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第1135日目 〈このマーラーが示す〈親密な声〉 ~アバド=BPO=ラーション他 マーラー:交響曲第3番/1999,10 London Live)〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 アバドはベルリン・フィル歴代音楽監督のうち、いちばん難しい役割を担わされた人だったかもしれません。そうして、戦後二度目に困難な時代のタクトを任された人でした。偉大すぎる前任者の跡を襲って名門オーケストラの首席になる、ということがどれだけ労苦に満ちたものであるか、ということを、我らは如実に教えられたように思います。
 さりながら、アバドはゆっくりとしたペースでこのオーケストラを、21世紀という混迷と細分化を進める時代に即したスタイルを持つ、正真正銘のスーパー・オーケストラへと変革させてゆきました(ラトル政権下のBPOがアバド時代の遺産の上に成り立っている事実を忘れてはならないでしょう)。そうしてアバド時代は12年という、けっして短くはない共同作業の時を経て、2002年に閉じたのであります。
 目をつむるまでもなく、残されたCDやDVDの多くが注目すべきものでありましたが、そのなかでも特にこれは、というものを挙げるなら――迷ってしまうのですが、アバドの十八番であるマーラーを。できれば「全集」を、という形でお茶を濁したいのですが、敢えて、となれば、交響曲第3番を推します。
 1999年10月ロンドン・ライヴというデーターを持つ本盤は、いってみればアバドとBPOの全盛期であり総決算的作業がされていた時期のもの。
 アバドにしてみれば前回ウィーン・フィルとの盤から17年ぶりの再録音となります。この文章を綴るにあたって改めてVPO盤とBPO盤を聴き較べてみたのですが、その作業自体が野暮に思えるほど、後者はみずみずしい響きが全編に鳴り渡り、自然に生まれたあたたかさに満ちて、しなやかであります。指揮者とオーケストラの12年の共同作業が、世間があれこれ喧しく噂や憶測を勝手に囁いていた程悪くはなかった、否、実際はどれだけ幸福であったかを示す、最上にして最良の証しではあるまいか、と思うのであります。
 現在常任を務め、その契約を2018年のシーズンまで延長したラトルにしても然りですが、アバドもデヴュー当時からマーラーを得手とし、キャリアの要となるコンサートでは必ずといってよいぐらい振り続けてきて、この作曲家への深い愛着と理解を示してきました。一度は全集を完成させるも旬日経ぬうちにBPOと二度目の全集録音をスタートさせ、かつ、ルツェルン祝祭管弦楽団とは映像による全集に着手している彼がマーラーを愛しているのは確かですが、同じ意味合いでアバドはマーラーに選ばれ、愛された指揮者だ、とはいえないでしょうか。
 その親愛に満ちた数々のマーラー演奏のなかで、なにはさておき聴くべき一枚といえるのが、この、マーラーの交響曲第3番のCDであります。
 クラウディオ・アバド=ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と協演しているのは、アンナ・ラーション(Ms)、ロンドン交響合唱団(合唱指揮:ステファン・ウェストロップ)、バーミンガム市交響楽団ユース・コーラス(合唱指揮:サイモン・ハスレイ)。ちなみにこの日はプログラムの前半に、ヴォルフガング・リームの最新作《二倍の深さ》In doppelter Tiefe(1999年秋世界初演)が演奏されています。
 なお、合唱団の一つ、バーミンガム市交響楽団ユース・コーラスについて一言。文字通り、バーミンガム市交響楽団と活動を共にする青年合唱団ですけれど、楽団の前任者であり現在のBPO音楽監督であるラトルがたびたび、コンサートと録音で起用してもおりました。アバドが今回のロンドン公演にてこの合唱団を招いたのは、自分の後任となるラトルへのお祝いだったのかもしれません。
 この日━━1999年10月11日、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでの公演(欧州・米国ツアーの一環)が、第5代音楽監督アバドとベルリン・フィルの、最後のロンドン・コンサートとなりました。◆

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第1134日目 〈ラトル=ベルリン・フィルのブラームス交響曲全集を聴きました。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 ラトルって良いな。そう思えたのは2010年に一部の映画館で上映された「シネ響 マエストロ6」でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(独奏:ラン・ラン)、チャイコフスキーのバレエ組曲《くるみ割り人形》を観たときだった、と記憶する。それ以来、頻度は他の指揮者に較べれば少ないけれど、ラトルのCDを機会あれば捉えて耳を傾け、映像あれば時間を作って鑑賞し、そうやって徐々に、わたくしのなかのサイモン・ラトル像は修正されてゆき、偏見から普遍の方向へ舵を切った感がある。
 いちばん最近になって聴いたのは、ベルリン・フィルを指揮したブラームスの交響曲全集である。これは2008年の録音で、国内盤がリリースされたのは翌2009年。最近になって聴いたというにはちょっと遅いけれど、、ここは一つ御寛恕願いたい。ちなみにこれは現在わが陋屋に蓄えられて、今日に至るも処分を免れて残るブラームス交響曲全集のなかでも最後から二番目の新顔で、ここ数年で新しく手に入れた内ではいちばん再生される回数が多い。
 これまでブラームスの交響曲全集は星の数程も作られ、事実ベルリン・フィルにとっても果たしてこれまで何人の指揮者と組んでブラームスに取り組み、全集を市場に供給してきたか、ちょっと見当が付かない。ラトルが常任に就任して2期目のシーズンに当たる2008年、ようやくブラームスをEMIに録音した事実は、それだけベルリン・フィルの伝統にブラームスの音楽がしっかり根附き、それなりの覚悟なくして取り組むこと能わず、というところだったのであろうか。
 そんなあれやこれやの推理ごっこはともかくとして、わたくしはこれをブックオフの棚で定価の1/3程度の値段で発見、財布の中身と相談した上で購入して陋屋に持ち帰り、飽きることなく再生して付属のDVDも折節観ては、自分がいつの日かこれを生で聴くことはあるのだろうか、と想像して打ちひしがれ、とにかくそんなこんなで日々を過ごす過程でラトル=ベルリン・フィルのブラームスが段々と特別な位置を占めていったのは否むことかなわぬ事実である。
 ゆえに贔屓の感想となってしまうが一言述べれば、全4曲のなかでわたくしが最も好いたのは交響曲第2番である。明朗闊達な、ブラームスらしからぬ健康的で陽光に溢れたニ長調の交響曲を、こんなにうれしい気持ちで聴いたことは久しくない。
 第3楽章の長閑なレントラー風の音楽に心は浮き足立ち、気も漫ろにさせられ、第4楽章の、最後の最後で爆発する歓びのファンファーレに随喜の涙を流し得る演奏と出会ったことなんて、コンサートでもレコードでもそうそう滅多にあるものではなかった。
 ――全曲が終わったあとでふいに訪れる静寂の時間に目を閉じ、口のなかで「ありがとう」と呟くことの出来る演奏なんて、生きていて出会えるかどうかわからぬ類のものだ。が、わたくしはこのラトルの第2番に(世評はどうあれ)それを見出した。我ながら大袈裟であるのは百も承知だ。でも、そんな風にしか自分の感想を、思いを、素直に表明できないでいるのは、最早性分である。お許し願いたい。その気恥ずかしさを敢えて隠して、このニ長調の交響曲の感想を一言でまとめあげるなら、「人気の絶えた鄙びた温泉の露天風呂に昼間から浸かってぼんやり青空を見上げているような気分」というところか。
好みでいえば、その次に良かったのは第3番である。最初と最後の曲については五十歩百歩、ラトルの気質とは反発しているように思うた。◆

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第1132日目 〈山川直人『澄江堂主人』を読みました。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 橋本武著『〈銀の匙〉の国語授業』(岩波ジュニア新書)が活性剤となって、中勘助の『銀の匙』が再び読まれるようになった。中勘助は夏目漱石に推奨されて世に出、幾作もの忘れ難き作品を遺して逝った人だが、もう一人、同様に漱石の推奨を承けて世に出て短くも華々しい足跡を残した人がいる。
 教科書でお馴染みの『羅生門』でデヴューし、幼き頃に読んであざやかな思い出をいまでも残す『トロッコ』や『蜘蛛の糸』、『杜子春』を書き、もしくは『或阿呆の一生』や『西方の人』、『侏儒の言葉』など殆ど現世から離脱したような風の作品を遺して逝った作家――即ち、芥川龍之介である。新潮文庫版の作品集を高校生の時分に毎月一冊ずつ買ってゆき、半年強に渡って楽しませてもらい、一時は鏡花か荷風か芥川か、というぐらい熱に浮かされて読み耽った過去がわたくしにはあるが、実をいうと齢を重ねてゆくにつれていちばん読まなくなっていった作家の最右翼でもある。
 わたくしのような平井呈一フリークにとっては“聖典”ともいえようか、岡松和夫の『断弦』(文藝春秋)は主人公が芥川に擬した作家の弔問に訪れた場面から、本編が始まる。南木佳士の『阿弥陀堂だより』では主人公が高校時代に芥川を読み耽り、畑仕事をサボったりしている。そうしてコミックの分野にも、芥川を登場させた作品が存在する。
 登場させた、というのはちょっと生半可な表現かも知れない。それは芥川の後半生を漫画という形式でたどった、しかしちょっとだけ改変を加えてある作品なのだ。鋭い方はここでわたくしが挙げようとしている作品に察しが付いたかもしれない。山川直人の最新作『澄江堂主人』全三巻(エンターブレイン)がそれである。
 わたくしはなにかの拍子にこの人の活躍を知って、試しに手を出してみたらテもなくやられてしまって、爾来たかだかまだ5年の追っかけでしかないが、たまさかしかない新刊の発売を鶴首して待ち、挙げ句は中野にある自費出版専門店まで出掛けてこの人の本を探したことも二度ばかりある。代表作に『コーヒーもう一杯』や『ナルミさん愛してる』、『シアワセ行進曲』など。いすれもエンターブレインより。
 さて、『澄江堂主人』であるが、澄江堂とは芥川の書斎の号。題名はそのまま芥川自身を指す。描かれる芥川は自殺の妄執に囚われ、創作に殉教し、シニカルだけれど小市民的な横顔を持つ。そうして職業は漫画家である。
 ……漫画家? 然り、漫画家である。ちょっとだけ加えられた改変、それがこの点だ。ここでは芥川の周辺にいる文学者たちが皆、漫画家という職業を務めている。作者にしてみれば自分のテリトリーに引き摺りこんだ、そうしてこれまで幾作も描いてきた漫画家(の卵)を主人公に据えた作品と同系列にある『澄江堂主人』であれば、主人公たちの職業を漫画家に仕立てるのも道理か。
 前編の刊行から約二年後の先日、中編と後編が同時発売されて恙(つつが)なく全三巻が完結したいま、再びゆっくりと、時間を失いながら一コマ一コマ、台詞の一つ一つ、なによりも山川作品のキモでもある線描の細かな<絵>(畳の目一つ一つを書くのにスクリーントーンに頼らないのだ、この作家は!)をじっくりと楽しみながら、読みこみながら、骨までしゃぶり尽くす勢いで再読を試みたい、と、わたくしは本気で希望している。
 ツボだったのは借金を申し込みに来た内田百閒の初登場シーン。暗闇から生まれたかのようにそこにたたずむ百閒は、可愛らしくも憎たらしい。また、先に出た平井呈一つながりで一つ添えれば、芥川と室生犀星、かかりつけの医師下島勲が会して漱石の思い出や谷崎との論争など談じているなかでお茶を飲みつつ、ぱくぱく食しているのは「うさぎやの最中」である。平井翁とうさぎやは切っても切れぬ関係ゆえ、どうしても連想が働いてしまう(※)。
 個人的に印象深く、作品全体を統一する場面と思うたのは、芥川の葬儀が終わった夜、妻フミが亡き夫の傍らに来て呼び掛けるシーンであった(「お父さん/やっと死ねましたね/お父さん/よかったですね」)。
 今年最後に、実に良い漫画を読んだ。もう今年に思い残すことはない。□

※:ご興味のある向きは、紀田順一郎『永井荷風』(リブロポート)や荒俣宏『稀書自慢 紙の極楽』(中央公論社)、東雅夫編『真夜中の檻』(創元推理文庫)解題などお読みいただければ幸甚。

