたくった方がまだマシではないか、という字で書き留めてきた。これを書き直して後日の話題とするのが、目下のわたくしの企みである。ネタ切れ回避? いや、そうではない。話題の温存である。けっきょく同じことでしょ、とかいうな。
 それでは読者諸兄よ、ここで失礼する。そろそろCSで観たい映画が始まるのだ。◆

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