第2516日目 〈『ザ・ライジング』第4章 36/46〉 [小説 ザ・ライジング]

 しばしあって希美は泣きやんだ。真里が言葉少なに慰めて、テーブルに着かせた。居間に沈黙の帳が垂れこめた。テレヴィをつける気にもなれない。台所に引っこんだ真里が戻ってきて、希美の目の前に夕食を置いた。
 「はい。どうぞ」
 「わあ、美味しそう!」置かれた料理を見て、希美は歓声をあげた。「食べていいの?」
 にこやかな笑みを浮かべて、真里が頷いた。「東京に行ってからさ、ずいぶんと料理のレパートリーは増えたんだぜ。まあ、オムライスだけどさ。一人暮らし始めてようやく満足に作れたよ」
 それを聞きながら希美は、
 「思いっきり卵焦がしたり、破ったりしてたもんねえ」
 「そんな昔のこと、蒸し返すなよ。これでも一生懸命練習したのに……」真里が腕で目を隠し、声を震わせ、泣き真似して見せた。
 希美はそれを無視して「いっただきまあす!」と、用意されたスプーンで、マッシュルーム入りのデミグラスソースをかけたオムライスを食べ始めた。横にはベーコンとキャベツのスープが湯気を立てている。
 無視されたことに頬をふくらませながら、真里が自分を見ているのを希美は気づかなかった。食べている間、今日の出来事が頭から去ってゆくことはなかったが、幼馴染みの作ってくれた料理を食べることは、殊に大好物といっていいオムライスを食べることは、一時の気晴らしになるし、今後のことをじっくり考える余裕を与えてくれる。
 ――食事を終えて、しばらくお喋りを楽しんでから(真里の東京生活はなかなか楽しそうなものだった。だが、希美はふと、真里ちゃん、卒業したあとも東京で暮らすのかな、と淋しさを覚えた)、帰るのを渋る真里を、もう一人でも大丈夫だから、と説得した。それを承けてようやく真里が帰り支度を始める。
 上がり框へ腰をおろしてブーツを履きながら、真里が傍らに立っている希美に、「警察に話す気はあるの?」と訊いた。
 壁を背にして廊下に坐りこむと、希美は頷いた。
 「そう。じゃあ、明日の昼間、一緒に行こうか。知ってる人、いるの?」
 「うん。パパが刑事やってたときに部下だった人が、いま沼津署にいるの。たぶん明日もいると思う。いなくても、あすこには知ってる人がたくさんいるから」
 「そうか、刑事だったんだよね。……もうあんまり覚えてないな。拳銃見せて、ってごねたのは記憶にあるけど」
 「私だってもう覚えてないよ。広報に移ってからの方が、ずっと長いからね」
 「その頃だったっけ、彩織が転校してきたの?」真里の問いに希美は、うん、と短く答えた。「そっか。早いね……。でも、彩織の第一印象は強烈だったよ。生まれて初めて生で聞いた関西弁からなぁ。可愛い名前とコテコテの関西弁が妙にミスマッチだったっけ」
 「いまでもそうだよ」くすくす笑いながら希美はいった。
 「マジ? でも、彩織が関西弁喋らなくなったら彩織じゃなくなっちゃうよなあ。そうなったら、かなり淋しいな」と真里がいった。
 「うち、宮木彩織いうねん。よろしうな」希美は彩織の口調を真似ながら、初めて真里と彩織が対面したときの、彩織の第一声を口にした。「彩織、声が高いから、真里ちゃんのお母さん、びっくりして台所から出てきたよね」
 「そうそう」笑いながら真里は頷いた。
 それからしばらく、彩織にまつわる思い出話が続いたが、玄関がだいぶ冷えこんでき、希美のくしゃみでようやく真里は腰をあげた。
 「じゃあ、もう帰るよ」
 そういって振り返った真里が、希美を強く抱きしめた。
 「真里ちゃん……」
 「のの、辛いだろうけれど、耐えるんだよ。お前は一人じゃない。みんな、味方なんだからね。彩織もいるし、私もいる。未来の旦那様だっている。みんなでお前を守ってゆくから。いつだって甘えておいで。そうされるの、うれしいんだからね」
 希美は目尻に浮かんだ涙を指で払った。「うん、ありがとう……」
 真里が希美の体を離して、肩をぽんぽん、と叩いた。玄関ドアを開けると、真里が一声、うひゃあ、と呻いた。
 「雨だ……降るなんていってなかったのに」
 「こっちは朝から降水確率七〇パーセントだったよ」
 「箱根越えたら天気は変わるんだよ」
 「あっ、そう。……傘、持ってく?」
 「いらないよ、隣なんだから。二、三〇秒あれば着くから平気。ありがとね」
 希美から荷物を受け取ると、
 「ちゃんと家中の鍵かけて、セキュリティもチェックしてから寝るんだぞ。いいね?」
 「わかったよ、お姉ちゃん」
 「よし、それじゃ、お休み」
 「お休み」
 真里が足早に門扉へと駆け寄り、開け閉めして路地に出た。手を振ってきた。希美も手を振り返す。真里は小走りに自分の家へ向かい、門扉を開け閉めした。ややあって、「ただいまあ!」という声が聞こえた。
 それを聞くと、希美は安堵の溜め息をつき、門扉がちゃんと閉まっているのを確認すると、玄関を閉めてチェーンをかけた。そのまま居間へ戻り、セキュリティ・システムがちゃんと動いているのを確認すると、台所へ行って流しに置かれた食器を洗い始めた。
 雨粒が窓や自転車置き場の屋根を叩く小気味よい音を聞きながら、明日警察へ行ったらその帰りにお茶っ葉と生春巻きの皮を買ってこなきゃ、と思った。
 明日は〈旅の仲間〉とクリスマス・イヴ・パーティーだ。そうだ、真里ちゃんも呼ぼう、っと。美緒ちゃんもふーちゃんも、真里ちゃんとは面識があるから構わないだろう。彩織には真里ちゃんが帰ってきてるのは内緒。驚かせてやろう。
 ――ああ、どうか明日のパーティーが、心の傷を癒してくれますように。□

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