追伸:原稿執筆中に『澄江堂主人』を読み返し、読み耽ってしまうことしばしば。為、更新時間が常より遅れてしまったことにお詫び申し上げます。◆

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第1131日目 〈『ビブリア古書堂の事件手帖』ドラマ化に寄せて。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 三上延著『ビブリア古書堂の事件手帖』(メディアワークス文庫)が来年1月からテレヴィ・ドラマ化の由。ああ、やっぱりな、コミカライズだけでは留まれなかったんだ……。この小説が大好きで、既刊3巻を何度読み返したか我ながら不明なさんさんかです。今日(昨日ですか)、そんな悲嘆にダメ押しをする報道に触れて、腹に据えかねる思いを弄んでおります。
 主演の栞子さん役に剛力彩芽!!??? 人選ミスの極み! 同じ所属事務所の女優がこの明らかなミス・キャストに異を呈したそうな。そのTwitterでの発言に便乗する気はない。が、どう考えても栞子さんは剛力(強力、って変換、爆笑した!)が演じる役ではない。
 知性も品性も演技力も、その欠片すら窺わせぬみずぼらしい女優は昨今珍しくないが、彼女の場合はその点極めている。「栞子さんのイメージを全部くつがえします!」などと発言したそうだが、これぞ作品をすべて台無しにして、ドラマの失敗を予言する窮極の一言。彼女はこんな発言をすべきではなかった。本当に原作を読んでいるのか定かでないが、きちんと読んでいればこんな発言をぶつ必要はないだろう。同作の実写ドラマは早くも<失敗>に王手を掛けた。
 栞子さんのイメージをくつがえして、いったいなにになるのだろう。なにかメリットがあるのか? なにゆえ剛力は負のイメ・チェンを背負いこむような馬鹿げた真似をする気になったのだろう? 自分には新たなる栞子さん像を提示して納得させられるだけの演技力がある、それを視聴者のすべてに支持してもらえる、とでも? その自信はどこから?
 「くつがえしてやる!」なんてお門違いの決意の下に承諾する剛力彩芽に問題は多々あるが、事務所や制作サイドも同罪――むしろ、ドラマ失敗の戦犯というて良かろう。
 見識を疑う、とはまさにこのこと。最初から視聴率取れないので話題の女優頼みで作ることにしました、と喧伝して回るようなものである。果たして剛力彩芽は客寄せパンダの役を担わされている! 人気があるから、事務所が推しているから、というだけで、話題作のドラマ化にあたってヒロインに起用するのは止めろ、と本人のためにも、原作のためにも、声を大にして申し上げたい。
 もとより視聴する気はまったくないし、いまさら剛力降板なんてハッピーな未来は訪れないのだろうが、それでも敢えていわせていただく。主演女優のチョイスについてだ。
 やはりここは日頃から常に読書し、それが物腰や話し方、表情に出ている女性を持ってくるべきではなかったのか。そうした人たちは軒並み出演を辞退、拒否した? 否、そんなことはあるまい。個人的な希望を申せば、……堀北真希は『県庁おもてなし課』ではなく、こちらへ出演を許諾するべきだったのでは。話が行くのが遅かったのかな? それとも、連続ドラマはしばらくお休みしたい?
 しかしながら、これは或る意味で非常に特筆大書すべきキャスティングである。人気さえあればどんなに自分とは合わない役でも、大言壮語して主役を張れてしまう、という。後世へ是が非でも語り継ぐべき悪しきサンプル。
 『ビブリア古書堂の事件手帖』に於ける剛力彩芽などという空前のミス・キャストに較べれば、実写版『図書館戦争』の堂上役に岡田准一、『イケメン・パラダイス』での前田敦子っていうのは、可愛い方だろう(岡田准一、好きな俳優だけれど、さ?)。『花のズボラ飯』の倉科カナはハマリ役に思えますね。◆
ソース;http://news.nifty.com/cs/entame/showbizddetail/jcast-155092/1.htm 他。

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第1130日目 〈文章について、覚え書き。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 空白の一年が終わりを告げ、わたくしはここに帰還した。捕囚から解放され、辛苦の末に“乳と蜜の流れる地”、古にカナンと呼ばれ、かつては聖別された神殿を持つ都を擁する懐かしの故郷、ユダへ70年の後に帰還したイスラエルの民の如く。
 その空白の時代に書き継ぎ、いまは一段落させた長編小説を脇に置いて、ブログの更新に意識を向けてその記事の執筆に勤しむ日々が、再び戻ってきた。が、すぐにわたくしは暗澹たる思いに囚われて、今更ながら失われた/中断された一年を後悔することになる。
 というのも、以前のようなスタイルとテンションで文章を書くのが難しくなってしまったのだ。なんというか、中断以前はもっと自由に、停滞を知ることなく、思うことをなんの苦痛も感じず、表現にさして悩むこともなく、ばちばちキーボードに叩き付けることが出来たように覚えているのだ。キーボードの上で指が、はた、と止まり、うむむ……と呻き声を連れにして彷徨うことは幾度となくあったとはいえ、いま程非道くはなかった……。
 なぜだろう? 一年というもの、なにも書かずに過ごしたのなら話はわかる。しかし、そうではないのだ。既に述べたように、小説を殆ど毎日書いていたのである。書いて消してを繰り返しつつも、愛用する無印良品のB5ノート(ダブルリング・ノート 無地)一ページ分ぐらいの分量は、来る日も来る日も飽きることなく書いていたのである。文章を書く能力それ自体が衰えたとも、ミューズ神に見限られたとも、思えない……。では、なぜ? なにゆえに?
 文章の書き方、小説の書き方なんて類の本を持つ作家なら、異口同音にアドヴァイスする動かし難き事実が、一つある――時には脅迫めいたレヴェルにまで達することも辞さぬ人も、なかにはいたりして。即ち、「毎日書けっ!」だ。いきなり毎日は無理だろうから、週に一日は休むと良い、なんて助言してくれるのは<わが神>スティーヴン・キング。
 それでも闇雲にノートやパソコンに向かい、昨日は4ページ、今日は10行、明日は2ページ、なんて非生産的な行為に勤しむのではなく、書くと決めたからには可能な限り同じ時間に同じ場所で、扉を閉めて、同じ分量を掛け、というのである。そんな機械的なスケジュールを送っていれば、自ずと創作のミューズを味方に付けることが出来る、というのがキングの意見。そうして、小説家といわずエッセイストといわず、世の文筆業者の過半が(口にする勇気はないまでも)体得している技術だ。なにも特別なことではない。漱石だって、トロロープだって、ウォルター・スコットだって、ショウペンハウエルだって、リヒャルト・ワーグナーだって、皆が皆、斯様に能動的にかつ機械的に、己の創作活動を行っていたのだ。太宰でさえ、然りである。わたくしの知る限り、気が向いたときに書く、なんて馬鹿げたことをやっていたのは、<プロヴィデンスの郷紳>H.P.Lぐらいのものだ。
 なぜだろう? 聖書読書ノート、加えて現在粛々とお披露目中のエッセイ群に、今一つわたくしが誇りと自負と責任を抱き得ないのは? 悩む風は見せているけれど、実は答えは出ている(この一言を自然な形で導き出すため、ここまで文字数を費やしたのだ)。
 あくまでわたくしの場合だが、小説とエッセイとでは自ずと文章の書き方に変化が生じる。態度の問題であるやもしれぬ。小説の場合は常に文章を、効果や流れを意識しながら書いているけれど、エッセイの場合は特にそんなこと、考えたこともない。思うところに従ってぶいぶいと文字を埋めてゆくばかりである。
 なぜだろう、と考えた際、一つの可能性として浮上するのが、執筆に用いるツールの問題だ。小説を書く際は専ら――無印良品の例のノート、もしくはコクヨのレポート用紙であるのに対し、エッセイは(レヴューも含めて)パソコンでの執筆が殆どである。いま問題にしている本ブログの場合、聖書の要約はノートだがそれに続く記事への補遺・註記、感想は基本的にパソコンで作成し、最後を締め括るエッセイ部分はパソコン以外で書いたことがあまりない。
 もう少し整理しよう。これまでシャープペンを握ってノートにしこしこ字を綴ってきたのが、ある日突然――以前の習慣に戻っただけと雖も――パソコンで文章を、しかもほぼ決まった分量を書くようになったのだから、感覚が摑めなくて(取り戻せなくて)当然だ、という話である。始めは数行程度の、呟きに毛が生えたぐらいの分量から再開すれば、こうも悩んだりしなくて良かったのかも。でも、ねぇ……もう中断直前と同じようなスタイルと分量で再開しちゃったんだから仕方ないじゃん?
 とにかくわたくしの理想は、<読ませる文章>を書くこと。今風に携帯メールやTwitterで垂れ流されるような文章ではなく、揺るぎなき骨格を備え、知と柔を併せ持った、存在は地味ながら時間に淘汰されることのない、自分がこれまで培ってきた経験と蓄えた知識(教養というと語弊があるかも)を存分に生かした、そんな前時代的といえなくもない文章。そうした文章を書きたい、と希望するわたくしが影響を受け、意識するのが、漢文であり古文であり、幾人かによる翻訳であり、数人の外国人作家/ジャーナリストの文章。そうして、なによりも、聖書の日本語。――とは、あまりにも出来すぎた結論か?◆

 昨日書いたアバドの文章、それへの反省もこめて今日の文章を書きました。□

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第1129日目 〈アバド=BPO;ムソルグスキー管弦楽曲集を聴きました。2/2〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 アバドのムソルグスキー、《ボリス・ゴドゥノフ》と《ホヴァンシチナ》は別に機会を作ることにして、やっぱり管弦楽曲に絞った話、というか、感想を認めることにする。
 ロンドン響と録音したムソルグスキーの《展覧会の絵》(DG rec;1981)を、この機会だから久しぶりに聴いた。気を衒ったところがあるわけでもなく、計算を尽くして空中分解するような下ネタめいた効果を狙ったものでもなく、悪くいえば終始安全運転な、驚きや発見とは縁遠い演奏。今日のわたくしが思うことを述べると以上のようなどっちつかずの、どちらかといえば若干醒めた物言いになる。
 そこで今度はベルリン・フィルとの再録音(DG rec;1993)を、プレーヤーのトレイに載せて再生、聴いてみる。改めてその異様なテンションにびっくり。異様なテンション、というのは、なにも狂乱めいている、とかその熱に中(あ)てられて興奮させられる、とか、そんな程度の意味ではなく、勿論そういった点もこの演奏は含んでいるけれど、それ以上に、指揮者の内側から自然と滲み出てくるような自信に溢れているのだ。
 自信? そう、自信だ。世界最高峰のオーケストラをすっかり掌握して自分のオーケストラに生まれ変わらせられた、それこそ阿吽の呼吸を会得して共に愛する音楽をやれるようになった、という自信。それが、この《展覧会の絵》からは感じられる。ベルリン・フィルのシェフに就任して三年目の年に、得意とするロシア音楽、しかもなにやら深い愛着と執着ともいうべき関心を持っているムソルグスキーの代表曲を再録音した、という事実にこそ、アバドの自信と決意を見出せるような気がしてならない。
 実際のところ、これまで同曲異演のなかでわたくしが最もお気に入りにしていたのは、過去にこのブログででも一個の記事にしたチェリビダッケ=ミュンヘン・フィルのEMI盤だけれど、アバドの再録音をようやく架蔵し得たことにより、いまやチェリの地位は脅かされている。処分するなんてことは到底ないが、再生する頻度は段々と低くなってゆくだろう。淘汰、という程大袈裟ではないが、ランク・ダウンは必至だ。それだけわたくしにとって今回のアバド=BPOによる再録音は深く心に残って、いつまでも愛おしんでいたい演奏なのである。
 昨日の反省も生かせず、残りが少なくなった。近頃同時に手に入れた、三枚のアバドのムソルグスキー管弦楽曲集を聴いて、なによりも収穫だ、と思うたのは、《はげ山の一夜》である。
 四つ存在するというこの曲の版についてはwikiなどを参照いただくとして、<原典版>(DG)と<バス・バリトン、児童合唱、合唱と管弦楽のための版>(SONY)いずれもわたくしはとっても興奮させられた。いちばん聴かれるリムスキー=コルサコフ版なんてこれらを前にしたら顔色をなくしてどこかへ逃げちゃうんじゃないか、と思うぐらい。前者はティンパニの炸裂する冒頭部分に仰天、その後はもうひたすら頭を垂れて、悪魔たちのやりたい放題の大宴会を描写した音塊の釣瓶打ちから逃れることも出来ないまま、まんじりともせずに聴いていた。合唱などが入る後者に於いても然りだけれど、単純に興奮度はこちらの方が上かも知れない。合唱が人間の魂に根源的に突き刺さって鼓舞させる、最大限に有効な手段であるのが否応なく納得させられてしまう。もうね、合唱に合わせて悪魔どもの翻訳不能な掛け声を唸り出したくなっちゃうよ。今回いちばんの収穫は、たぶんこの《はげ山の一夜》だろうな。
 以上の二曲を除いてわたくしが気に入ったものは、歌劇《サランボー》から〈巫女たちの合唱〉(DG プラハ・フィルハーモニー合唱団 対訳なし)と歌曲集《死の歌と踊り》(SONY アナトリー・コルチェガ/Bs)である。これらについてもいずれ感想を認めることが出来たら、と考えている。◆


 なんだかいつもよりテンションの落ちたブログになってしまった。ごめんなさい。後日改訂します。□

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第1128日目 〈アバド=BPO;ムソルグスキー管弦楽曲集を聴きました。1/2〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 わたくしがクラシック音楽を、自分の好奇心や知識欲を原動力に聴き始めたのは、ムソルグスキーの《展覧会の絵》がきっかけだった。まだ成人して間もない頃だったと記憶する。年の瀬も迫り、都心から勤め人の姿が段々と減りつつあった時分。わたくしは当時通っていた学校に用事があったか、コミケの帰りであったかして、御茶ノ水にいた。その周辺にあったディスク・ユニオンはまだジャンルごとの店舗をあまり持っておらず(明大向かいの楽器屋二階にひっそりとジャズ専門の店舗があった程度ではなかったか)、クラシック館は線路沿いの猫の額程度の広さしかないビルの三階にあった。
 その日、いつものように狭くて急な階段を昇ってクラシック・フロアに立ち寄り、棚を端から端まで物色して、今度はレジカウンターの前に並ぶVOX BOXや当時ようやっと国内でも見られるようになったがまだまだ際物扱いされていたNAXOSのCDを吟味していたときだ。天井のスピーカーからファンファーレを奏でるトランペットが流れてきた。最初はさほど気にも留めなかったのだが、段々とスピーカーから降り注いでくる音楽に、始めは耳を、そうしてすぐに心まで奪われてしまった。
 クラシックを聴き始めてそんなに経っていない当時の自分にとって、それがなんという曲であるかわかろう筈もなく、その演奏がどれだけのものであるのかも判断できない。が、店内に溢れる数多のディスクを漁る手もいつの間にやら機械的な、義務というても過言でないぐらい動きは緩慢となり、すっかり店内に流れるその音楽の虜になってしまった。何気ない風を装い、レジへ近附き、〈NOW PLAY〉と札の付いたそのCDのジャケットを横目で確認した。その作曲家の棚の前に移動して、その曲のCDを探した。どの指揮者のものがいいのか、なんてそんな知識はまだないに等しいから、出来ればいま流れているのと同じ人の録音がいい……そうしてわたくしは同じジャケットのCDを発見した。
 それが、クラウディオ・アバドとロンドン交響楽団がドイツ・グラモフォンに録(い)れたムソルグスキーの《展覧会の絵》だったのである。
 ――と、ここまで書いて唐突に思い出した。それはアバドがカラヤンの後任としてベルリン・フィルの音楽監督に選出された年のことであった。年が明けて放送されたニューイヤー・コンサートで指揮台に立つアバドを見て、そうか、この人の《展覧会の絵》を買って、わたくしはいまベートーヴェンの《第九》とワーグナーの《ヴァルキューレ》(ハイライト盤)と同じぐらいの頻度で聴き倒している最中なのか、と合点したのを、そうだ、いま思い出した。
 余談に過ぎて残りの分量が減ってしまったが、爾来、わたくしにとって《展覧会の絵》はアバド=ロンドン響が第一に来て、それはチェリビダッケ=ミュンヘン・フィルの正規盤が登場してからもちっとも変わらぬ。加えていえば、わたくしのi-Podには《展覧会の絵》がなぜだか六種類入っている。それだけクラシック初心者の当時のわたくしに多大かつ深甚なる影響をもたらした曲であったわけだ。そう、アバド=《展覧会の絵》という構図は潜在意識に刷りこまれて長く尾を引き、無意識にもムソルグスキー作品にアバドの演奏があれば、他のなにを差し置いてもまずはそちらへ向かう、という風になってしまった。
 ところでわたくしは最近まで、アバドの他のムソルグスキー管弦楽曲集は所持していなかった、理由はさておき。それがつい一週間程前、事態は急転換の様子を見せた。半年に一回程立ち寄る中古レコード店があるのだけれど、そこのクラシック・コーナーを端から眺めていたら、アバドがベルリン・フィルのシェフの座に就き、〈ムソルグスキー・パラノイア〉と呼ばれていた時分にDGとSONYへ録音したCDを三枚見出して、それこそ矢も楯もたまらず、財布の中身ともろくろく相談せず、息せき切って(?)買いこんだのだ。
 ……で、じつはここまでが枕なのだけれど、既に予定の分量を超過している。というわけで、1990年代に録音されて発売された、アバド=BPOによるムソルグスキー作品集の感想は、短いものになるけれど、明日のお披露目とさせていただきたく思います。◆

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第1127日目 〈美しき〈カノン〉に身をまかせ、初冬の夜更けの孤独を託つ。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 初夏の頃、ようやっとi-Pod touchを購入した。64Gもあるものだからワーグナーのオペラを全曲入れて聴いてみる、なんて酔狂なことを試みたりもした。
 現在は殆ど削除して、代わりによく聴いているのが、同じ時分にPCから移した<カラヤン名曲コンサート>(DG)とジョージ・ウィンストンのアルバムである。就中「パッヘルベルのカノン」は何度聴いたか知れず、トップ25の上位10曲のうちにカラヤンのものもウィンストンのものもランク・インしている、と書けば、どれだけの頻度で聴いているか、読者諸兄にもお察しいただけよう。
 さて。
 その連想が妥当かどうかはともかくとして、〈カノン〉とくれば〈パッヘルベル〉が思い浮かぶ。つまり、ヨハン・パッヘルベル作曲するところの〈3声のカノンとジーグ〉だ。前期バロック時代を代表する曲であると共に、完成度と知名度、いずれも高いという点で、クラシック音楽全体を見渡しても一頭地を抜いていることは、まず疑い得ようもない。
 そうした曲なるが故にこれまで数多くの録音が残され、市場へ出回ってきた。クラシック入門やウェディング、胎教目的のコンピレーション・アルバムには不可欠の存在で、以前は同曲異演を詰めこんだ『カノン100%』などのアルバムもあった。
 が、これほどの名曲。やはり良い演奏でじっくりと曲の、それこそ襞の一つに至るまで鑑賞してゆきたい。それが王道だろう。

 とはいえ〈カノン〉には、有名曲ならではの宿命がある。原曲のアレンジだ。オリジナルの楽器編成ばかりでなく、他の楽器への編曲によってこうした小品が今日まで忘れられずに伝えられてきた、そんな事実が確かにある。もっとも、パッヘルベルの〈カノンとジーグ〉が“発見”されたのは、たかだか100年ほど前、20世紀に入って間もなくとのことだが。
 編曲ということなら、吹奏楽をやっていた人の方が馴染みあるだろうけれど、正直を申せば、筆者は原則的に嫌いだ。なかで例外を設けてよいと思うている一つが、このパッヘルベルの〈カノンとジーグ〉なのである(もう一つは、というと、大バッハの《G線上のアリア》だ。これは《管弦楽組曲》第3番の第2楽章〈エア〉が原曲)。
 実際のところ、カタログを開いてみても、オリジナル編成で演奏される〈カノン〉は、思ったより少ない。さすがに輸入盤全体へ目を配ることはできないが、実情は大して変わらないのではないか。因みにいうておけば、パッヘルベルの〈カノンとジーグ〉のオリジナル編成は“3vn+bc”、即ち3丁のヴァイオリンと通奏低音(basso Continuo)である。

 ここまで書いてくれば、お前は普段どんな〈カノン〉を聴いていて、自分たちに薦めようとしているのか、なんて声が聞こえてきそうだ。
 ならば、と答えよう。まずは薦める演奏についてだが、特定の誰彼の演奏を挙げるつもりはない。結局はこの一言に集約されるからだ━━「懐具合で買えるCDを聴きこめ」
 いまやCDの値段はピンキリだ。非売品の自主制作盤もあれば、書店にて300円ぐらいで売っているCDもある。大型CDショップに行けば1000円を切るものから、ボックスに入ってそこでしか聴けないCDだってある。懐具合で、というのはそういうことだ。
 おまけに(最前の話ではないが)編成だっていろいろだ。好きな楽器、演奏家の一枚を、財布の中身と相談して買えばよい。ショップの元店員としてはそんな風にしかいえないし、そんな風にしかいう気もない。
 では、筆者がいつも聴く〈カノン〉はといえば、二種類ある。一つはモダン・オーケストラによる、もう一つはピアノ独奏による。既に予想は出来ていようけれど、――

 始めにピアノ独奏。こちらではジョージ・ウィンストンの演奏を推す。
 これぐらい曲へ無心に対峙し、あるがままに弾いた例を、他にあるのを知らない。なによりも一つ一つの響きが澄み渡っており、心のとても深いところまで落ちてくるのである。良い食材と同じで、余計な装飾を加えずとも名曲は名曲、素朴なものがいちばん美しく清浄で、心へ訴えてくるのだ、ということを、G.ウィンストンの演奏で初めて教えられた。かれこれ約20年ばかり前のことだ。
 そういえば、非クラシックのピアニストが弾く〈カノン〉の方に印象に残るものが多いような気がするのは、GW弾く〈カノン〉の刷り込み効果なのかもしれない、と、いまこの原稿浄書中に思い至った。こうなってくると、がちがちの音楽教育も善し悪しである。

 オーケストラではカラヤン=BPOの1983年録音の盤(DG)を聴いている。音楽学者や音楽家たちの研究などに基づくバロックらしさとは一線を画した、ひたすら優美で居住まいの凛とした演奏だ。
 バロック音楽を活動の礎にしている人たちの指揮ではカチッ、としてしまっていて、ずっと聴いていると窮屈さを覚える。
 〈カノン〉には美しさと清らかさを求めたい。そんな欲求を満たしてくれるのが筆者にとってはカラヤン=BPO盤なのだ。カラヤンの〈カノン〉は輪郭が曖昧模糊としているのだが、決して線が崩れたり重心を失っているのではない。流れるような美しさと澄みきった清浄さが調和した、優しい表情の演奏なのだ。
 これまで何百回となく聴いてきたカラヤンの〈カノンとジーグ〉、これだけでも冥土に持ってゆきたいとまで思うていると、この節の結びにいうておく。

 パッヘルベルの〈カノン(とジーグ)〉を聴くならば、G.ウィンストンとカラヤン=BPOというのが筆者の定番であり、永遠のマスターピースである。
 なお、「パッヘルベルの〈カノン〉」というた場合、続く〈ジーグ〉までは演奏されていないケースが目立つ。が、できれば、〈カノン〉のみではなく〈カノンとジーグ〉という本来のスタイルで聴いていただきたい。前述のカラヤン盤は〈ジーグ〉付き。

 ヨハン・パッヘルベルJohan Pachelbelは17世紀後半に活躍したドイツの作曲家。1653年09月01日受礼-1706年03月09日埋葬、いずれもドイツ・ニュルンベルクにて。
 大バッハ以前のドイツ最高の音楽家であり、彼の人の兄に教育を施した人物でもある。プロテスタント教会用に多くの典礼音楽を書き遺し、〈カノンとジーグ〉の他には《音楽の楽しみ》や《前奏のための8つのコラール》などが有名。昨今は数々の海外レーベルから単独の作品集がリリース、比較的簡単に作曲家の仕事の精髄に触れられるようになった。ナクソス・ミュージック・ライヴラリー(NML http://ml.naxos.jp)ではパッヘルベルの作品を、オルガン曲や組曲など幾つも試聴することが出来る。お聴きいただきたい。なお、長男ヴィルヘルム・ヒエローニムスも著名な作曲家であった。◆

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第1126日目 〈さんさんか流プロポ〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 共通点は最初からあるものではなく、お互いに時間をかけて作ってゆくものでもある。
 噂とかに惑わされず、あなた自身の目でぼくを見て。
 そこに映るのは、ぼろぼろになってなお生きることを選んだ、でも内心はあなたに救ってほしいと願っているぼくですよ。

 ぶじに手術も終わり、意識も具合もはっきりせず、ぼんやりとしたままの頭を抱えて、ふらふら遠近を彷徨い図書館へ。
 ジム・トンプスンの『死ぬほどいい女』(扶桑社)とジョルジュ・アルノォの『恐怖の報酬』(新潮社)を借りた。
 ♪なんだか気になるトンプスン。
 S.キングが入れこんでいる作家、というのがきっかけで知ったトンプスン。怖さ半分もあって読むまで至ることなかった作家が、地元の図書館でなんの気なしに借りた河出文庫版『内なる殺人者』でようやく開眼。もう何冊か読んでみよう、なんて思ってみたり━━。
 図書館からの帰途、古本屋で他の代表作二冊(『ポップ1280』と『残酷な夜』。共に扶桑社)を発見。一時間半ばかり逡巡して購入。3冊立て続けに読むのも、悪くはない。
 アルノォは、私淑する生田耕作先生最初期の翻訳+好きな映画の原作、とあってずっと読みたかったんだが、図書館にあるのを知ってさっそく借りたのです。

 夜中、布団のなかで読書する楽しみは捨て難い。
 終生想う人が隣で寝ていて、別の部屋でふたりの間に生まれた子供がぐっすりと、明日の心配をすることなく、怖い夢を見ることもなく眠ってくれていれば、とってもうれしい。

 スティーヴン・キングの《ダーク・タワー》を読み返す。気になってならないことが、ある。
 深紅の王(クリムゾン・キング)とモルドレッド、R.フラッグという三大悪党は、とどのつまり、単なる“ヘタレ”ってこと? しかも結構イッちゃっている?
 ダンデーロ(=ピエロ/IT)やチクタク・マン、メジスの悪党たちの方がよっぽど印象深い……よね。

 P.G.ウッドハウスの短編「ブランディングス城を襲う無法の嵐」を読む。あの幕切れに思わず快哉を叫んだ。これぞ小説の醍醐味! 作者ならではの、ユーモア風味たっぷりのクライム・ノヴェルである。小説のお手本。こんな小説、書きたいよっ!

 本が読めるって幸せだ! 本が読めるって素晴らしい! 本が読めるって贅沢だ!

 ブックオフ某店舗の105円コーナーにて『ONE PIECE/STRONG WORDS』上下巻を購入。いってみれば名言集であるのだが、これだけでじゅうぶんに胸を熱くし、涙さえ流させる『ONE PIECE』ってスゲー! おいらは遅ればせながらこの漫画に出会えて良かった!!!

 aiko「瞳」(『彼女』所収10曲目)の歌詞の一部、――今頃がんばっているのかそれとも新しい光が/青白い瞳に映っているのか/(中略)/これから始まる毎日にきっと降り続けるのは/小さくて大きな生きる喜びでしょう/(中略)/しっかりと立って歩いてね よろめき掴んだ手こそが/あなたを助けてあなたが愛する人/(後略)
 ――嗚呼!◆

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第1125日目 〈自己都合 - 『ONE PIECE』 - 過去のブログを改訂しました。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 お知らせです。ご報告、というべきかな?
 現在「エレミヤ書」半ばで中断している本ブログですが、再開の目処をようやく立てることができました。現在粛々とノートを(例の如く仕事帰りにスタバに籠もって)作成している関係もあって、聖書読書ノートという本来の形での再スタートは来月4日午前2時を予定しています。「遅過ぎね?」という声も聞こえてきますが、これには目論見が実はあって、この日の前後で「エレミヤ書」のノートが執り終わり、さんさんかとしても肩の荷を降ろした状態で次に進みたいからに他ならないのですね。
 済みません、相当な自己都合で予定を立てております。まぁ、そのあたりは、一年前とまったく変わっていないなぁこいつは、と失笑しつつ寛容なお気持ちで見ていただければ幸いであります。……なに言ってんだろうな、おいら?

 正直なところを告白すれば、本来なら2012年のいま頃は既に半年ばかり前に旧約聖書を終わらせて、続編のノートに入っているはずであった。たぶん四苦八苦、呻吟して右往左往しながら、更新ペースをもしかしたら遅らせながら、それでも前に、前に、ずいずいずんずんと進んでいるはずであった。
 なのに旧約聖書を余すところあと1/3、というあたりで足を停めてしまった。それから遂に一年以上が経過し、ようやっと重い腰をあげて完結への思いを新たにし、ブログ再開に向けてウォーミング・アップをし始めたところである。なにゆえに中断し、中断期間を如何に過ごし、ノートすら執らずに怠惰に生活していたのか、とかそんなことについてはわたくしの口からいま述べ立てるつもりはない。それらについては機会あれば追々本ブログ上にて、あたかも独り言を装って、ぽろりぽろり、と漏れ出ることもあるであろう。興味あるなら、どうぞお楽しみに、というべきかもしれない。
 もし一つだけ、この場を借りてお話ししておこうかな、と倩考えた挙げ句に思い付くのは、今更ながら『ONE PIECE』にハマって、総集編(LOG)を一冊一冊、帰宅後に小説書くのも抛って夜更かししながら(そういうときもある)読んでいます、というところか。
 馴染みのクラブのお嬢さん――とはいうても、おいらよりちょっと年下なだけなんだけれどな。最早ここまで来たら腐れ縁か、って感じの知人です――が元よりこの漫画の大ファンで、一度おいらが腐したら一気にヒートアップして語り出したんだよな。
 それに圧倒されてその余韻まだ収まらぬ時分に、新しく作画されて再編成されたスペシャル版、八月末に地上波で放送された『ONE PIECE/エピソードオブナミ ~航海士の涙と仲間の絆~』を録画、視聴して……いやぁ、スミマセン、不覚にも涙涙で感動しきり、何度となく観返して、またたく間に原作に突っ走った。単行本か総集編かで悩んでいたところに後者の第三巻(偶然にも『エピソードオブナミ』の原作に相当する“THE 3rd LOG”!!)を安く手に入れて、その流れでおいらは単行本より総集編派と相成りました。
 この海賊漫画については、折々話題にすることもあるでしょう。
 あ、もうCSで『ONE PIECE』始まる時間!? 本日はここで筆を擱きますね!! えへ。

 追伸、という形でご報告。
 第0962日目のブログ原稿(リヒャルト・シュトラウス作曲、フーゴー・フォン・ホフマンスタール台本:歌劇《ばらの騎士》1/2)に改訂を加えました。
 小さな修正と加筆ですが、今一つ表現が練れていなかったり、単純な誤字(変換ミス)を正したことで、当初よりは満足度が高くなったかな、と些かなりとも自負しております。もしお手空きのときがありましたら、ご確認ください。◆

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第1124日目 〈A Confession of Faith〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 おひさしぶりです。
 一年近くもブログの更新が出来なくて、ごめんなさい。ペースの調整と体力回復、気持ちの整理のための小休止が、期せずしてこんなに長くなってしまいました。



 一年前、自分のなかで色々ありました。どうにもならぬ現実に息が詰まりそうになり、正直なところ、よくぶっ倒れたりしないで気持ちを律し続けることができたな、と顧みてふしぎに思います。抱えてしまった感情を巧く処理することが出来ず、夜明けの来ない夜の闇のなかに蹲(うずくま)って、ずっと泣いて暮らしていました。
 現在も自分を取り巻く状況が好転する兆しはありません。むしろ、緩やかに、されど確実に悪化して、自分の魂は一つの想いに搦め捕られて、そこから抜け出せなくなっている、と感じています。辛いことや反省したいこと、解決しなくてはならないこと、そんな諸々をどうにかしようと、三年間に渡って殆ど毎日書いてきて<生き甲斐>とまでいってもいいぐらいの存在になっていた本ブログを休むことにしたのに、却って現在の方が状況は悪化し、閉塞感が強く濃く漂っているなんて、まったく以て皮肉というべきか愚かというべきか、もはやわたくしにも判断できなくなっています。



 気に掛かるのは常ながら、再開を試みる都度頓挫し、結果として一年のブランクが生まれようとしている今日、わたくしは二〇一二年になっておそらく初めてここにログインし、管理ページを開いてみました。次いで、アクセス解析のページを。誘われるようにして、過去の日附のアクセス解析も。
 思わず涙腺が緩みました。
 更新をまったくしていないにも関わらず、毎日毎日、本ブログを閲覧してくださっている読者が、たくさんいたのです。訪問者数は平均して七十人強/日、というところでしょうか。他のブログの訪問者数に較べれば笑えてしまうぐらいに僅かな数だろう。が、ここに於いて<数は力>ではない。いみじくも大島優子がいったように、<数は愛>である。本ブログにとってもそれは例外ではない。わたくしは今日、とても嬉しかった。この方々のためにもなるべく早く本ブログを再開しよう、と心に決めました。
 零れ落ちかけた涙を拭いて、わたくしは読者諸兄にここで誓おうと思います。
 必ずわたくしことさんさんかはここに戻ってきて、本ブログを再開させます。約束。
 そうして最後の一頁、最後の一行、最後の一字に辿り着くまで、たとえ茨の道を進んで満身創痍になろうとも、どうかわたくしと一緒に永き旅路を歩いてください。



 荒れ果てた大地の向こう側で、激流が唸り声をあげる大河の向こう岸で、友よ、いつの日か必ず再会しよう。□

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第1123日目 〈ブログ読者のみな様へのお知らせ。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

ブログ読者のみな様へ

 しばらくお休みさせてください。といっても1週間程度ですが、今後の整理もいろいろあるので。
 <いま>の時間を使って今後の憂いをなくし、新たな気持ちでふたたびブログに戻ってきます。わがままなことをいうて申し訳ありませんが、どうかみな様にお許し願いたく思います。
 再開時に、以前ちょっとだけ触れた<大事なお話>をする予定です。
 それでは再会のときまで、健やかにお過ごしください。

さんさんか識◆


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第1122日目 〈本を処分する - 逢いたかった - B.ワルター《田園》〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 予定を変更して安息日をもう一日、設けることに御寛恕願います。
 休みであった今日は新しい冷蔵庫が届き、午後から書架の整理を始めてしまった。後者については、取り敢えず段ボール5箱を出して一旦終了させたが、部屋は散らかり、処分する本が新たに発見されたことから明日の第2ラウンドが早くも決定した次第です。
 いや、しかし本って重いね。同じ箱の数でもCDのなんと軽いことか、と嘆息してしまいますよ。やれやれ。この重さに見合う買取り額が提示されれば報われもしようが、おそらくは単行本一冊程度の額になるのだろうな。まぁ、資源ゴミになるよりはマシか……。
 これだけ処分しても、数日後にはまたぞろ読みたい本が出て来て買いこむことになるのだろうが、たぶん生きている限りはこの無限連鎖に陥って生きてゆくことになるのだろう。仕方ない。生きている間は、目がちゃんと機能している間は、読めるだけ読んでおくのが賢明というものだろう。
 が、数年前まで本を処分するなんて想像できなかったのに較べれば、現在の自分のなんと潔く、執着しない性格になったことだろう、と自画自賛したくなる。このままであってくれればもっと良い。好きな作家の本は手放せないが、それ以外についてはガンガン捨てろっ! これがわたくしの心の声であります。えへ。



 ♪逢いたかった×3、yes,逢いたかった×3、キミに♪
 休み明けの出勤した朝、かの人を見たらきっとAKB48のこのフレーズが胸のなかでリフレインされて、おまけに無限リピートされるんだろうな。ああ、表情が崩れるのだけはなんとしてでも阻止しなくてはならない!
 しかし、アルバム『SL』の全トラックの半分強を占めるメンバー個々の「逢いたかった!」は、正直きついですね。いや、大島や小野や峯岸あたりなら、何度聴いていてもなんとか耐えられもしようけれど……この件の反論、中傷はいっさい受け付けません。



 20世紀を代表する指揮者の一人、ブルーノ・ワルター(1876~1962)が最晩年にコロンビア交響楽団と残したベートーヴェン全集の白眉とも言うべき一曲、それが交響曲第6 番《田園》です。
 馥郁たる香気立ちこめる至上の演奏、他にこの演奏を指してどういえばいいというのか。これは、昨今のやりたい放題な《田園》とは明らかに一線を画した偉大なる過去の遺産といえるのが本盤です。われらがここで耳を傾けるワルターの《田園》は単なる描写音楽ではなく、それをはるかに突き抜けた境地で成立した、いうなれば、指揮者が青春を過ごしたヨーロッパでの思い出や戦乱に失われた自然を懐かしみ、来し方に耽った<泡沫の夢>を描いた《田園》といえるでしょう。
 若い人へよりもむしろ、それなりに人生を積み重ねてきた良識ある大人たちにこそ手にしていただきたいディスク。過ぎ去った青春を慈しみつつ……。◆

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第1121日目 〈さすがに毎日、原稿用紙4枚分の原稿を書いていれば、……&あの人の姿、声、話したこと。そうして、無性に愛おしくてネ。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 唐突ですけれど、今日は本ブログの安息日とします。
 以前にも書いたことの確認になるけれど、本ブログのための原稿は毎日書き継がれている。文字数の目安は400字詰め原稿用紙4枚、即ち1,600字。一ヶ月30日で計算してみれば、ざっと120枚の原稿が書かれている計算となり、これは風呂場で試算してみてわれながら驚き、かつ、幾分控えめな分量だな、と溜め息をついています。
 なにがいいたいのかといえば、お察しのように、さすがにこれだけの分量を書いていると、たまには一服したいときもあるんですよ、ということ。「エレミヤ書」が始まる前から考えていたことであって、けっして本日用の原稿が書けなかったから、「休み」と称して調整を図るのではない。それだけはよくご理解いただきたい、と願うところであります。
 なお、原稿についてですが、明日と明後日の分は仕事帰りに寄った某ターミナル駅のスターバックスのざわめく店内で書きあげており、明日のいつもの時間に第30章をお披露目する頃にはさらにそこに一章が付け加わっているでしょう。もっとも、結果的に2日分のストックであることに変わりはない。なにやら言い訳めいた文章だが、それが事実である。
 では、また明日お会いしましょう。

 いつもの飲み場で缶ビール3本をあおりながら、ぼんやり一日を回顧する。あの人の姿、声、話したこと、……。一喜一憂し、翻弄され、無性に愛おしくなり、やはり高嶺の花なのかも、と慨嘆する。が、終業時間の前後は、挙動不審の行動が目立っていたよ、あの人。うん。
 明日明後日はおいら休みだから、逢えないけれど、孤独を嘆くことなく一人の時間を慈しもう。立ち止まったり、下を向くことなく、前に進もう。そうして求める唯一の未来を垣間見て、SMAPの「はじまりのうた」と「STAY」を歌おう。  と、いいつつ、━━  ♪そうさ、ぼくらはくじけない、泣くのはいやだ、笑っちゃおう、ススメ~。♪(『ひょっこりひょうたん島』より)  そうだ、これだけはいうておかねばならない。休みの間は休肝日にします。◆

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第1040日目 〈坂本九「上を向いて歩こう」を聴きました。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 なんだか昨日はとてもすごい雷と雨でしたね。土砂降り、というべきか、バケツをひっくり返したような、と形容すべきか。同僚はあの突然の大雨を、スコール、と呼びましたが、考えてみればそれ以外の表現は微妙に的外れであるかもしれないな、と帰りのバスのなかで納得してみているさんさんかです。おまけに地震もあったし……その頃、さんさんかはキャリア・アップの面談中でした……やったぁ、お給料が上がったぞ。
 一昨日、SMAPの新譜『SMAP AID』を買ったのですが、いっしょに棚の裏で展開中であった坂本九のミニ・アルバム『上を向いて歩こう』もレジへ運びました。正直なところを申しあげると、坂本九をちゃんと聴いたことがなかった。かれが御巣鷹山の事故で亡くなったその日、その時刻、さんさんかは中学三年生で、さすがにこのままだと行ける高校もないのではないか、と焦りの気持ちが湧きあがり、親の勧めに従って落ちこぼれ専門の塾の夏期講習に参加していたのですが、その晩、事故の報道がひしめくなかで流れた「上を向いて歩こう」の歌詞が、その歌声といっしょに脳裏へ刻みこまれていついつまでも反復していたのを覚えている。
 爾後、ときどきTVの番組やCMでこの歌を聴くことはあったけれど、それ以外の歌を聴くことはなかったし、自分からも敢えて求めてゆこうとはしなかったのだ。それがなぜ、ミニ・アルバムとはいえ購入する気になったのか、と問われれば、それはもう、過日に観に出掛けた(蕁麻疹を発症したその日、その直前!)映画『コクリコ坂から』の影響によると言わざるを得ない。既に鑑賞した方には周知の事実であるが、坂本九/中村八大/永六輔によるこの不朽の名作が映画の挿入歌となり、映画をぐっと盛りあげ、引き締め、観客の心を昭和30年代の空気のなかへ導いてくれる役割を担っているのだ。
 いや、とにかくこれは美しくて、儚い名作である。歌い継がれる、語り継がれる歌には、われらの魂を奥底からグラグラと震わせる<力>がある。坂本九のこの歌も然りだ。われらは「上を向いて歩こう」という名作を持つ国民であることを、もっと誇ってよいのかもしれない。村上春樹が『スメルジャコフ対織田信長家臣団』(朝日新聞社)のなかで書いていて、同じ活動をしている団体もあるようなのだが、「上を向いて歩こう」を準国歌に制定しよう、という主張にも、さんさんかは(いまなら)両手を挙げて賛成してしまいたくなるのです。美空ひばりの「川の流れのように」も候補に挙げていいと思うのだけれど、こちらは「準」とはいえ<国歌>として歌うには難しいかな。それならば、いっそのこと、SMAPの「世界に一つだけの花」をこの際だから、<準々国歌>としてしまうのはどうだろう。駄目ですか、やっぱり?
 さて。ミニ・アルバムという形ながら坂本九の歌をまとめて4曲聴いてみると(※)、なんでおいらはもっと早くからこの人の歌を聴いてこなかったんだろう、と単純至極な疑問が浮かぶのを否定できない。もっとも、答えなんて出せようはずもないのだけれど。だって、聴くきっかけもタイミングもなかったんだもん。今度の休みの前日に、あのCDショップへ足を伸ばしてベスト・アルバムでも買ってみようかな。美空ひばりのアルバムはそろそろ引き取りに行かなくっちゃな。そうして聴き込んだ暁には、おそらく小説のなかで坂本九の歌が流れることであろう。実は、そろそろ書こうかと考えている震災当日の掌編小説に、「上を向いて歩こう」をモチーフとして登場させよう、と企んでいるのである。小説が書きあげられたら、きっとここでご報告しよう。
 ところで、いまの世に、「上を向いて歩こう」や「川の流れのように」の如くいついつまでも歌い継がれてゆく、語り継がれてゆく、日本人のアイデンティティに等しい歌が、どれだけ生まれているのかな。そうして、これからどれだけ生まれてくるのかな。すこぶる疑問に思い、ちょっと恐怖するさんさんかでした。
 昨日、SMAPの「STAY」に涙が出て困る、と書きましたが、歌詞を読んでみてくださいよ! 昼休みにも携帯電話で歌詞を読んでいたのですが、もう涙腺がゆるんで涙しそうでしたよ。おぐゆーさん……。
 明日からまたがんばる。まわりの人々へ、心の底からの感謝を! ありがとう!◆


※収録曲は他に、「一人ぼっちの二人」、「見上げてごらん夜の星を」、「ともだち」、「上を向いて歩こう」のカラオケ・ヴァージョンである。

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第0897日目 〈ヒズ・ラスト・テスタメント〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 3月11日の夜、この道には人があふれていた。国道脇の歩道、ふだんは自分以外歩く者とて多くはない歩道に、あの晩は家路を一刻も早くと急ぐ人々が、ほぼ無言で足を前に振り出して進んでいた。あの光景は記憶から薄れない。異様であった、本来なら無いに越したことはない、異様な、しかしそこに確固として存在する現実の光景。
 いまこうして夜中の散歩をしていてあの日の記憶を呼び起こしていた。不埒な話であるやもしれぬが、あの震災に材を取った小説を書こうと思うている。被災地を巡る話ではなく、謂わば余波を被った人々の話。震災を外縁からしか書くことが、わたくしには出来ない。それ以上のことは手に余る。むろん、書くのがわたくしである以上、リアリティー小説になるはずがない。
 さて、斯様な枕はここまでとして。

 色褪せない思い出というのが、たしかにある。わたくしにとって、……あなたと過ごしたわずかな時間、場所とは、そうした思い出である。それをたいせつにして、生きてゆく。忘れはしない。
 婚約者を亡くして20年目、2008年春にわたくしはあなたと出逢った。さびしくて、むなしい20年だった。いつも満たされぬなにかを抱えていた。このまま一人で、死ぬときまで生きるのかもしれない。
 そんな矢先に出逢ったあなたが一際まぶしく、なにか特別な重みを持って存在するようになった。仕方がない。気持ち悪いと彼女には思われる、ますます嫌われてゆくのだろうが、そう思ってしまったのだから仕方がない。すまなかった。
 いま、一人で旅立とうとしている人がいる。だから、誰かが一緒に歩いてあげなくてはならない。どれだけつらい結果を招こうとも、世界に背を向けて生きることになろうとも、一緒に歩く相手が隣にいて、信じてついてゆける人なら、それで良い。そんな誰かがいてくれたなら、心にぽっかり空いた穴を抱えながら生きてゆくのも、少しは楽になっただろう。
 でも、それでも変わらないのはあなたへの想い。悠久の希望が与えられる、と信じている。これがすべての最後である、という願いも。◆

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第0881日目 〈被災者、帰宅困難者のみな様へ。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 被災者、帰宅困難者のみな様へ。

 昨日3月11日14時46分、大きな地震がありました。どのような地震であったか、どんな災害をもたらしたか、それらについては既に報道されておりますので、ここで触れることは止めにしておきます。
 日中の出来事ということもあって、さんさんかの勤務する会社では一時業務が中断し、その後も復旧の目処が立たぬまま退社となりました。でも、遠地から出勤している方も多く、ご存知のように交通機関がすべて停まりJRに至っては当日中の運転再開を断念していたため、帰宅不能となった方も出て来てしまいました。
 さんさんかは幸いと徒歩で帰宅することが可能だったため、夜8時過ぎにエレベーターの停まったビルを、非常階段を使って外に出て地上に降り、歩いて帰ったのですが、思わず目を疑い、なんともいえぬ類の溜め息を洩らさざるを得ませんでした。
 ふだんなら閑散とした歩道を大量の人が埋め尽くしていたのです。花火のあと程に非道くはありませんでしたが、それでもこれだけの人が一様に途方に暮れた顔をして、或る人々は携帯電話で知る人の安否を確認したりしながら歩く様を見るのは、この災害が人々に与えた衝撃を大きさを物語るものである、と思いました。
 携帯電話も通じず、メールも届かない。地震と津波がもたらした被害を液晶画面越しに確認することはできても、肝心な<人>との接触を図ることができない。情報があふれる世界にいるのに情報過疎に陥る、というなんともつかぬパラドックス現象。歪(いびつ)な世界にわれらは生きているのだ、と痛感せざるを得ません。

 みなさん、知る人の無事は確認できましたでしょうか。
 ご両親やご家族、親戚、恋人、お友達。電話のなかなか通じぬなかで奇跡的に相手と話ができた方は読者諸兄のなかに、どれだけいらっしゃいますか? 全員、という答えをいただけるのを、さんさんかは心の底より希望しております。
 なによりも、みな様は被災されたり、帰宅困難になったりしていませんか? そうでないことを祈るばかりです。青森や岩手、宮城や福島、茨城や千葉にお住まいの読者のみな様、あなた方がご無事でおられることを信じています。
 おぐゆーさん、あなたはだいじょうぶでしたか? 連絡手段のないあなたが怪我もなくこの災害を乗り切った、と信じています。話すことはないかもしれないけれど、また元気な顔を見せてください。
 そうして、この度の地震と津波、或いは火事で、大切な方を失われたりされた方々に、心よりお悔やみ申しあげます。住む家をなくされたり、避難を余儀なくされて施設に入っていらっしゃる方々には、そばにいて、微力ながらも力になれたらいい、と思います。
 未だ余震続き予断を許さぬ状況ではありますが、心を強く保って、一緒に立ちあがりましょう。被災者のみなさん、あなた方は決して孤独ではない。われらは仲間です。共に手を取り合って、この困難に耐え抜き、打ち克ちましょう。

 さんさんかは<あなた>とあなたの<大切な人>の無事と健康をいつでも願っています。
 われらは必ず、いつだって<あなたのそば>にいる。◆

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第0822日目2/2 〈ありがとう、HMV横浜ビブレ店〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 学生時分から利用していた横浜ビブレのHMVが、01月10日に閉店しました。確かに売り場が縮小・移動したり、客数も少なくなってきていたから、遅かれ早かれ……とは思いましたが、ああ、まさか本当に閉店してしまうとは。ぼくとしては正直なところ、昨年の渋谷店閉店よりもショックでした。以前はここでCDを物色したりした帰りに、同じ地下1階にあった熊本ラーメンの桂花やカレーのハイチに寄るのが、とっても楽しみだったんです。
 タワーレコードのオープンまでは週に3,4回訪れて最新の、洋・邦楽のヒットチャートをチェックしたり、インディーズ・バンドを漁ったり、もちろん、CDも買った。ぼくがいちばんここに通っていた当時は、ワールド・ミュージック、トラッド・ミュージックに強い人がいたそうで、北欧トラッドについてはここのコメント・カードでずいぶんと勉強し、それを頼りにポツポツ購入していったのです。
 そうだ、記憶にある限りでは、SMAPもエリック・クラプトンも初めてCDを買ったのは、このHMV横浜ビブレ店でしたっけ。ペーター・マークがパドゥヴァのオーケストラを振ったモーツァルトとベートーヴェン、メンデルスゾーン、トスカニーニやMETが新譜であった当時のNAXOSのヒストリカル・シリーズは、軒並みこのHMV横浜ビブレ店で購入したのでした。
 ここはぼくにとって教室でした。ここ数年は足が遠退いていましたが、そこに国内2番目のHMVがあった日のこと、そこに通い詰めて音楽の楽しさ、すばらしさを教えてもらったことは、決して忘れません。
 さようなら。ありがとうございました。◆

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第0808日目 〈緒言:このブログをこれから、或いは最近から読む/読んでいる人のために〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 「詩編」最終巻の扉を開く前に、比較的最近からこのブログを閲読くださっている方も増えているようなので、筆者たるわたくしさんさんかから本ブログについて、みな様へ若干のことをご説明申しあげておきたい。

 ○さんさんかはキリスト者か?
 「否」である。ブログ巻頭に掲げるように、或る事情から聖書を読むようになったに過ぎぬ者だ。
 或る事情というてもあなた方にとっては大したことでない。単に、将来を誓い合った亡き女性がプロテスタントであっただけ。永の別れをして聖書を読むまでに約19年の歳月が、そこには横たわっている。なかなか結構な時間ではないか? むろん、キリスト教やユダヤ教の信仰を持つ者では、ない。

 ○聖書を読み始めたきっかけは? そうして、このブログを始めたきっかけは?
 読み始めたのは、何年目かの同時多発テロの日を数日後に控えた日であった。それ以前から聖書を読む意欲は徐々に高まっていたはずだが、実際にページを開いて「創世記」の最初の一文字から読み出したのは、その日の訪れを前にしてやたらと胸がざわざわしたのを鎮めんとしてであった。
 そうだ、なにを思うまでもなく、すーっ、と聖書に手が伸びたのを覚えている。それ以前にも聖書を開くことはあった。が、それもエッセイのタイトルにふさわしい詩句を探したり、詩編の幾つかをつまみ読みする程度のものでしかなかったのだ。開巻当初は映画や小説、或いはコミックなどでもお馴染みなお話が繰り出されて、飽きることがなかった。まさしく「聖書」という物語集を頭から楽しんでいる、という感じであったのだ。それに、『古事記』や『日本書紀』に親しんだ身には聖書の記述がそれらと性質を同じうするものと感じたのだ。
 が、そんな楽しみな聖書読みも「レビ記」に入るや風雲急を告げ始めた。否、「レビ記」ではない、兆候は「出エジプト記」の後半からあったのだ。「レビ記」は<六法全書>である━━つまり、生活してゆく上での様々な決まり事を延々と、細々と語ってゆく書物である。なんらかの形で整理しないと混乱を来して、聖書を部屋の片隅に抛つのは必定。それはとっても勿体ないことだ、とはわかっていた。
 如何に? 小さな脳みそでわたくしは思案し、はた、と思い立って、このブログを始めた。それから約3年、未だブログは続けられている。いまとなっては自分を支えているのはこのブログである、というても或る意味、過言ではない。

 ○本ブログの構成について。
 2008年秋のスタートから今日に至る間、続けてきたその過程でスタイルは徐々に変貌を遂げた。
 基本的な一日分の構成は、前半に、聖書の当該項目のノートと感想という形でされ、後半はさんさんかの個人的な備忘録━━原則として聖書から離れた話題を綴っている(原則、というのは、そうでないときもある、ということだ)。これがなくてはたぶん、このブログは今日まで読まれ続けることはなく、誰も見向きすらせず、存在さえ知られぬブログとなっていたことは間違いあるまい。ほぼ死に体のブログと化していただろう、と思うのだが、案外それは正しい予想であったかもしれない。むろん、いまとなってはそれを確かめる術などないけれど。
 徐々に変貌した、というのは、フォーマットが定まったことを意味するが、最近の「変貌」を例に挙げれば、一日分の原稿の分量が挙げられる。これまでも、例えば「列王記」や「歴代誌」などではワープロ・ソフトの一ページ分を超える分量を書き、「詩編」に入っては逆に一ページ分に満たない分量となっていた。それが、ここ2ヶ月ぐらいであろうか、ほぼ常にワープロ・ソフトの一ページ分を埋める、或いはまとめるようにしている。その日に書いた詩篇のノートが10行に満たないものであったなら、残りの分量を聖書から離れた話題で埋めるようにしているのだ。
 最初はちょっとしんどかった。一ページの、残った白い部分が巨大な塊のように自分にのしかかってくる思いを、PCの前へ坐るごとに味わったものだ。が、馴れとはげに凄まじきものである。いまではこの、400字詰め原稿用紙に換算して約2枚程度のフリー・スペース(日によって量の増減あり)を好きな話題でじゃんじゃかじゃんじゃか埋めるのが愉しくてならないのだっ!
 ときどき読みにくいな、と思われるかもしれないが、酒でもコーヒーでも飲みながら片肘突いて、ああまたいろいろとピーチクパーチク囀っておるな、と内心思いつつお付き合い願えれば、と思う。

 ○ブログの文章について。
 ここは、短く済ませよう。いままで何度も語ってきたからだ。そちらをご参照いただきたい。
 わが文章の規範はブラームスの音楽である。シェーンベルクであったか、ブラームスの音楽は簡素ながらとても雄弁である、といったのは。わが文章もこうありたいと思うのだ。一つ一つはシンプルな言葉であるのに、ひとたび文章となれば膨らみのある豊かなものへ変化する。ブラームスの音楽に、文章の一つの理想的なスタイルを、わたくしは見ているのだ。
 もう一つ、ブラームスの音楽には奥行きが感じらえれる。奥行きを与える方法は、古典の渉猟と耽読、それの積極的な利用にある。古典を連想させる言葉、表現、そうしたものを駆使して、文章にもう一つの顔を与える方法があるのを、わたくしは大瀧啓裕の訳したラヴクラフトの文庫の解説で知り、ブラームスの音楽でその効果を思い知らされたのだ。
 爾来、わが文章もそれに倣い、奥の院に連なりたい、と切望しているが、どうにも道は険しくかつ長い。ただこのブログを書き続けることは、かつて自分が手紙でそうしていたようにちょうどよい文章修行・鍛錬の場となっている、とは告白しておこう。
 とは申せ、わたくしがクラシック音楽の道に踏みこむきっかけを作ったのは、反ブラームス派の旗頭であるかのリヒャルト・ワーグナーである。それを踏まえて自分がこれまでここで書き散らしてきた文章の一々を点検すると、どうにもワーグナーばりに誇大妄想が強くなっているような気がしてやり切れない。
 が、文章なくして作品なし。それを胆に刻んで、これからもブログを書き続けよう。

 ○一言。
 これからも、どうぞ宜しく。◆
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第0807日目 〈こんな夢を見た(その3):薔薇色に染まるビルへ。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 息を切らして自転車を走らせる。急いで“あの場所”へ向かわなくてはならなかった。もう陽は傾いていた。タイム・リミットも近い。
 共に走っていた連中は、違反を続けてもう射殺されていた。ぼくは死ぬわけにいかない。なにがあろうと、ゴールしなくてはならなかった。駅前のバスロータリーを突っ切り、雑踏をすり抜けながら、国道沿いにひたすらペダルを漕ぎ続けた。ペダルを一漕ぎするごとにゴールが離れてゆく錯覚さえする。
 覚えのない声が聞こえた。なんといっているのかわからない。その声は空から降ってきたみたく聞こえる。だけど、そんなことに関わっている暇はない。一刻も早く“あの場所”へ辿り着かなくてはならない。
 額に浮かぶ汗がちょっとの衝撃で鼻頭や頬へ流れる。それはシャツのなかへ悪寒と一緒に伝い落ちていった。

 左前方に丘陵を背にしたゴールが見えてきた。夕陽で薔薇色に染まるビルが、あすこにあった。それは、オレンジ色や紫色に彩られた雲が棚引いて浮かぶ空の頂を目指すかのように聳えるビルだった。曰く表現しがたい崇高な気持ちが、心の奥深くから湧き起こり、全身を包んだ。同時に、力が蘇ってきた。
 目的地までのだいたいの距離を目測する。予定の時間までは辿り着けそうだった。
 そこにいるはずの人々の顔を思い浮かべ、いつの間にか滂沱とあふれ出した涙をグイ、と拭い、その人たちとの再会だけを心の支えにして、ペダルを漕ぐ足により力を入れて前へ進んだ。
 ラーメン屋や左官屋の前を通り、片側三車線の道をふらふらになりながらも自転車を走らせる。やがて道は信号のところで左へ曲がり、高架をくぐり崩れかけた橋を渡って寺の山門を右手に見つつ、乳製品の加工場の前にある信号を右へ曲がった。

 目の前に急勾配の登り坂が待ち構えていた。ここを無事に登り切ってゴールした者は殆どいない、と聞いている。向こうにビルが見えた。息を整える間もなく、再びペダルを漕ぐ足に力を入れた。悠長にサドルに腰をおろしている場合ではない。
 体を大きく左右に揺らして蛇行しながらも坂を登る。すると、さっき聞こえた声が耳にはっきり届いた。
 前を見やると、頂に多くの人の姿があった。その最前列の真ん中に、生還をいちばん待ち望んでくれている人の姿が見えた。その人は生まれたばかりの命を大事に抱きかかえている。声は確かにそこから聞こえた。赤子の心の内の声が僕を招いていた。

 かの人の姿を認めると、急に心に余裕が生まれ、周囲に視線を巡らすゆとりも生まれた。
 坂の両脇には完全武装した兵士がずらりと居並んでいた。脱落者/違反者を収容する車輌が奴らの背後に待機して、倒れたぼくを放りこむ準備を終わらせている。心臓破りの坂、と通称される、コースの最難所にさしかかったのだ。
 これは文字通り生命を賭けた、真の父親になるための通過儀礼。僕はこれに参加しなくてはならなかった。それが〈掟〉であり、〈管理者たち〉が求め、古の世から代々受け継がれてきた〈祭事〉だからだ。
 ぼくの背後にはこの競技に参加して倒れていった人々がいる。かれらの無惨な死体は磔にされて、森のなかの集会場で晒し者にされている。やがて烏や猛禽類に啄(ついば)まれることだろう。ぼくもあのなかに加わるのか? 否、それだけは絶対避けなくてはならない。ぼくは必ず“あの場所”に辿り着く。<家族>と再会する。そう約束してぼくはこの競技に━━殺人ゲームとさえいえるこの伝統的な通過儀礼に参加したのだ。生きて帰ること以外になんの目的と理由があろうか?

 最後の力を振り絞って自転車を漕いだ。汗でシャツは肌に貼りつき、もはや皮膚と一体化した感さえある。
 夕暮れは徐々に西の空から消えてゆき、闇が東の空から天を覆い尽くそうとしていた。
 自然と頂の人々から、一際大きな励ます言葉が幾つも、幾つも、一つの声は周りを巻きこんで大きな輪となり、四囲から投げかけられるようになってきた。だがそれは、タイム・リミットまで僅かであることも意味している。

 坂の頂まであと一メートル。ゴール・ライン目指して最後の一漕ぎをした。
 そして、運命の瞬間は訪れた。

 後輪がラインを踏み、泥よけがラインを越えた。
 トランペットが高らかに響き渡ってゴールを告げ、祝砲が一斉に鳴り響いてあたりを揺るがし、斯くしてタイム・リミットは告げられた。
 人々が取り囲んでエールを送ってくれているが、いまのぼくにはあまり意味を成すものではなかった。自転車から転げるように降りて、その人の姿を探した。

 不意に人垣が割れた。子供を抱いた彼女がゆっくりと歩み寄ってくる。白いスーツに身を包んだ妻の姿を認めると、よろめきながら駆け寄り、彼女と息子を抱きしめた。
 「生きて帰ってきてくれてよかった……」
 が、邂逅も束の間だった。すぐに手続きに向かわねばならない。妻と息子を連れて、手続きを済ませるべく両親と兄弟の待つかのビルへ足を向けた。振り返ると、乗ってきた自転車はもう回収されてそこにはなかった。

 雲を貫いて天の頂きを指すビルの壁は既に薔薇色なんかではなく、夜の色をたっぷり吸いこんだ冷徹な闇の色を湛えていた。◆
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第0806日目 〈長い、長い小説を求めて。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 長い、長い小説を読みたい、と初めて思うたのは、果たしていつの頃であったろうか? たぶん本心でそう思い詰めるようになったのは、トールキン『指輪物語』を数年前に完読したときかもしれない。『指輪物語』を読んだのはそれが始めてではない、ただ、ご多分に洩れず第一巻の途中で挫折したのだ……その理由を知りたくば、みなさま、その第一巻をお試しで繙かれてみるとよい。小説は最初の一ページから読み進むもの;そんな固定観念に囚われると、たちまち『指輪物語』は混乱と阿鼻叫喚の書物に早変わりします……とは流石に言い過ぎか?
 それはともかく。長い、長い、も一つおまけに長い小説を読むのがとても楽しみに思えたのは、『指輪物語』を読んだ時分にわたくしを取り巻いていた状況に大きな要因があるのは否定できない。その頃━━『指輪物語』前後に読んだ長い小説は他にあるか、と問われれば、ある、と胸を張ってお答えしよう。スタインベックの『エデンの東』、ミッチェルの『風と共に去りぬ』とパール・バックの『大地』(共に再読)、サッカレーの『虚栄の市』、ディケンズの『デイヴィッド・カッパーフィールド』と『荒涼館』(最近復刊されましたね)、そうしてスティーヴン・キングの『ザ・スタンド』がある。こうして挙げてみると、読んでいるんだか読んでいないんだか微妙な分量ですな。
 まぁ、とにかくそんな小説を、寸暇を惜しんで読んできた。これらを読み耽ることが、苛酷な現実を逃れられる唯一の手段だったから。……小説は現実逃避の手段、それが正しくていけない理由(わけ)がどこにあろうか? こんな風にして長い小説を偶然と雖も立て続けに読んで、いつの間にやら自分のなかで小説とは長い時間、至福の想いを読者に抱かせて現実遊離させるもの、なんてはっきりした意識が芽生えた。当たり前のことをなぜ斯くも大仰にいうのか、と問われれば、こう答えるしかない。即ち、それを自分は経験を通して肌で感じたからだ、と。
 たぶん、先日の話だが遂に意を決してプルーストの『失われた時を求めて1;第一篇「スワン家の方へⅠ」』を買うたのだが(昨日書いたHLNのCDと同じ日。つまり、あのクリスマス・イヴ!!)、それもやはり長い小説を読みたい、読み耽っていたい、という願望に根差した買い物であった。デュ・ガールの『チボー家の人々』とこの『失われた時を求めて』を読めば、もうこの世にその長さ、分量に尻込みする小説なんて、まず、ない。これについて語り合いたいと望む人がいまの職場にいるのだが、もうすぐお別れだ。せっかく正直な気持ちに向かい合う決意が出来たのに……。まぁ、『源氏物語』は学生時代に読んだし、今後は好きな帳だけを読むつもりだ。うん、もう怖いものなし、だな。ヴィヴァ!
 ━━と、ここまで書いてきてわたくしは重大な事実を思い出した。あくまで「個人的には重大」ということなのだが、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代/遍歴時代』を今後のリストのなかへ入れ忘れていた。紀伊國屋書店へ行くたびに購入を迷うのだが、結局買わずに溜め息を大きく洩らしながらとぼとぼ帰ってくる。でも、いつか必ず買って、書架に加え、いつかページを開く日が訪れることを願っているのだ。
 わたくしのライフワークと位置附けた家族小説も、実は永い長い小説になる予定となっている。ひたすら書き続けて全巻の執筆を終え、推敲の筆を擱くときにぽっくり逝けたら、これはこれで最高なんだが、と秘かに願望している。まるで西行法師の和歌みたい。「ねがはくば花の下にて春死なん……」という奴ですな。嗚呼、これぞ理想! そうして、バッハの『マタイ受難曲』を聴きながら……。◆
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第0787日目 〈ご報告とお詫び〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 予約更新の不手際により、指定時間に公開できていなかったものがある、と先ほど知りました。当方の確認ミスによるものであり、決して怠けていたわけではありません。
 まぁ、正直、このまましばらく安息日にしてしまおうか、と考えることもないではなかったのですが……いや、失敬。
 本日改めて過去2日分の原稿をチェックし、配列を換えて正しく閲覧いただけるようにしました。今後はこのような事故が二度と起きないよう注意を払って更新作業を進めてゆく所存であります。
 まずはご報告とお詫びまで。◆

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第0786日目 〈売ったCDを買い戻せッ!〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 昨夜の地震を契機としてそろそろ真面目に、溜まったCDとDVDの在庫一斉処分を考えております。過去にも、断腸の思いで処分品を決めたことがあったけれど、それが時間を経るに従って後悔頻りなこともある。
 これまで売り払ったCDとLPは、たぶん合計して7,000枚を超えるだろう。たいしたことではない。問題なのは、それを軈て聴き返したくなるときがある、ということ。聴かねばならぬ場合が出てくる、ということ。前者はゆっくり探せばいいが、後者となるとそうはいかない。そういうモノに限って廃盤になっている場合が多いんだっ! わおーん。
 余談だがね、クラシックは廃盤と品切れのアイテムが多すぎです。ショップ時代、毎週レコード会社に問い合わせしたアイテムのなかに、カルロス・クライバーのベト4があった。ベーム追悼記念行事でのライヴ録音で、おいらもLPで大切に持っていた一枚だ。CD化はだいぶ前だが、いきなり輸入元のキング・●コード(無意味な伏せ字ですか?)が国内仕様盤を品切れにしてしまった。問い合わせ多いんだよ、これ。記憶が確かなら、これの再発は(悪名高き)《田園》がリリースされた頃か、或いはクライバー急逝のときではなかったか。もちろんこれは相乗効果もあって、チャートに躍り出たことは断るまでもない。余談終わり。
 これまでクラシックで処分したCDもDVDも数知れないが、ジャンルでいえば吹奏楽と現代音楽はごっそり処分した。現代音楽は若干まだ残っているが、これは自分が好きな作曲家と好きな曲に絞った。一時期かなり真剣に本を書くつもりでいたから相当な数を持っていたんだが、ふとしたときにツキが落ちて企画も諦め、結構大盤振る舞い的に段ボールへ詰めこんだ記憶がある。買い取り額は、いま以て過去最高記録を更新中。吹奏楽はアメリカ海兵隊バンドと好きな曲が入っているCD数枚を残して、潔く全部捨てた。このジャンルに後悔はない。吹奏ヲタの昔の女を思い出してやさぐれたくなるんじゃ。
 で、いま買い戻しを計画しているのは、(間違って売ったと思しき)マスネのオペラ数作と某廉価盤レーベルにて進行中の「イギリス歌曲シリーズ」。
 クラシックでは━━現時点で思い当たる限りでは━━これだけなんだが、洋楽はねぇ……ビートルズはいまさら買い戻す気は(新しく買い直す気も)ないが、フォガットとEL&Pやアモンデュールはもう一度聴きたい。買い直しリストにエントリーだ。でも現在リリース中のEL&Pの国内盤CDは、全部紙ジャケじゃなかっただろうか。洋楽で紙ジャケってスペース節約以外に意味ないし……迷うところです。◆

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第0785日目 〈吹奏楽も音楽だッ!〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 休みの今日、エッセイを一本書きあげたあとで、映画『ブラス!』を観た。そうしたら、20世紀最後の数年間に付き合っていたバスガイドの女性を思い出した。それに伴って、彼女の言葉が鮮明に脳裏によみがえる、曰く━━「吹奏楽団とブラスバンドを一緒にしてほしくないのよね」
 知り合うまではあまり気にも留めていなかったのだが、どうやら世間は両者を混同しているらしく、吹奏族には基本であるこの事実、よほど他では知られていないらしい。吹奏楽団は木管楽器と金管楽器、打楽器で構成され、そこから木管楽器を省いた編成がブラスバンドである。
   管弦楽団-弦楽器=吹奏楽団
   吹奏楽団-木管楽器=ブラスバンド
とでも説明すればいいだろうか。ただ、曲によっては弦楽器であるコントラバス(ストリング・ベース、ダブル・ベースとも)や撥弦楽器であるハープが加わることもあるので、上記は基本編成と思っていただければ幸甚。
 ふり返れば折々の場面で吹奏楽に接しているのだが、さしたる印象はない。実際はなにも聴かずに過ごしてきたようなものだ。吹奏楽をやっている者が、人生の一時期傍らにいたからとて、きっかけなくしてはこの分野へ関心を持ち、文章を綴ることもなかっただろう。
 きっかけ……いろいろあるが、決定打は「『チェルシー組曲』って知ってる?」という唐突な彼女の一言。読者諸兄のなかには、ロナルド・ジールマンが作曲した『チェルシー組曲』を演奏した経験をお持ちの方があるかもしれない。が、残念ながらわたくしはこれを知らなかった。あっさり否定してその場は済んだが、どうにもその一幕が脳裏から離れず、調べまくり訊ねまわり、やがて作曲家の簡素な履歴と他の作品の一覧、楽譜と録音のあることを知った。
 これが契機となり、主にオリジナル曲を中心にいろいろ聴いていった。編曲物はあまり好かなかったな。オリジナル曲の方は定番から世界初演のライヴまで様々に聴いた。けれども、この世界へ足を踏みこむまでは、吹奏楽のために書かれた曲がこんなに多いとは思いもよらなかったことも、この際だから白状しておこう。
 ホルストやヴォーン・ウィリアムズといった吹奏楽の古典を遺した作曲家、オリヴァドーティやスウェアリンジェンの如く練習曲や初級曲の定番をものした作曲家、ヒンデミットやフサのようなこの分野の最高峰と称す他ない曲を書いた作曲家がうようよしているのを知っただけでも、それは大いなる収穫である。
 件の女性と別れたあともしばらくの年数は吹奏楽を聴いていたのも、こうしたオリジナル曲の数々に魅了されていたからに他ならない。クラシック音楽の作曲家を知るには吹奏楽からのアプローチも、場合によっては必要なのだな、と思いを新たにしたところでもあった。
 彼女と話していて興味深かったのはスクールバンドのことだ。中学や高校などのスクールバンドの運営は、どこまでもクラブ活動という学校教育の枠内にある。クラブに与えられる主な目的は、それぞれの活動を通じて人間としての成長を計り、部員たちの団結を強め、交流を深めること。文化系クラブの殆どが校内活動ばかりなのに対し、吹奏楽部、ブラスバンド部は各種のコンクール始めイベントへの参加は欠くべからざる活動であり、これあるからこそ、文化系クラブでは例外的に他校や地域との結びつきが生まれ、維持されてゆくのだ。人によっては、吹奏楽団を持つ企業からのオファーも、高校卒業時にはあるらしい。
 もっとも、「両刃の剣」というようにそれが学校教育の一環だからこそ、一定以上に広がり様のない部分を含んでいるのは、やむないことなのかもしれない。
 練習だってコンクールや定期演奏会の直前となれば休日返上で朝から晩まで、夏休みになればご丁寧に合宿さえもが用意され、若き吹奏族はますますその深みにはまり、音楽により魅せられてゆく……あとは無限地獄に堕ちてゆくばかり、だ。と共に、基礎体力作りと称してはグラウンドを何周も走り、腕立て伏せと腹筋を繰り返し、マウスピースを使ってアンブシェアの確認を行い……さよう、満を持しての演奏は、練習の積み重ねによってのみ生まれるのだ。しかしこうした環境が当たり前になると、そんな喜びも悲しみも共有した仲間同士がムラ意識の表れか、自然と寄り集ってコロニーを形成しがちなのは宜なるかな、という気もする。
 我が身を思い返してみても、中学生ぐらいにならないと芸術としての音楽には触れなかったように思う。音楽の授業が一段、高い内容になって音楽史を語り、楽典の解説に足を踏み入れるせいもあろうが、その一端を、実はスクールバンドが担っている。小学生の頃まではレコードで代用されていた役割の一部を代わることで、殊更に吹奏楽の存在がクローズ・アップされたりするのは、殆どすべての中学が吹奏楽部、ブラスバンド部を持つ所以だろう。
 現実問題、地方在住の学生が過半を占める(=吹奏族の過半が地方在住)ことから、ときとしてスクールバンドは、演奏する側聴く側の別なく、初めて芸術としての音楽に接するきっかけをもたらす。どんなに小さな町でもたいていは町立学校があるものだ(とはいえ最近はまた事情が変わってきて、統廃合がいっそう進んでいると仄聞するが)。つまり、スクールバンドも一つはある、ということだ。これは地方に限ったことでなく都市部でも似たり寄ったりなのだが、地方は都市部と較べた場合、芸術音楽へ日常的に接し得る機会が少ないのは、残念ながら事実なのである。
 おそらく吹奏楽の経験者がやがてクラシック音楽やジャズ、ロック、ポップスといった他分野へ転向してゆくのは、吹奏楽が本格的なクラシック音楽へステップ・アップするための踏み台、異なる音楽分野へ参入するまでの準備期間という意識が強く、同時に吹奏楽で活躍してゆくことが困難な現況を憂いての行為でもあるのだろうか。
 人生の様々な場面で縁あった吹奏楽だが、それほど特別なものとは捉えず接してきたため、すてきなこの世界へ首を突っこむまで時間を費やしてしまった。その穴埋めではないけれど、当時は一つでも多くの作品に触れてみたいという熱が、わたくしをせき立てた。残された時間は無限でない。
 とは申せ、背中を後押しするきっかけとなった『チェルシー組曲』のただ一種の録音は、あれから10年以上になるけれど未だ入手する機会を得ていない。もしかすると、熱が冷めたのかもしれぬ。そうであっても、否定する気はまったくないが……。ただ、同じ時分に理由あって探しまくったメンデルスゾーンの『吹奏楽のための埋葬行進曲~ノルベルト・ブルグミュラーの思い出に』Op.103は、さいわい21世紀になって沼尻竜典=大阪市音楽団の録音とアバド=ロンドン響の録音を得た。
 しかし、情報媒体の少なさ、宣伝の浅さ狭さが災いしてか、吹奏楽がクラシック音楽のように、ジャーナリズムやレコード産業と手を組んで新しい聴衆を開拓、活性化しているといった話は、寡聞にして伝わってこない。その世界では非常に深化している様子だけれど……。先に挙げた大阪市音楽団やシエナ吹奏楽団が気を吐いていても、以前ほどの活況は窺えず、その勢いは目に見えて下火となったように見える。
 部外者の発言で恐縮だが、コンクール至上主義、アレンジものの偏重、閉ざされた世界での活動にはもう別れを告げ、実用音楽から純粋音楽への意識改革を布告してもよい時代ではないか。
 書きたいことはたくさんあるが、ここは強い意思を揮って思いとどまり、お開きとしよう。最後に一言、これだけはどうしても――吹奏楽は音楽だ。それ以外のなにものでもない。◆

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第0784日目 〈サー・サイモンについての、ぼくの報告。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 もう一日、置くことにします。
 昨日はハイドンについて書き、それ以前には横浜の映画館で「シネ響 マエストロ6」の再上映が始まっている旨、書いたように覚えております。
 サー・サイモン・ラトル=ベルリン・フィル、独奏ピアノにラン・ランを迎えた2009年のジルヴェスター・コンサートが件の映画なのですが、今日はそれを観てきました。例によって一日一回の上映とあって、事前に座席を予約しておいたのですが……観客は自分を含めてたったの2人! その人はいちばん後ろの席で、わたくしは真ん中の席。お陰で、じぃっ、と画面に集中できました。
 夕食を終えたあとの約2時間、熱を帯びたように途切れることなく、知人へ宛てた手紙に感想を認めました。これについては推敲後、既に鑑賞したアバドやムーティ、或いは映画『蛇のひと』の感想と共に「詩編」全巻終了後、恥ずかしながらお披露目させていただく所存です。
 本日の映画鑑賞で、事前に報告しておく事柄がある。「あ、ラトルって良いじゃないか」と、思えるようになったのだ。たぶん、今日の映画で決定打を喰らったことでアレルギーを克服できたのだろうが、ベートーヴェンについては無期限で保留とする。VPOとの全集は聴く度毎に感想が大きくぶれるし、BPOとの《フィデリオ》はこの先わたくしのなかでワースト・スリーから外れることはないだろう。
 本日(昨日ですか)鑑賞した映画の演目は、以下の通り。ピアノ独奏はラン・ラン。
 1:ラフマニノフ;ピアノ協奏曲第2番ハ短調Op.18
 2:ショパン;練習曲変イ長調Op25-1(独奏/アンコール)
 3:チャイコフスキー;バレエ音楽《くるみ割り人形》Op.71~第二幕(全曲)
 4:同~第一幕より、〈雪片のワルツ〉(児童合唱:ベルリン放送児童合唱団/アンコール)
 なお、終映後、あまりの感激と興奮からさんさんかは約6キロばかし歩き回って魂を鎮め、近くにあったCDショップでたまたま見附けた《くるみ割り人形》の全曲CDを買いました。感想を認める間、ずっと聴いていたのはこのCDです。奏者? むろん、彼らです。聴いていたら、またあの映画、観たくなっちゃいましたよ……来週、また行くかも!?
 さて、この「シネ響 マエストロ6」ですが、今月11日からダニエル・バレンボイムとBPOによる今年5月の、英・オックスフォードに於けるヨーロッパ・コンサートの映画が上映されます。演目はブラームスの交響曲第1番とエルガーのチェロ協奏曲、ワーグナーの楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第3幕前奏曲。これも、見逃せません。さて、また古巣が集まる新宿までお出掛けしますか。その後、あのお店でコーヒー。
 映画か……明日(明後日か)は『SPACE BATLLE SHIP ヤマト』を夜に観に行こうっと。その時間帯なら席も取れるだろう。本音はね、おぐゆーさんと過ごせるようになりたい。
 それにしてもこの2週間はクラシック音楽関係の話題が続いてる気がする。カンブルランのコンサートに始まり、ラトルの映画、ハイドンだいすき、……うーん、あ、それぐらいか? でもね、いいんだ。先月末に、或る意味でおぐゆーさんが付き合ってくれることになる以上の良い出来事があったから。誰かに告白されたのではない、断りました。自分の人生を建て直すための目処がついたのです。これで、ぼくは自信を持って、胸を張って、生きてゆける。まだ瑕疵はあると雖も、それさえやがて終わるのです。希望は、ある。◆

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第0783日目 〈ハイドン、だいすき。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 先日購入したハイドンの弦楽四重奏曲は《第一トスト四重奏曲集》です。作品番号はOp.54&55/Hob.Ⅲ:57-62。今日はマイルスもサラ・ヴォーンも脇へ押しやって、ひたすらこの6曲ばかり聴いていました。トレイから出して他へ換えるのが面倒臭かったわけではなく、快晴から薄曇りへ変化してゆく空を眺めながら、詩編のノートを執っているときや、『ヘンリ・ライクロフトの私記』を読んでいるとき、これらの曲が非常に耳へやさしく馴染んで心地よかったために他なりません。そう、今日はドストエフスキーを読む気分にだけはどうしてもなれない日だったのです。まぁ、そういう日も、偶にはあります。
 なお、演奏団体はBuchberger Quartet、BRILLIANTにてリリース中の弦楽四重奏曲全集第10巻です。いきなりボックスセットが出た当座は腹に据えかねる思いがしたなぁ。迷ったけれど少しずつ買い集める方が性に合っていますので、地道に気長に店頭の新譜コーナーに並ぶものを漁っているわけです。
 バッハやモーツァルトの如く易々と伝記へ触れることや、遺された作品の全体像が摑みにくいのが、ハイドンへ親近しようとする人を阻む要因の一つではないでしょうか(子供向けの音楽家の伝記シリーズではハイドンも流石に入っておりますが)。<交響曲の父>ハイドンが音楽史へ残した足跡は計り知れぬ程であるのに、この人の曲を気に入って特定のジャンルなり全体なりを俯瞰し、追っかけようとすると、頼りにし得る目録代わりの本が意外と存在しないのに呆然とさせられます。現役で新刊書店の棚に並んでいるのは、音楽之友社の「作曲家別名曲解説ライブラリー」の一冊だけではないのかしら。さんさんかが手許に置いてときどき開いているのは、同じ音楽之友社から「大音楽家・人と作品」第2巻として刊行されていた本で、著者は大宮真琴。残念ながら既に絶版の模様です。この本の後半は作品解説で、巻末部分に交響曲から世俗無伴奏カノンまで記載された作品リストがありまして、これには非常に恩恵を被っております。なにより、手軽に持ち運べる新書サイズなのがよい。この本には日本人が初めて書いたハイドン伝、ハイドン研究書という栄誉がある。気負いも見られようが、それだけに公正明解に書かれて余計な粉飾が施されていない、最初に読むに相応しい一冊であることは間違いないでしょう。
 それはさておくとして、ハイドンの音楽は聴いていて安心できる。少なくとも、不快にさせられること、不安にさせられること、戸惑わされることは、ない。ハイドンの音楽にハズレはないからです。ここには、あらゆる類の愉悦が詰まっている。鑑賞者側にハイドン愛好者が少なく、演奏者側にハイドン・ファンが多いのは、もしかするとそんなあたりに理由の一端があるのかもしれない。かつて出会った音楽ファンや演奏家たちを思い出してみて、ふと、そんなことを思ってみました。海外ではハイドンの人気、非常にあるそうですが……。
 自分がハイドンに魅せられたきっかけは、十年以上前に芸大の奏楽堂で聴いた弦楽四重奏曲のコンサートであった。実際CDを買って聴くようになるまでだいぶ時間を費やしたけれど、後悔はしていない。待っただけにいまとても満足できる多くの音盤と出会えたからだ。おまけに、交響曲や弦楽四重奏曲は全集進行中のものが複数ある。となれば、この時代にこそハイドンを聴かずしてどうするのか、と啖呵の一つも切ってみよう、というものだ。でも、例の「セレナード」も含めて、ハイドンの弦楽四重奏曲は良いですよ。是非、買って聴いてみてください。本当に素晴らしくて、法悦に充ち満ちていますから。◆

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第0765日目 〈ちょっとの勇気を振り絞り、へこたれず、ポジティヴ・シンキングで前に進もう!〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 今日さんさんかは風邪を引いた。で、会社を休んでしまった。一日中、身の上から離れることがなかったこの後ろめたさはなんだ? 妙に敗北感が募り、ネガティヴなことばかり考え始めて、いや、まったくいけないね。
 サボリと思われているんじゃないか、とか、クビになるんじゃないか、とか、そんな被害妄想めいた思いがふとした拍子に浮かんでくる。いや、まったくいけない。こんなときは考えることがすべて負の方向へ針を振る。思考を切り替えよ、でも無理なんだけれどね、こんなときは。
 一日家にいることなんて滅多にないから、エッセイの改稿を試みようとノートを開いてみた。骨の髄まで染みこんだ道楽は、いけない。どんな状況にあっても、こんなことばかり考えさせる。疑われても、無理はないか。しかし、まったく集中できず時間ばかりが過ぎて、いつの間にやら夜になっていた。
 本を読むことにも音楽を聴くことにも集中できず、仕方ないから写真を眺めること目的で『ナショナル・ジオグラフィック』誌を読む(一時、ぼくの野望はナショジオに掲載されるネイチャー系の文章を書くことであった)。この雑誌、大好きなんですよね。日本語版創刊以来、ずっと読んでいます。自分に自然科学系の知識が殆どないから、尚更こうした雑誌を好んで読むのかな?
 やがて、気持ちもちょっと落ち着いてきた。次に出勤するときは足が重くて、不安と恐れで逃げ出したくなるだろうけれど、ちょっとの勇気を振り絞って、へこたれずにポジティヴ・シンキングで前に進もう。脳内BGMはSMAPの「SMAPのポジティブダンス」(アルバム『We are SMAP!』収録)、呪文のように唱える言葉は石川梨華の「ポジティヴ、ポジティヴ!」である……わけないだろ、とか恥ずかしさ隠していってみたりする。えへ。
 明日から「詩編」第三巻に取りかかれるよう、鋭意努力しますが、体調次第ですね。◆

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第0760日目2/2 〈トーキョー・オノボリサン〉シリーズ;東京スカイツリー&羽田空港国際線ターミナル編 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 さんさんかの〈トーキョー・オノボリサン〉シリーズ、今回は建設中の東京スカイツリーと先月開業した羽田空港の国際線ターミナルを見物してきました。
 東京スカイツリーへは本所吾妻橋駅で下車、そのまま地上に出て少し歩いたら……もう目の前にあったよ! 橋の向こうに「うす、おいら東京スカイツリー」なんて顔してぶっきらぼうに突っ立っておった。なんか感動もなにもない(いい過ぎか。ならば、感動は薄かった、と訂正しよう)出会いである。ビルの間から、徐々に、徐々に見えてきた、とか、もしくは浅草駅から隅田川を渡る前にちょっと向こう岸を見たら頭を覗かせていた、とかなら、まだしも、いや、この出会いは味気ないほどに呆気なかった。でも、青空にすっきりしたデザインの高層建築物が映える様を見るのはいつでも気持ちがよく、これが完成した暁にはどんな街並みが生まれるのかを想像すると、思わず、うーむ、と唸ってしまいました。
 しかしながら、一お上りさんに過ぎぬさんさんかが敢えていわせていただけば、まずは、東京スカイツリーの絶好の眺望スポットとされる東武橋にて首をそらして見あげるよりも、浅草からのんびり歩いた隅田川縁で川向こうにすっくと聳える東京スカイツリーを眺める方が、あの美しい姿を視界のなかへ収められる上に<隅田川>という場所の生み出す情緒が作用して、<ほう>という感情を一際盛りあげてくれる、と思います。そうしてから、言問通りを歩いていって、押上駅を抜けて東武橋へ足を向けて工事作業を眺める、というコースをお奨めしたいのであります。当然のことながら、さんさんかはこれと逆のコースを辿りました。
 さて、隅田川を離れて浅草でご飯食べて仲見世通りをぶらついたあと、浅草橋駅から(タイミングよく到着する予定の)羽田空港直通の電車に乗って、もう一つの目的地に向かいました。もともと、ここへは行くつもりであったのです(帰り道、といえば帰り道だし)。
 京浜急行空港線;国際線ターミナル駅は天空橋駅と国内線ターミナル駅の間に作られた、地下2階に位置する新設駅だ。みなさま、お間違えなきように。因みに浅草橋駅からの料金は、国際線ターミナル駅までが600円、国内線ターミナル駅(終点)は640円。改札を出て、長いエスカレーターを地上3階まで上る。地上3階は出国ロビーであり、到着ロビーはその下の地上2階となる。
 広い。天井が高い。滑走路をはさんだ向こう側にある国内線ターミナルも同じなのだが、新しいせいか、潔いまでの開放感を感じる。━━ぼんやり見あげていたら、真後ろの窓の外を、モノレールがすれすれに走り過ぎていった。そうそう、モノレールのホームはここ地上3階にあるのだ。さて、移動する。
 エスカレーターで4階へ行くと(もう「地上」なんて付けるの、やめた)、真正面に<江戸舞台>と称された朱塗りの舞台。今日はここで切り絵の実演が行われていました。見物客のリクエストに応えていたのですが、飛行機の切り絵にはびっくりしましたね。滑走路を走行中の旅客機の切り絵なのですが、その回最大級の感歎の声が見物客と行き過ぎる人の間から立ちのぼった程。で、そのあとはTVでも紹介され尽くした感のある江戸をモティーフにした土産物屋などを見てまわり、せたが屋にてラーメンを食したのでありました。玉子、美味いっ! 鰹ベースのスープ、美味いっ! でも、食べるなら鶏塩ラーメンかつけ麺の方がよかったかなぁ……。「隣の芝生は青く見える」とはよくいったものですね。
 そのあとは、あっちフラフラ、こっちプラプラ、という感じで、特に申しあげることもないのですが、「ここまで来たら、やっぱり送迎デッキには行かなくちゃっ!!」でしょう。APECの警備に併せてデッキに夜間は出られないようですが(11,12日が終日だったかな)、まぁ、でもいまは関係ないから。
 そろそろ陽も傾きかけようか、という頃、スカイツリーの見える方向の滑走路に到着便が着陸し、、目の前の滑走路を管制塔からの指示を受けて定刻通りのフライトを開始する気が、タキシングして空へと滑り出す。その光景は何度見ても飽きるものではなく、いつまで見ていても飽きるものではない。しかし、季節は初冬の色に染まり始め、吹く風にはキレのよい冷たさが存在を主張し出す。一時間も外にいると、温かいコーヒーが恋しくなる(「人のぬくもりが恋しい季節」でもある。わたくしが求める<人(ひと)>が誰なのかはおわかりいただけよう、さよう、あの女性(ひと)だけ)が、気附けばデッキの片隅に人々が集まっている。そのときはまだ小さな、とても小さな集団であったが、終わる時分にはちょっとした人数を擁した集団となっていた。
 その集団が見ていた方向は、滑走路に背を向けた西の方角であった。━━と書けばおわかりいただけようが、われらは多摩川の向こう、箱根の向こう、西の彼方に沈む夕陽(ゆうひ)を見詰めたのだ。天気は、前述のように、晴れ。夕陽が沈む場所の右手の方には、富士山が、陽が沈みゆくにつれてはっきりと稜線を描き出してゆく。ちょうどうまい具合に、夕陽と富士山の間には一群れの雲が浮かんでいる。あかね色の光線が雲を輝かせ、富士山の輪郭を赤く際立たせた。こんな光景を見るのは、たぶん生まれて初めてだ。故郷の町のあちら側に丹沢山地と箱根山地があり、その向こうへと太陽が沈んでゆく。当たり前の光景だが、そういう光景こそ、見る場所と気持ち次第で如何様にも崇高なそれになり得るのだ。赤富士、それを絶好のポイントから、絶好のタイミングで見られる事なんて、滅多にないのではないでしょうか。あの夕暮れと日没を、周辺環境もセットで鑑賞し得たことに、ぼくはつくづく感謝します。なによりも、誘ってくれた家族に感謝。
 さて、その後であるが、空弁を買って再び京浜急行で━━これまた運良く!━━金沢文庫行きの直通電車でのんびり帰り、ほかほかと過ごしたのでありました。これが、今回のさんさんかの〈トーキョー・オノボリサン〉シリーズの報告であります。次はいつか、次はどこか。乞うご期待。◆

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第0754日目1/2 〈ウィーン・フィルのコントラバス奏者、シュトラッカさんが冨士登山中に滑落死。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 詩編第62篇を公開するためにネットにつないだら、「VPO団員、冨士登山中に死亡」のニュースが目に飛びこんできた。
 コントラバス奏者のゲオルク・シュトラッカ氏。折しも来日中のVPOだがたまたま休演日に当たっていたのだそう。滑落死、と報道されているが情報は限られている。
 先日、病を克服して復帰した小澤征爾氏の名誉団員入りが発表された矢先の悲報。元VPOコンマスのゲアハルト・ヘッツェル氏も登山中に亡くなっている。
 気が落ち着かず文章も乱れていて申し訳ない。
 いまは謹んでご冥福を祈ろう。◆

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第0733日目 〈本絡みの身辺雑記〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 勇気をふるって太宰治を中断し、ドストエフスキーに戻り現在『白痴』を読み返している、という報告を認めるつもりだったのだが、ワトスン、気が変わったのでそれは止めにした。さっきのさっきまで、明日からの詩編第42編のノートを書いていたら、その気がすっかり薄まってしまったのだ。なんでかはわからない。単に時機を逸したのであろう。
 今日は、様々な事柄を書いてみよう。いま読んでいるのは述べたとおり『白痴』なのだが、今回は前回以上のページを1日で読むようにしているので、だいぶ捗っている。それでもわたくしの読書スピードは比較的遅い方なので、まだようやく半分にさしかかるかどうか、という程度だが、頗る上出来だ。通常は大体1日で約60-80ページが目処であり、読めるときはもっと進むけれど、それでも海外の長編小説を1冊あげるのは、チト難しい。消化しやすそうな作家の長編であっても、自分にはそこそこ難儀な作業となりがちなのだ。
 とどのつまり、だな、わたくしは1ページ1ページ、1行1行、1語1語をゆっくりとじっくりと腰を据えて読みたいタイプの読者なのだ。高校生の時分には普通の厚さのものなら朝から晩まで読み耽って1日で読了した経験もあるけれど、いまではそんなことおよそ不可能に近い。いろいろ理由は適当にでっちあげられるが、まぁ、それはいわずにおこう。なに、大したことではない。ただ、スタイルに変化が生じて斯くなったのである、というだけの話。そこに<環境の変化>という要素が加わるのは、きちんと会社にお勤めされている読書人なら、多くを語らずともおわかりいただけるものと信じる。
 それはともかく、『白痴』上巻は比較的順調に読み進んでいる。行ったり来たりする場合もあり、あくまで「比較的」というに留めるが、前回よりは順調だ。このペースを守れたならば、年末には『悪霊』の再読に取りかかれるであろう。淡い期待が現実となるのを望んでいる我。でも、おぐゆーさんに誘われたなら……このペース、崩していいかも。
 おや、気附けばフルニエ独奏チェロ弾くブラームスのチェロ・ソナタのCDが終わっている(伴奏はフィルクスニー。PROC-1077)。いや、そんなことではなくて、その気がなくなってしまったのだ、と告白したはずの報告を済ませたようだ。しかし、これは考えていたよりも幾分か方向が違ってしまっている。これではわたくしの読書スピードの遅さの報告とそれを弁護する言葉を書き並べただけではないか。……ま、いいか。これまでこのブログを読んできてくだすった方々、読者諸兄なら「またか」と呵々大笑してお許しいただけよう。そんな、お会いしたこともない方々の好意に甘えてみる。お許しを。
 そうだ、今日は仕事の帰り、遂に一念発起して或る古本屋へ駆けこんだのであった。なぜか、というと、昨年のいま頃だったか、棚に発見した聖書辞典を買う決心を固めたからだ。『新エッセンシャル聖書辞典』(いのちのことば社)という本。どうしても辞典は必要である。出版社から推察できるように、新改訳対応なのだが、さんさんかが使っている新共同訳にも対応した内容であり、なおかつ、ここがいちばん重要なのだが、新共同訳対応の聖書辞典に較べて使いやすく、記述が丁寧なのだ。よってこれに決めた。さっそく使って、役に立てている。ハーレイの本、ヘルマン&クライバーの本同様、座右に置いていつも安心、信頼できる一冊を手に入れた。なんだか、RPGの勇者になった気分だな。
 いやぁ、今日はしんどかったよ。仕事の話だ。心地よい疲れ、といえるかどうかはさておき、確かなのは、今夜は不眠に悩まされることなくぐっすりと、夢も見ることなく寝られそうだ、ということ。小さなしあわせ、でもそれがとっても大切。明日は休みだ。
 あ、映画のことやドラマの話するスペース、なくなっちゃった……。◆

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